「豊かさ、とは」を教わる寺院:北鎌倉 明月院
こんにちは
11月の末に北鎌倉へ行きました。
紅葉と寺院に触れる建築探訪です。
ということで、今回は北鎌倉を訪れた内の一つ「明月院」にスポットを当てたお話をしていきます。
お時間のあるときにのぞいてもらえたら嬉しいです。
では、はじめますね。
|移り行く自然の「美」
以前にも明月院に訪れた記事をnoteに綴りました。
その時は、山中にある自然が織りなす美しい現象を集約したのような場所である、というお話をさせていただきました。
門まで上がる石階段(アジサイで囲われる)、寺院内を流れる小川、脇道のように傾斜を横断する横道、ちょっと外れたところにある竹林、などなどまるで森の中を歩いているかのような造りになっています。
ですので、移り変わり、の面白さを感じます。
この移り変わるというのが仏教の「禅」の考え方にも通じるようにボクは感じていて、つまり「無常」ということです。
物事は永遠不変ではない、という考え方だと思います。
季節ごとに美しい姿を見せてくれますが、季節という時間の制限が実はあります。
その限定的な期間にのみ、例えば秋であれば紅葉という美しい姿を見せ、そして終わりを迎えます。
限られた時間という刹那的な意味と終わる儚さが同時に存在していて、どこかボクたちの心を動かします。(多くの日本人が桜を好きなように)
そうした見方をしていると日本的な美意識にも通じるところを気付かされるのも明月院ではないかと思います。
|豊かさに溢れた空間
明月院で有名な悟りの窓(丸窓)の奥に見える景色は四季折々の姿を見せてくれるとされています。
たまたまでしたが、この丸窓の奥の庭園(本堂後庭園)が特別公開していて見学することが出来ました。
そこでのお話をしてこうと思います。
表の境内も素敵なのですが、本堂後庭園はまた異なる自然の、豊かさ、をボクたちに見せてくれます。
本堂の脇道を(別料金を払って)抜けると、そこには広大な庭園が現れます。
表の境内とは違い平坦な庭園、奥の奥へと視界が抜けていき、池や木々、地面には苔、そしてお地蔵さん、まるで里山のような場所です。
ボクが訪れた時は午前10時ごろ、苔の地面にはまだ夜露のなごり。
木々の隙間からは木洩れ日の光線が地面を照らし、苔に付着した夜露がキラキラと輝き、庭園全体が光と影のグラデーションにより幻想的な空間が広がっています。
人工的に整備された庭園ではありますが、自然が生み出すあるがままの美しさが作り出されています。
そう、ここに悟りの窓(丸窓)が意味する「偏見なく何にも捉われないあるがままの自然な心」という考え方(禅的な)に通じると考えられます。
それを空間(庭園)として表現したのが本堂後庭園ではないかという見方も出来るのではないでしょうか。
ここには、あるがままの自然の美という豊かさに溢れていました。
本堂後庭園はハナショウブの時期(アジサイ共)や紅葉の時期が特別公開をしているようです。通常時に見学可能かどうかは明月院を訪れた際に受付辺りでお聞きしてもらえたらと思います。
ということで、
今回はこの辺りで失礼します。
ここまでお付き合いくださりありがとうございました。
ではまた
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▼以前に綴った北鎌倉のお話
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