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パレスチナとかテロとか真実とか【元外交官のグローバルキャリア】

イスラエル西岸地区やガザで、1980年代後半に「インティファーダ」と呼ばれるパレスチナ住民のイスラエルの占領統治への一斉蜂起運動があった。

それが高校生の私が国際政治に興味を持ったきっかけだった。「イスラエルは1967年戦争以前の国境線を戻すべきだ」というテーマで海外で通うインターナショナルスクールでディベートに挑むことになった。「真実」というものが存在すると信じていた頃、世の中をを白と黒でしか分けられなかった17歳の自分には衝撃的だった。

新聞報道を切り抜き、ニューズウィーク誌やタイム誌をコピーし、賛成と反対の各々の主張のインデックスカードを作った。冬休みに東京に戻ってパレスチナ自治機構事務所でアラファト議長のサイン入りブロマイドをもらってきたり、イスラエル大使館で「虚偽と真実」という本を渡されたりした。

真実とは人の見方によって変わるものだ。一方にとってのテロリストはもう一方にとては平和の戦士だ。一斉蜂起なのか治安の悪化か。その土地はそもそも誰のものなのか。大きな問題の前で自分の意見なんてそう簡単に導き出せるものではない。できることは状況をなるべく正しく把握して、物事には解がないものもたくさんあるということをぼんやりと感じ取った。

自分が戻るべき国がない、あるいは自分の民の国は世界から集まった流浪の民で構成されている。そしてホロコーストを経験し、世界から背を向けられやっと建国したその土地は常に攻撃や虐殺の危険に晒されている。日本で生まれて日本国籍を持つ者には想像を絶する感覚だ。難民はどこで何にアイデンティティーを求めるのだろう。テロリズムとはなんだろう。暴力で意思を貫こうとする武装集団とは絶対悪なのか。それを制止しようとする正規軍や国家は一体なのか。国を守るということはどういうことなのか。攻められる、攻撃される、というのはどういうことか。それを意識しなくてはならない状況に身を置くことも、普通の生活ではなかなかない。


10年前のパキスタンでの外交官生活は、国際政治と安全保障を勉強した自分には新たな衝撃だった。担当は広報文化だったり大使の補佐官だったり、と外交や政治の前面に立ったわけではない。それでも自分がテロとの闘いの真っ只中にいる意味や、国際社会と主権国家、非国家主体と部族主義、テロとの闘いと統治について肌で感じて考えさせられた。

「暑いし水は無いし電気も止まるし、最低な国ですよね。」とのぼやきメールが同僚から入った。水道管が街を走っているのではなく、毎日市の給水車が給水所に貯水し、それが各家庭のタンクに流れていく。途中の配管がうまくいっていなかったり、水不足になると供給も少なくなり、文字通りの我田引水をする家庭が出てきたりもするらしい。電気も盗電や漏電もよくあるが、計画停電が一日数時間ある。パキスタン人有力者が住んでいる地域だと水や電気等行政サービスがわりと良いと言われ、自分もその一画の小さめの家を引き継いだ。

自爆テロや暗殺の暴力も問題だけど、法の統治や行政システムの欠如と蔓延する汚職が貧困層を絶望的にさせていることは今も変わらない。厳格なイスラムをもってしないと統治が難しい部族主義の厳しい気候の地ではどこも似たような状況だ。

危険地での私たち外交官の生活は優遇されていた。それもわかっている。海外青年協力隊で行った人たち、JICAやNGO勤務の人たちや現地に永住している人たちが私の不満を聞いたら怒るであろう。おまけに米語が専門だった私のたかが一度きりの赴任の感想を、3回、4回とパキスタンに戻る地域専門家の外務省の同僚が耳にしたら鼻で笑うだろう。実際「パキスタンって結構いいところだよね」と地域専門の同僚に言ったところ、「何度も戻ってくる身にもなってくれ」、と言われた。

バットマンのゴサムシティーみたいに悪が牛耳っている街があるとしよう。戦後の退廃した日本を想像してもらってもいい。物を手に入れるのは闇市、そしてそこはいろいろなグループの悪人がショバ代を巻き上げている。麻薬の密輸にも絡んでいる。警察は手を出せない無法地帯だ。汚職が蔓延していて、入国管理、地方行政、中央政権、警察、軍隊、諜報機関にもその恩恵に預かっている人達がいる。でも行政機関や法の執行が機能していないその土地では<悪>が慈善事業をしたり、裁いてくれたりする。<悪>が医療行為や食糧配布をしたりもする。<悪>は大家族の一員でもあるし、自分の父、叔父や兄弟であることもある。

真っ当に仕事をしようとすると馬鹿を見るような構造だ。職にあぶれた若者はとりあえず髭を長く伸ばして、よく知りもしないイスラームの教えと称してテレビやタイヤや学校を燃やしてみる。その行為は頭を剃り、黒ずくめになって街で見かけた外国人を叩きのめす欧州のネオナチの行動とあまり変わらない。世界には無秩序を好む輩はそこらに点在していて、非合法組織が鉄砲玉としてそのチンピラを使う。そこにはイスラムも原理主義も政治闘争も存在しない。あるのは世の中に対する大きな不満だ。

シルクロードを越えていたキャラバンの様に、密輸トラックが大キャラバンを組んでアフガニスタンとパキスタンを行き来している。国境地域はパシュトゥーンの部落が人工的に引かれた国境線をまたがっている。ジャングルブックのモウグリーはパシュトゥーンだ。車や家電から紅茶まで何でも横流しする大きな商売だ。麻薬も取引する。パシュトゥーン人はカラシニコフや銃を作るのもうまい。その地域は法治国家として行政をきちんと整備化なんかしたくない勢力だらけだ。無秩序を保つために罪の無い人から権力を持つ人まで何でも派手に殺戮することを厭わない。そして自分たちの手は汚さなくても、貧しくて荒んだ悪の予備軍は次から次へと溢れて来る。

そこに政府が軍隊を送り込んで、爆撃を繰り返す。チンピラを相手にどう戦争をしかけるのだろう。ハードパワーだけじゃ問題の解決にならないと言うけど、そんなところの貧困をどうやって救うのだろう。悪の組織は貧困も維持したいのだ。だからNGOだろうが、国際機関だろうが援助団体まで狙う。治安部隊ももちろん敵だ。
文明が衝突しているというより、混沌の中での経済利益を得ようとする力と国家体制と市場経済を保とうとしている経済戦争だ。政治的理念は無くて、秩序の崩壊を広げようとしている動き。無秩序を作り出すには国家と国家が戦争を起こしてくれたらこれ以上に商売の機会が増えるものは無い。だからカシミールにかこつけてインドやパキスタンを刺激、挑発することに意味がある。

パキスタンが大変だなあとニュースを見ながらつぶやいたら、母が「アル・カイーダがやっているの?」と問いかけた。そんな単純じゃないんだよね、と答えた。

外からCNNやBBCを通じてパキスタンを見ると、ただただアルカイーダ系が国内で悪さをしているみたいな単純構造に見える。それが映像メディアやネットニュースの仕事だろうけど、複雑な政治的背景を無視してケガ人と瓦礫を映して、テロ事件を言いっ放しで扱う。善人と悪人の二分構造に見える。そしてそれに対して何かしなければ米国本土や市場経済を明日襲ってくるかのように世論を煽る。

前線国家のパキスタンに対処療法を行おうとすると、バイトゥーラ・マスード率いるテヘリケ・タリバーン・パキスタン(TTP)の拠点のあるワジリスタンへの米の無人攻撃とかバジョール管区へのパキスタン陸軍の軍事作戦となってしまう。ゲリラ戦でテロリストの報復が法の執行機関に向けられる。それがラホールの警察学校への銃撃やイスラマバードの辺境警察の駐屯への自爆テロだ。TTPと法の執行機関への自爆テロの図式は分かりやすいし、タイミングとして金曜礼拝を終えて、土曜日の8時頃に行われるから予測しやすい。でも油断していると、マリオットの自爆テロみたいに土曜日午後8時という時間帯は同じだけど一般市民を狙ったパターンが突如勃発する。

マリオットとムンバイ事件はターゲットが似ている。欧米系と富裕層、というグローバル・ニュースを駆け巡る映像を狙い手口が派手だ。ラホールのスリランカチームへの攻撃もこの部類に入る。マリオットはフェダイーン・イスラムという無名の集団の犯行声明だ。ムンバイはカシミール開放を求めるラシュカール・エ・タイバ(LET)との関連性がインドに指摘され、ラホールで逮捕されたのはワハビ系のラシュカール・エ・ジャングヴィ(LJ)の関係者だ。

この中でタリバン系として知られているのはLJ。でもLETもLJもアフガニスタンの北部同盟のムジャヒディーンの流れだからTTPとも繋がっているかもしれない。そしてその流れだと昔対ソ連で繋がったウズベク系、チェチェン系、アラブ系からタジク系までのグローバルなオペレーションだ。霞ヶ関で<北方領土を返せー!>、と叫ぶ極右が複雑な集合体であって政治目的を持たないのに似ている。

そんな折に誘拐されていた国連高等難民弁務官事務所のソレッキー氏が開放されたみたいだ。これはバロチスタンのBalochistan Liberation United Front という天然資源が豊富だけど開発が遅れているバロチスタン州の独立自治を謳っているとされている集団が犯行声明を出している。この集団も新しいっぽい。中国が開発しているグワダル港の所有権を巡って、バロチスタンの代表が連邦政府ではなくてバロチスタン自治州に渡せとも言っているらしい。でもバロチスタンは貧しすぎて自治能力はない。

限りなく地元の暴力団との仁義無き戦いの要素が強い。タリバン系は一般市民を避けるという声明を出すけど、末端で働く現場の警察官も一般市民と紙一重だし、必ず市民の巻き添えは出る。この前のシーア派の宗教行事のムハラムも無事に過ぎて、最近なりを潜めているのがイスラムの派閥間のテロだ。そう思ったら先週自爆テロがあったチャクワルではシーア派の一般市民が標的にされて26人の死者と30人の負傷者がでた。与党PPPと野党PLM-Nとの政局のロングマーチの後はラワルピンディでバスを待っている人たち十数名が自爆テロの犠牲となった。

誰が何かひとつの目的の為に、テロを行っているのではない。それぞれがそれぞれの思惑で、暴力を表現の場にしている。でも無秩序と法の無支配という目的を同じにするし、資金源確保のためにマリオットやムンバイみたいな派手なこともする。そして国を牛耳る封建地主たちは自分の私利私欲さえ守れれば、バロチスタンやワジリスタンやスワートがタリバンの手に落ちようがあまり本気で心配はしていない。いざとなったら国を捨ててドバイやロンドンに逃げようと思っているだろう。



10年前にパキスタンで見て感じて考えたことの固有名詞の一つ一つを置き換えることができる。世界で起きている色々な非国家主体と正規軍との対立は地政学的にどこもそう違わないだろう。イスラエルやガザのニュース映像を観ていると、レンズに写っていない周りの風景や自分が知らない複雑な事情が予想される。真実も善も悪も、解もどこにもない。あるのは私利私欲と命や魂の犠牲だけだ。

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