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欧米亜育ちのものの見方

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多様性や地政学、働き方について書いています。外交官の仕事、グローバルな視点、日本とは、について興味がある人、キャリアや生き方について考えている人はご笑覧ください。
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#仕事について話そう

インターナショナルスクールのキャリアパネルに出てきます【元外交官のグローバルキャリア】

インターナショナルスクールのキャリアパネルに出てきます【元外交官のグローバルキャリア】

明日は母校でキャリア・デーが行われています。現地にいれば朝食会にも出られたようですが、そのためだけにジャカルタに行くのも何なのでオンラインでパネルに参加します。「政府」パネルです。中学3年生から高校3年生がそれぞれ自由に関心があるパネルに出るようです。
高校のマスコットはコモド・ドラゴンで、私たちはドラゴンです。

Fellow Dragons,

I am a former government

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テロとの闘いの主戦場パキスタンでの外交官生活

テロとの闘いの主戦場パキスタンでの外交官生活

テロとの闘いの主戦場だった2000年代のパキスタンは、隣のアフガニスタンとセットで「アフパク」と呼ばれ、国際社会の注目の的でした。2008年のマリオットホテル爆破事件で始まり、2011年にウサマ・ビンラーディンが米国海軍特殊部隊に殺害されて終わる私のパキスタンでの日々の生活は、不条理や暴力が蔓延する混沌とした世の中で、自分のあり方を根本から問いかけるきっかけとなりました。国際政治と安全保障が専門の

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外交官になるべくしてなってやめるべくしてやめた

外交官になるべくしてなってやめるべくしてやめた

外交官になりたいと思ったことがなかった。

外務省の分野別臨時募集の中途採用試験を受ける直前まで、外務省に勤務したいとは思ったことがなかった。どちらかというと商社マンになりたかった。

でも聞かれた時のためにこういう答えを用意しておくべきなのだろうか。

<海外で育ち、国際政治に関心があったので国際公共政策の修士号を取得した後に外交官になろうと思いました。>

外交官になりたくない、と思ったきっか

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【グローバルキャリア】パキスタンで絨毯を紡ぐアフガン難民から学んだ地域情勢

【グローバルキャリア】パキスタンで絨毯を紡ぐアフガン難民から学んだ地域情勢

15年前にパキスタンに住み始めたころ、歩いて5分の絨毯店にいり浸っていた。英語が堪能な弟みたいな存在のジャベッドにアフパク情勢を教わりに行っていたようなものだ。

絨毯店が位置していた市場には至る所にInter-service Intelligence (ISI)というパキスタンの諜報機関が潜んでいると言われてた。靴磨き職人や土産物の店主がそうである可能性もあった。普段から壁に耳あり障子に目ありで

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パレスチナとかテロとか真実とか【元外交官のグローバルキャリア】

パレスチナとかテロとか真実とか【元外交官のグローバルキャリア】

イスラエル西岸地区やガザで、1980年代後半に「インティファーダ」と呼ばれるパレスチナ住民のイスラエルの占領統治への一斉蜂起運動があった。

それが高校生の私が国際政治に興味を持ったきっかけだった。「イスラエルは1967年戦争以前の国境線を戻すべきだ」というテーマで海外で通うインターナショナルスクールでディベートに挑むことになった。「真実」というものが存在すると信じていた頃、世の中をを白と黒でしか

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【グローバルキャリア】帰国子女は霞ヶ関文化に馴染めるか

【グローバルキャリア】帰国子女は霞ヶ関文化に馴染めるか

外務省は自分が想像していたとおりに日本的な官僚組織でした。それに馴染むのに多少の時間がかかりました。

思えば外務省が決まったことをアメリカの元外交官の教授に報告した時に「同化して、馴染む努力をしなさい。中途採用の人は国務省でもそれで苦労した。」と言われました。アメリカ社会でも官僚組織に馴染むのにはそれなりの努力が必要なのです。

一旦馴染むと、外務省は私を包んでくれて、良きに計らってくれました。

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