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テロとの闘いの主戦場パキスタンでの外交官生活

テロとの闘いの主戦場だった2000年代のパキスタンは、隣のアフガニスタンとセットで「アフパク」と呼ばれ、国際社会の注目の的でした。2008年のマリオットホテル爆破事件で始まり、2011年にウサマ・ビンラーディンが米国海軍特殊部隊に殺害されて終わる私のパキスタンでの日々の生活は、不条理や暴力が蔓延する混沌とした世の中で、自分のあり方を根本から問いかけるきっかけとなりました。国際政治と安全保障が専門の自分の視点は大体政治社会学的に国家や国民性という枠組みを通して人々の生活を見ているようです。個人、家族、地域社会、地方自治体、国家、国際社会や外交関係、そんなレンズで生活や情勢を眺めています。そこの徐々に当事者としての自分、外交官としての自分、日々の自分、といういろいろな立場の自分という視点が加わりました。


2008年、テロとの闘い真っ只中のパキスタンへ

15年前のちょうど今頃、私は成田からパキスタン航空に乗ってイスラマバードの在パキスタン大使館に赴任しました。タリバンやビンラディン率いるアルカイーダやイスラム原理主義の国際テロが華々しい頃で、アメリカの外交官女性の友人がパキスタンはラホールの総領事館に赴任した時には「流石に日本政府は女性をイスラム国家に送り込まないだろうな」と人ごととして捉えていた矢先のことです。

ワシントンの高等国際関係大学院で一緒だったパキスタン人の同級生に恐る恐る「イスラマバードってどんなとこ?」って電話して聞きました。「大丈夫、ニュースで目にするようなことばかりじゃないから。みんな現地でそれぞれの生活を送っているんだよ。」と言われて多少は気持ちが落ち着きましたが、他のアメリカ人の同級生に報告すると「Are you crazy?!」とまるで私が自分の意思でパキスタンに行くことにしたかのような反応でした。

おまけに、出発直前には日本の新聞に「ムシャラフ大統領退陣!」と一面に出ました。しかもその半年程前は、インドネシアで高校生だった私がひそかに憧れていたイスラム諸国の初の女性首相のベナジール・ブット元首相が暗殺され、その地域を担当していた外務省の友人とのランチが吹っ飛んだばかりでした。自爆テロ、銃撃戦、暗殺というおどろおどろしいニュースだらけのパキスタンについて何も知らず、南アジア地域にも疎い自分が、公用語が英語で、安全保障を専攻ということ?で楽園ハワイの総領事館での勤務の後の任地として送り出されたのでした。

早速マリオット爆破テロに遭遇 

パキスタンに越して3週間の2008年9月20日に世界のメディアが注目するほどの爆破テロがありました。54人死亡、266人が負傷。この規模の自爆テロはその頃部族地域や軍や警備隊を狙って、日常的にパキスタン各地であったのですが、米系ホテルで外国政府関係者を含む外国人死傷者が出たことから衝撃も注目も大きく、日本の家族や友人達には心配をかけました。自分が綴っていたブログを安否確認に使う友人もいて、当時の投稿では家族や知人を安心させようとしてか、翌日で実感が湧いていないのか、軽快なトーンに努めているようです。こんなどよんとした緊張感と不条理が日常だったパキスタンの生活がスタートです。

「生きています。盆踊り大会でした。」
日本人学校で日本人会主催の盆踊りの真っ最中、8時頃にボンッと爆発音が。隣には防衛武官がいて、「爆発だ。」と携帯を取り出す。けっこう近くでの爆発だけど、大使館群域内(* 各国大使館が立ち並んでいる検問を通って入る壁に囲まれた特別地区)ではない、とりあえず心配はないな、と自己判断。2度目に予定されていた炭坑節はキャンセル。爆音と和太鼓の音の響き方は似てなくもないし。閉会予定の9時まで大使官群域内は封鎖。

 マリオットはよく利用する警備体制がしっかりしているホテル。土曜日の夜ならば日本人がいても不思議ではない場所。そのテロ攻撃のときに日本人が別の場所に皆集まっていたという幸運。やっぱり危険は私を避ける。マリオットから遠くはない自宅も確認したところ破損もなし。本日は住居のアラームも設置。侵入者よりも爆風が心配かもしれないけど、定位置は爆風の通り道に無いところに設置。

 ニューステロップが流れた途端にパキスタン人同僚2人から安否確認が入る。ウルドゥ語を教えてくれている同年代のガザーラは心配のあまり涙声だ。これだけのパキスタン人が私の無事を願っていれば(若干2名)だいじょうぶ。

2008年9月20日ブログ投稿

じわじわと自爆テロの実感に涙する

その後は、夜中の雷の音を爆音と間違えて飛び起きたり、テレビに「Breaking News!」と繰り返し映る爆破テロ現場の映像ばかり観ていてちょっと二次的なトラウマ状態になっていました。爆弾を積んだトラックでマリオットホテルの門まで入った自爆テロは、主には駐車場で待機している多くのパキスタン人運転手達の命を奪ったといいます。

なぜ?どうして自分の命を捨ててまで誰を殺めようとしているのだろう?結果として同胞達が犠牲になるのに?私は何のために国際政治や安全保障を勉強したの?どうしたら爆弾を巻きつけて、関係ない人たちを巻き添えにして死のうという人がいなくなる世の中になるの?そんな疑問が頭を渦巻いていて不意に仕事中に頬を涙が伝うこともありました。

それでも3ヶ月も経つと、わけもなく涙が出てくることに「あ、そうだ先週自爆テロがあったんだ」と自分で気付いて納得して軌道修正するようになります。積極的に気晴らしをする、制限が大きい生活の中で小さな楽しみを見つける、ということに貪欲になっていきます。

1ヶ月経っての日本との度が違う比較

ひと月目で特に驚いたのは紙面で目にする部族地域での女性への人権侵害や暴力です。名誉殺人なるものは、イスラム文化というよりも部族主義が背景にありました。ノーベル平和賞を取ったマララ・ユースフザイはパキスタンの部族地域の出身なので、そこでタリバンが教育を続けるために学校に行こうとする彼女を狙い撃ったわけです。女性の活躍、教育機会は暴力で封じられる世の中。当たり前ながら男女平等は推進されていません。

知識としてあった結婚相手とは結婚式で初めて会うとか、結婚するまでデートの機会はないとか、全てがそうではないにせよ結婚の位置付けが違うということを目の当たりにしました。女性が独り立ちできるような環境では到底ないわけで、これは部族主義とイスラム原理主義とが混じった考え方です。
ちょうど断食月のラマザーンに到着したこともあり、皆が厳格に断食して熱心にお祈りに行くのが印象的でした。同調圧力の次元が違いました。アッラーが見ているだけでなく、過激な原理派からの爆破テロの対象にもなるのですから。

『Dazzling Differences 眩いばかりの違い』

<Where I come from:(日本では)>
- we read up and down from right to left or horizontally from left to right. (縦なら上から右から左に読む。横なら左から右に読む。)
- a word consists of consonants and vowels. (子音と母音で言葉を形成)
- the alphabet equivalent only has sa and za. (「サ」と「ザ」の以外書きようがない)
- say "shoganai" (can't be helped) and work all night to get something done.(「しょうがない」と言いながら作業を夜鍋してでも終わらせる。)
- women await their husband's return kneeling and three fingers on the floor (*once upon a time).(妻が三つ指ついて夫の帰宅を迎える(*時代もあった)。)
- people decide to get married after a few dates when introduced through omiai (help by Japanese yenta). (お見合いしてから数回デートして、結婚を決める。)
- not many worship anything. (信仰心はあまり何に対してもない。) 
- the US is a friend and ally. (米国は友好国であり、同盟国。)
- people think Pakistan houses Taliban. (パキスタンがタリバンを匿っていると思われている。)

<Where I am at: パキスタンでは>
- they write horizontally from left to right.(文字は左から右に書く。)
- consonants are joined together. (子音どうしがつながっている。)
- there are already four different s and z sounds and more further down the alphabet. (SとZの音が最低4つはあって聞き分けられない。)
- say "inshallah" - up to God and nothing gets done. (「インシャラー」と言って神に委ねて仕上がらない。)
- women are buried alive in the name of honor. (名誉の名の下女性が生き埋めされる。)
- people marry somebody they have never spoken to. (口を聞いたことともない人と結婚する。)
- pretty much everybody prays and fasts. (ほんとどの人が神に祈り、断食する。)
- the US is a raging destroyer.(米国は怒れる破壊者。)
- people say that Taleban is really controlled by America. (ターリバーンは陰でアメリカが操っているとされる。)

2008年9月12日

パキスタンでの「ちょっといい話」は新聞記事にならない

仕事柄、日本の大手新聞や通信社の支局長達と話す機会が多く、何を話していてもだいたいはテロや脅威、治安や警備対策の弱さに回帰してしまっていました。そしてそれもパキスタン発の記事についても同様だったといいます。「いい話」は取り上げてもらえない、と。当時はインドでも同数のテロ件数があったのに報道はされず、パキスタン=過激派によるテロというストーリラインが日本のメディアのみならずBBCやCNNでも作られていたのです。パキスタン政府は機能不全で法秩序はガタガタなほどに汚職も横行していて、治安も統治も弱々しいものでした。そして、辛うじて国家として機能している分、資金を動かしたり、交通網や移動手段を活用したり、と過激派テロ組織にとっては格好の活躍の場でした。末端のレベルまで汚職が横行しているので、適切な納税や税収は望めず、経済活動は停滞しインフレ率は25%、電気やガスの供給がままならず計画停電や突然冬場にガスが止まることもままありました。行政サービスや基本的インフラは期待できません。

ムシャラフ将軍からブットの寡夫の「ミスター10%」ザルダリに

軍事政権から民主政権の移行は西側メディアには耳障りが良いものでしたが、就任当初からザルダリ大統領はなんでも10%を懐に納めるの「ミスター10%」と呼ばれていました。歴史的にパキスタンの統治機能が向上し、女性の進出、国際社会と協調しての援助によるインフラ整備がなされるのは、汚職に塗れた民主主義をみかねて軍が戒厳令を敷いて軍事政権を築いた時代とも言われます。ムシャラフは特に世界銀行にもウケがよく、米政府ともテロとの闘いに協力するという建前で両国の関係を改善しました。ただし、パキスタンの大統領は最期は汚職で起訴されロンドンやドバイに逃亡するという流れになっており、権力にしがみつこうとしたムシャラフも同様でした。

イスラム国家としてインドから分離独立したパキスタン

パキスタンはインドのカースト制度に嫌気がさして、平等なイスラムをを基にした国家を創ろう、という名目で分離独立したとされる宗教国家です。そして、石油や天然ガス等天然資源にも恵まれない国として拠り所は宗教と核保有国であるというプライドであるとみました。だからこそ、政教分離や世俗化というオプションはないように映りました。これはパキスタンに限ったことではないでしょうが、イスラム断食月には、経済活動も作業も著しく滞ります。持病がある高齢のお母さんでさえも「今年が最後かもしれない」と断食をして困っている、と嘆く同僚もいました。でも、イスラムといっても多様で、内部紛争が絶えません。大半はスンニ派でマイノリティーのシーア派やアハマディに対するテロ事件も多く、シーア派の大きな祝日には日々の生活でもテロへの脅威が上がり、警戒していました。キリスト教徒や教会に対するテロもありました。多様性や包摂性はどこ吹く風です。

不条理を理解しようとするよりも気晴らしを

テロ脅威が上がると自宅に篭り、やることもなくタリバンや原理主義についての本を読んだりして理解ができない不条理について学ぼうとしていました。そんな話を南アジアの専門家の同僚にすると笑い飛ばされ、危険地の任務はマラソンなんだから気分転換をすることに集中するように諭されました。読書であれば、なるべく関係のない本を読むこと、とガブリエル・ガルシア=マルケスの「コレラの時代の愛」を勧められました。平気だと思っていても3ヶ月に一度は国外に出てリセットすることの重要性を説かれました。リセットについては大使からも全員にお達しがありました。だんだん危険慣れしてしまうから、大丈夫だと思っている時にこそ一旦平穏な地に身を置くこと。この教訓は、当時としてはわずか5年前の2003年にイラクで奥大使、井上書記官と同僚の大使館職員の運転手さんが襲撃されて殉職されたことから生まれたものでした。しばらく継続して勤務していると自分は大丈夫という慣れからくる錯覚から危険を省みる感覚が鈍るという認識が広がっていました。

誘拐されたら大人しくするか、後ろから撃たれてでも逃げるか

着任してその週にも、大使館内の警備班を訪ね、県警と陸上自衛隊から出向している同僚に脅威について話を聞きにいきました。警備に関心を持つ同僚が少ない、と驚かれつつも歓迎され、自爆テロが起きる周期、爆風の通り道、自爆テロ実行犯を見分ける方を教わりました。自爆テロ犯とは、服の下の胸元が巻きつけた爆弾で膨れ上がっていて、大事な日の為にきちんと洗濯されてアイロンがかかっているシャルワー・カミーズ(長いシャツのパジャマのような現地の服装)を着ているとのこと。やはり正気では自爆するのは怖いので、覚醒剤を投与され、目が泳いでることが多いとも聞きました。被害者数を多く出すためにお祭りや人混みを狙うので、市場に出かけた時は周囲の人の様子に常に気を払うようになりました。

国連が「誘拐された時の対応」というビデオを出しており、誘拐犯を刺激しないように大人しく言うことを聞き、救出される希望を捨てないようにとの案内でした。でも2002年にはウォール・ストリートジャーナル紙の記者が誘拐の末、斬首映像が誘拐犯に公開されたばかりです。警察出身の同僚とは、何があろうと抵抗して逃げてそれで後ろから撃たれたらその方がマシと言う結論に達すると共に、まずは誘拐される事態を防ぐことで一致しました。その頃外交団は皆車のナンバープレートを外交プレートから一般プレートに変更し、通勤路はできるだけ一定にせず時間もずらす工夫をしていました。

毎日の通勤では車の下も爆弾が仕掛けられていないかをミラーで確認し、イベントに参加する時には必ず事前登録をして名簿で照合しホテルに入る時も金属探知機を通ると言うのがわれわれの日常でした。そんな最初の数ヶ月で、パキスタンと言う任地を好きにも嫌いにもならず、冷静に客観的に見つめて、日本として何ができるかを見極めていこう。仕事での自分の役目は何なのか、どうすればこの不条理を解決できるか、そして誘拐されたり殺害されたりすることなく、心身共に無事に任期を終えよう。それには日々の小さなしあわせや楽しみを見つけようと誓ったのでした。

世の中を変えるには身の回りの小さなことから

職場の先輩が「もうすぐ誕生日でしょ」と自宅にご飯に呼んでくれたり、同僚たちと集まったり、イタリア人が自宅の庭でナンの窯をひっくり返したピザ窯で焼いたピザを振舞ってくれたり、積極的に楽しみ、小さな幸せを見つけるコツはコロナ禍でも活きた気がします。楽しむと共に、この政治暴力に溢れる世の中を日本の力で何をどう解決できるだろう、自分の業務に課された中で出来ることはなんだろうと考えていました。それを考え続けて過ごし、世の中を変えたいのであれば身の回りの小さなことを自分の行動でどうにかすることしかない、と悟りました。

数年間の間だけ自分の部下となるパキスタン人の同僚、身の回りの世話をしてくれるコックや運転手に対して、そして自分の仕事を通じて長期的に誰の役に立てるのか、仕事外で遭遇した青空学校の子供達がわたしから何を得られるか、それを考えて行動することで、爆破テロ、女性に対する暴力や暗殺事件と隣り合わせの3年間をある意味マインドフルネスの力で乗り切りました。

部下たちには目標設定をはっきりさせて自由にやってもらうこと、ジェンダー間の異文化摩擦は丁寧に皆の言い分を聞くこと。個人として雇っている料理人や運転手には、厳しくてもフェアに接し、英語を身につけてもらい、料理のレパートリーを増やしたり、とそれぞれの強みを見つけて学び続けることで自信をつけてもらい自分たちの生活を向上させること。青空学校の小学生たちには、多様性を受け入れるという概念を知ってもらうこと、感染症を防ぐためには手を石鹸で洗うこと、相手を叩いて黙らせるのではなく話し合って解決することの3点に、紆余曲折の末に辿りつきました。

これらの詳細についてはまた改めて書きたいと思いますが、青空学校の子供達に衛生観念を身につけてもらうためには、料理人や運転手にも指導を手伝ってもらいました。彼らには、自分たちにもパキスタン社会を変える力があることを知ってもらえたと思っています。自爆テロが起きるたびに無力感で押し潰れそうになる自分が精神の安定を保てたのは、はっきりと感謝の気持ちを言語化してくれるパキスタンの人々からかけられる言葉、石鹸を手にして喜ぶ子供達、そして思いがけなく示される親切や気持ち、そんな持ちつ持たれつの関係だったと振り返ります。

それがどう今につながっているか

同じ時期に1年ほど滞在していたアメリカ人である夫のパキスタンの印象は全く違ったもので、私がパキスタンの思い出を語るとあまり良い顔をしません。外務省のパキスタンが専門の同僚たちは、一回限りの自分と違ってもっとディープに入り込み、様々な時代のパキスタンを繰り返し体験するので、より多面的に長い時間軸でこの国と向き合います。
そういう意味でも、英語のみで仕事をし、一番注目されていた時期で、しかもほぼイスラマバードの特別居住区のみで生活していた自分は、表面しかかすっていない「お客様」でした。たしかに、もう一度数年間過ごせと言われたら、良い思い出はそっとそのままで大事にしたいと腰が引ける気がします。でも、あまりにも生活環境も価値観も文化も違い、脆弱な国家のパキスタンでの外交官生活は、私の意図性や世界観を大きく変え深い印象を刻みました。
そんな十数年前のことがあり、コロナ禍を経た東京で外交からも組織からも離れ、自分が今この時をどう生きるかに向き合っているのかもしれません。 


おまけ Musings from my daily life, back then

Ramazan (Pakistani for Ramadan) started yesterday and the bombings happening around the country temporarily ceased. I walked over to the Security section and had them give me a briefing. The security officers, a Self-defense Force service person and a police officer were shocked that an Embassy staff would be interested in what they do and to take the initiative to learn to protect themselves. I told them that I was raised that way. We went over to my house with the security company and we identified threat locations and my escape route. With the worst-case scenario and an evacuation plan, I feel good.

I also learned that the suicide bombers aim at congregated Pakistani law enforcement personnel and that the recent bombing at an Italian cafe was aimed at FBI people hanging out. When eating at sidewalk cafes, I will make sure to stay inside of the building at all times. I have already instructed my driver to be around the car when waiting at the market to make sure that nothing is done to the car. Not that anyone would really single me out. Now I know that markets are okay to visit and after the Presidential election, I will be visiting markets.

As another security measure, I take daily Urdu lesson for half an hour, which ends up being 45 min. My colleague in the section offered to teach me the language, starting with the script and pronunciation. The lesson commences at 3:00 pm, when the Pakistani staff are excused due to the fast and we agreed that we will continue throughout the Ramazan period when business is slow. By the end, I hope to pick up some words when danger is creeping up. All these measures empower me and give me freedom to enjoy life in Pakistan.

2008年9月3日

The most circulated paper, the national TV and the wire service correspondents were there. While we tried our best to bring our conversation to fun and bright things, we kept coming back to the threat of terrorism and the absence of proper security measures. So it goes with the reporting. Nice stories out of Pakistan don't sell. Our neighboring India is suffering equal amounts of terrorist attacks, but as long as it is kept domestic, the BBC and CNN don't pay attention. But the West sees the creeping insurgency of militants in Pakistan as their direct threat. Pakistan is associated with terrorism, while it really is not a terrorist state - just frail, corrupt and absolutely incompetent.
The bigger threat here over terrorism is really is the economic downfall that the new government is completely oblivious about. Corruption is spreading among the lowest of officials, which is a cyclical trend in a civilian administration here. Food prices are on steady rise, inflation at 25%, the rupees lower to the already low US$.

Civilian administrations may ring sweet to the ears of Western Democracies, but historically, governance, emancipation of women, infrastructure building are done all under military rule. If only Musharraf had not ousted Chief Justice Iftikhar Chaudrhry and if Musharraf had not clung to power. The only moderately functioning entity is the army and as has been the case with past civilian rulers, Zardari cares very little about the fundamental betterment of the country.

Of course in the eye of my driver, things used to be nice and peaceful in Islamabad and Musharraf messed it all up. With the exchange of broken English words, I was not going to explain to him that greater forces were in play during Musharraf's reign and that is was not entirely a domestic issue triggered by Musharraf.

Now I notice my generator running again. What is wrong with the power supply here? We are having a power outage every other hour! (after electricity coming back in twenty minutes, I noticed that it was not a controlled outage)

Pakistan is smitten with no oil or natural gas, clinging to Islam while the major Islamic powers views her peripheral. Because Pakistan's identity rests on Islam, secularization is not an option. But the entire nation at halt during prayer times, significant drop in activities during Ramadan and with their internal religious struggle is not going to appear favorable to foreign investors or donor countries - not that the G7 has any money to spare other than rebuilding their own market.

Aside from staying well and alive, my mission during my posting is to remain objective about the country in which I am serving. Diplomats often fall under the trap of being attached to, or dismissing the country of posting. I don't need to love Pakistan nor do I need to hate it.

2008年10月17日

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