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外交官になるべくしてなってやめるべくしてやめた

外交官になりたいと思ったことがなかった。

外務省の分野別臨時募集の中途採用試験を受ける直前まで、外務省に勤務したいとは思ったことがなかった。どちらかというと商社マンになりたかった。

でも聞かれた時のためにこういう答えを用意しておくべきなのだろうか。

<海外で育ち、国際政治に関心があったので国際公共政策の修士号を取得した後に外交官になろうと思いました。>

外交官になりたくない、と思ったきっかけはいくつかある。

インドネシアに引っ越して1ヶ月程度の1984年の秋、まだ現地の言葉も英語もろくに話せない中学生の頃、週末の日中にビリビリという振動があった。
それが爆破音だと知ったのは後のことで、妹が通う日本人学校の窓ガラスが割れ散ったと知った。タンジュンプリオク事件のさなか、何かあればすぐに逃げ出せるように洋服を着たまま床に着いた夜もあった。政治不穏からデパートの放火や暴動があった時に、頼りになったのは父の勤務先の総合商社だった。

アメリカやオランダ大使館からは避難命令が出たようで、私が通うインターナショナルスクールの授業中にクラスメートが次々と親に連れ出されていった。日本大使館から海外安全情報が出る時代ではなく、日本人で授業中に迎えにきたのはうちくらいだったと記憶する。スーツ姿でクラスに現れた父を誇らしく思った。

その日は、市街地から離れた場所に連れて行かれた。そこには奥様達が用意したおにぎりが並び、しばらくそこで和気藹々とした時間を過ごし結局何事もなく帰宅した。後に他社の人たちから避難したことを大袈裟と揶揄されたと母から聞いたが、この地政学的リスク管理は自分の中に染みついた。商社ならではの合弁企業を通じた現地の大物に通じた情報網を駆使した安全策だった。そんな商社勤めの父が頼もしかった。

高校生になり、インターナショナルスクールの調べ物をするのに自分で電話をして気軽に大使館に話を聞きに行くようになった。アメリカ大使館の公使やドイツ大使が講演に来校し、先生に次は日本大使館に電話して講演依頼をするように言われた。

きちんとしたルートで依頼をしたら違ったのだろうが、突然電話をかけてきた高校生に対して、日本の外交官はぞんざいに聞こえる態度で「英語で講演できる人はいない」とニベもない。外交官なのに英語で高校生相手に講演ができないのか、と情けない思いで先生に報告をした。

その後大学のゼミで国際政治を専攻しても、外交官試験は全く頭になかった。二度目の転職でアメリカ大使館に勤務した時も、効率や労力を顧みない、激務で酷使されている外務省の同年代の人々と接して、自分には縁がない世界だと思っていた。

外務省を目指したきっかけは国連訪問と飲み会だった。

アメリカ大使館を辞職して、ワシントンでの大学院の卒業を控えて、ニューヨークの国連本部にも就職活動で足を運んだ。前回同様に、私の興味の対象は国連ではなく国家主体であって国連で日本を代表することだと再認識した。議論が膠着してしまう国連よりも、日本が世界を良くすることが出来る、と思った。日本はもっと活躍すべきだ、と。

そんな時に、飲み会に誘ってくれたワシントンの大使館の参事官達が外務省の中途採用試験のことを教えてくれた。その次の飲み会では試験のアドバイスも受けた。

中央官庁での激務に耐えられるとも、霞ヶ関文化に馴染めるとも思わなかったが、それを判断するのは自分ではない、と考えて受験した。そうして手にした合格通知だった。

いざ外交官になってみてからその理由を振り返ると 

外務省では色々なことをやらせてもらって、色々な人と出会い、またとない機会を与えてもらった。
日本文化を広める仕事をしていた時は、裏千家の大宗匠の献茶に出席し、総領事公邸でYOSHIKIさんの隣に座り、坂東玉三郎さんとシルクドソレイユの話をした。中学生や高校生の日本語スピーチコンテストの審査員をし、日本への留学希望者の研究内容を吟味した。JETプログラムのALTを選んで、日本の各地に送り出した。

副大臣の通訳をしていてキッシンジャーに話しかけられたとき、条約交渉をして妥結点に達したとき、国連で日本代表のバッジを付けて議場に入ったとき、外交の世界に憧れがあったことに気がついた。
国際政治や地政学、各国政治経済分析は果てしなくわくわくした。

そうなると<中学生の頃から、日本が世界で活躍することで世界が良い方向にゆくと思ったから>私は外交官になったのだろうか。

<冷戦下での生活と開発途上国での政治不穏や貧富の差を経験し、日本の力で世界に貢献したかったから>外務省に入ったのだろうか。高校卒業までに民主主義、法の支配、人権の意味を冷戦下の西ドイツや開発独裁のインドネシアでの生活で痛感していた。


そして、入った時と同じようにするりと外務省を辞めた。

今、私が出来ることをするために。
 身の回りから世の中を良くするために。
  わたしの力で幸せに出来る人を幸せにするために。


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