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人を愛すれば必ず愛は返ってくるのか、とかいうお話。

若い時、「心から好きで自分も心から相手を愛したら、必ず愛を返してくれるはずだ」と思っていた。それはある意味は正しくて、家族や親戚との信頼関係は基本的に長いこと維持できているし、学生時代の友人も、心を開いたら相手も心を開いてくれて、今でも交流がある人はたくさんいる。

ただ、絶対ではないことを、後々知ったのだ。

ひとつはブラック企業。一度、私はITの制作系の仕事についたことがある。クリエイティブな仕事には前から興味があった。昔から文章を書いたりデザインを考えたり、コンテンツを作ったりするのは好きだ。ITは自分にとっても身近なもので、ユーザー目線で作ることができそうだと思った。この地方では最も大きなインフラ系企業のグループ会社で信用できそうだったし、自治体系のWebサイトやシステムを作っていて、顧客が自治体なら直接的な社会貢献にもなるだろうと、心からその仕事内容には共感した。熱烈なオファーを受け、選考を受けて内定が出たので、入社した。

しかしそこはなかなかにブラックであった。制作はブラックが多いというがそれはその通りで、マネジメントが存在しなかった。管理職がいなかったのである。名目上の上司はいるが、役職があるだけ、また何かの折にハンコを押してくれるだけで、私の勤怠や仕事量は一切把握していなかった。「Kumikoさん、新しい案件、やる?」それが仕事の打診だった。私はほかの人の仕事量を把握していないし、みんな残業続きで忙しいし、私が選ばれたということは私は相対的に余裕があるのだろう、賃金に対しての仕事量をもっと増やすべきなのだろうと、「はい、やります」と答えた。そうこうするうちに私の仕事量は膨れ上がり、毎日夜10時くらいまで働く感じになった。でも仕方なかった。みんなわりとそうだったから。教育制度もほとんどなかったし、人に聞くのをよしとされている雰囲気もなかったし、何より誰かに聞いてもそれが間違いのことがほとんどだったから、仕事の全体像がよくわからないまま、他人のアドバイスをもとにこなしては後手後手にミスや不備の対応をするばかりで、いいものを作れてる実感は全くなかった。いろいろ案件を担当させてもらって経験は積めたので、2年ほどでそこはやめた。やめた後も精神的な休養が必要で、2か月くらい無職で過ごして、それから転職をした。

もうひとつはモラハラ系の恋人。その人はイケメンとかハイスペとかいうことでは全然なかったのだが、前世からの因縁なのかなんなのか、心惹かれて、出会ってすぐに意気投合して、あれやこれを経て、向こうからの積極的なアプローチもあり付き合うことにした。当時はとにかく彼のことが好きで、一緒にいるとウキウキして細胞が活性化したし、何かの脳内ホルモンが出た。彼の考え方も、目指す方向も、それに向かってもがいているさまも、未熟さも、すごく好きだった。価値観も似ていて、話をしているといつも楽しくて、お互いに相性はよかったと思う。

ただ、先述の通りモラハラ系であった。気に食わないことがあると瞬間湯沸かし器のように怒り出す人であった。私の先述のブラック企業での仕事が忙しく、ボロボロになりながら遅い時間に仕事を終えて、当時転職を控えて無職の彼と待ち合わせて飲み屋に入り、スマホに入っていた友人からの旅行計画についての連絡に「ちょっとスマホ見るね」と言って3分ほど返信をしてたら、「俺を放っておくな」と怒り出した。「スマホ見るね」の一言が周りの雑音で聞こえていなかったらしいが、それにしてもひどい怒りようであった。自分が王様のように扱われないと、子供のように怒り出す人であった。結局2年間付き合っている間何度も何度も喧嘩して、最後はポイと捨てられて別れた。わりとボロボロになり、回復には2年ほど要した。

私は、その企業のことも、彼のことも、ちゃんと好きであった。「この仕事、やってみたいな」と思って応募したし、「この人ともっと一緒にいたい」と思って付き合った。スペックとか聞こえがいいとかでなくて、その理念や価値観を好きになって選んだ。確かにその企業に入る前に「多分忙しいしきついだろうな」と思ったけれども、仕事が好きなら乗り越えられるだろうと思ったし、その人と付き合う前に「自己中そうだし、この人と付き合っても大切にはしてもらえなさそうだな」とは思ったけれども、好きなら乗り越えられると思った。結果、どちらも乗り越えることはできなかった。ブラック企業勤務中、モラハラ男と付き合っている期間中、ずっと不幸だったし、精神的に参ってしまって、自己肯定感も下がってボロボロになった。もちろん自分が至らなかったのだが、至らなくても優しくしてくれる企業や人は、当時他にちゃんといた。ただ彼らは、そうではなかった。

なお、かの企業と彼なりには、私を大切にしているつもりのようであった。その企業は、(傍から見れば従業員を雑に扱っているのであるが、)「十分に給与も休みも与えているのになぜ人が定着しないのか」と本気で不思議そうであったし、彼にも、「僕は君にとても気を遣っているのだ。だからそれを考慮しろ」ということを大真面目に言われた。

この経験から思うのは、「人を大切にする能力」というものが組織や人にはあるので、それをきちんと見たほうがいいということだ。そしてそれは、「人を欲しがる能力」とはまったく別のパラメータだ。いくら「君みたいな人材に入ってほしい」と熱烈に言われたとして、それは「人を欲しがる能力」がある証明にはなるが、「人を大切にする能力」があるとは限らない。いくら「君のことが好きだ、付き合いたい」と熱烈に言われたとして、その人が付き合って自分を大切にしてくれるとは限らない。入手する、獲得する、Getする力に長けていても、維持する、運用する、Haveする力があるとは限らないのだ。

この「人を大切にする能力」がない組織や人は、いくら自分が大切にしても、その愛を返してくれることはない。だってその能力がないから。いくら自分が上手に相手の肩を揉んであげても、その上手さを知覚したり、その労力を慮ったり、自分も人の肩を揉んであげる能力がない人は、お返しに私も揉んであげるよ、ということにはならない。ありがと!と口先だけ言って、さらに「もう少し強めが好きなんだよね」とか「今日の肩揉みまだ?」とか「前より下手になった。練習してよ」だとか平気で言ったりする。そこで「見返りを求めてはいけない」と自分ばかり奉仕してると、体力ばかり失って疲れていいことないので、やめるのがよい。「これだけ相手を好きで大切にしているのだから幸せになれるはずだ」と思うのは、ある種の独りよがりな思い込みだ。

なので、今もし「一生懸命やって成果もあげているのに会社に(顧客に)大切にしてもらえていない。感謝されない」とか、「恋人(友人、家族その他)のことが大好きでとても相手のことを考えているのに、自分は大切にしてもらえない」と感じていてつらいなら、頑張るのをやめて自分を大切にすることを検討するのが良い。奉仕の精神としてそれをしたいならいいけれども、そうでなくて疲れてしまうならば、そんなやつとは距離を置いて、自分を大切にするべきだ。世の中には、いくら頑張っても報われないことはある。真心だけじゃだめなこともあるのだ。一途であれば、健気であれば、愛を持って奉仕すれば返ってくるかと言うと、返してくれる人と返してくれない人がいるのだ。最近、若い人を中心に、自分を犠牲にしすぎる人が多いように思うので、ぜひこの事実を知り、自分を守っていただきたいと思う。

そして自分も。「人を大切にする能力」を磨いていきたい。今身近にある・いる組織や人を、ものを、自分を。きちんと大切にできているのか。甘えていないのか。そして、「自分を大切にする能力」もきっと同じこと。人と自分を大切にする能力を磨いて、他人と自分に優しくしたい。そう思っている。

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