どうやら幸せになるのが不得意らしい
脂肪は厚くとも寒いもんは寒い、くるねです。
わたしから仕事をとったらなにが残るだろうか?と思うくらいには社畜脳なわたしだが、最近は比較的仕事のプレッシャーを感じずに少しずつ息ができてきている。(うまい!)
ようやく、仕事4割の呪文だったり夏休みを早めにとりかかるだったりが功を奏しているらしい。
(よく効く薬だったらしい↑効くひとには効く)
それでもなお、頭の中にはなにが議題がないと気がすまないようだ。
近頃は引っ越しの話題で頭が埋め尽くされている。まあ、それだけ心配なんだろうが。
急ぐ必要もない悩みをいつまでも悩みがちで、しかもその悩みはすぐに答えが出ないようなことばかりなのがまた厄介だ。
答案用紙にひたすら向かいつづけ答えも出ないままテストを解きつづける。そんなもん、いくら勉強が好きでも投げ出したくなるもんだろう。
日頃の仕事の悩みが減ったところで、別のところから問題を引っ張り上げてくる。考えるに、わたしは幸せになるのが不得意らしい。
仕事の悩みもいまは少なく、家庭は夫氏とも良好で悩みのない状況は、いい環境なわけだし幸せに値する。少なくともわたしにとっては、不自由なく合格点の範疇だろう。
もちろん、お金はないしそれによる不自由さはあるが、一日一日を楽しめないほどではない。
むしろ夫氏と話していたら楽しいし、ずっと笑っている。
そんな状況がもっと楽しくなるようなことを考えるならまだしも、わたしはこれから起こるかわからない、突発的な不幸が怖いのだ。
タラレバに取り憑かれている。
楽しいことがつづいていると自覚したその瞬間、沈むことを自覚できるようになってしまう。それが怖いのだ。
今ある幸せと、今後起こる不幸を同じ線の上でみてしまうのだ。たしかにそう考えると、不幸探しをしている自分に納得がいく。
でも、いまの楽しいを認めずして果たして将来の自分を幸せにできるだろうか。
もし、状況が揃ったとしてもやはり不幸せ探しをして将来に怯えるのではないだろうか。
言葉にして、容易に想像ができる。
将来の不安をみるくらいなら今の幸せを感じていたほうがいい。幸せに感じれたら、将来の自分も救えるはずだ。
不幸を探す能力に長けているのなら、幸せ探しも容易いだろう。うまくいきそうだ。
幸せになろうぜ
では、またね
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