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鉄道駅の先から向かうもの

「やっぱりこないかなぁ」ここは広島県の尾道と三原の間にある糸崎駅である。夜遅くのプラットホーム。この駅はかつて機関区や車両基地などがあった鉄道の町であった。そのためか途中駅なのに、今でも列車の始発や終着の駅にになっている。

 そんなホームのベンチで座り、スマホを眺めている女性がいた。白いブラウスの上に青いニット、そしてやや黒みがかった赤いロングスカート姿の雪奈は24歳で、現在三原市内の宝石店に勤務している。
 シフトが休日である今日は、通勤経路とはまるで違う糸崎駅に来ていた。そして肩まで伸びる髪を、ときおりかき上げながらスマホを眺めている。
 午後にこの駅に来てからどのくらいいたのかわからない。その間、岡山・尾道方面、また広島・三原方面からいくらでも同じような普通電車が、終着駅として到着したり、始発駅として出発したり。あるいは途中駅として通過していた。
 しかしそれらの電車に目もくれず、ひとりベンチで座っていた。3年前の約束が果たされることを期待して。

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「彼は、スマホどころか携帯電話そのものが嫌いな人。今どきネットもやらないアナログ人間なんだから」
 雪奈は電車が来るたび、待ち人が乗っていないことを知ってため息をつく。10月14日の鉄道の日(鉄道記念日)に、糸崎駅で待ち合わせすることを、ちょうど3年前の同じ日に同じ場所で約束した。

 雪奈と拓樹は、隣の駅三原出身で、同じ年で幼馴染。雪奈の父も拓樹の父もこの駅とかかわりのある仕事をしていたことがある。雪奈の父は貨物の担当者、拓樹の父はこの駅の駅員であった。また家も三原市内で、お互いの家が隣同士にある。だから幼いときから、家族ぐるみの付き合いをしていた。だから小学校の頃は、弁当を片手にピクニック気分で、よくこの駅に遊びに来ている。

 気が付けばふたりとも「乗り鉄」と呼ばれる鉄道ファン。高校生のころには、青春18きっぷを握りしめて旅をした。ふたりの家からの最寄り駅が三原なのに、わざわざ自転車でこの駅まで走ってきて、ここからスタートするのがお決まりである。本当は変わっているはず。だけどこの駅は10年以上前と、大きく変わっていない気がしていた。

 ちなみに雪奈の父は、母の実家が経営していたそば屋を継ぐために、2年前に会社を退職。そして雪奈を残して両親はそば屋のある広島市内に引っ越しした。また拓樹の父も、ずいぶん前にこの駅から移動して別の駅の担当にしている。だけどそのような事情があって、今でもこの駅には特別な思い入れがあった。

「もう22時かぁ。3年前の約束だもんなぁ。やっぱり無理よね。でもあと一本待とうかしら。それがいいわ。本当の最終までいたら、変な人が来るかもしれないから」そういって雪奈は次の一本の電車に拓樹が乗ってなければ、家のある三原の中心部に戻るつもりであった。そして3年前にこの駅での約束のことを、再び頭の中で再生する。

 中学の頃だっただろうか、拓樹は突然漫画家を志望すると言い出した。「『銀河鉄道999』みたいな漫画を描きたい」という。でも、当時文学少女でもあった雪奈はすぐに反論して「『銀河鉄道の夜』のほうが素敵なのに」と言い返した。
 だから彼は鉄道の漫画が描きたいといっていたが、いつしか手塚治虫の漫画に惹かれている。いつしか手塚作品ばかりを見て、その素晴らしさを得意げに語るのだ。
 そんなとき、サカナクションが、2015年に「新宝島」という曲を発表したときは、拓樹が「手塚先生の作品と同じ名前だ」嬉しそうにそれを私に聞かせてくれる。そのうち私も彼の影響を受けてこの曲が好きになったし、今でも忘れられないふたりの歌になった。

「そうだ、ひさしぶりに聞いてみよう」私は誰もいない静かなホームであることを良いことにスマホから曲を流してみる。 

 この曲が流行った2015年から2年後、ちょうど3年前の今日、彼は旅立っていった。同じ広島の大学まで進学した仲、ごく自然にカップルとして交際したのに、突然彼から言われた別れの日。
「雪奈、若いうちに夢を追わせてくれ」「本当にいいの?漫画家なんて成功する人なんて一握りなんでしょ」
「わかっている。でもこの機会を逃したら、もう二度と夢は来ない気がするんだよ。だって手塚先生のアシスタントをしていた人のアシスタントだった、保久先生に手紙を送ったら、返事が来て東京に呼んでくれたんだ。
 俺、先生に弟子入りして3年間頑張る。どっちの結果になっても3年後には戻って報告するよ」
 「そういって、何度も頭を下げて私の手を握ってくれたのね」
 
 21歳の時に大学を中退してまで夢を追いかけて、東京に旅立った拓樹。ふたりの思い出が詰まった、糸崎駅始発の岡山行きの電車に彼が乗ったのは、確か午前中。
「約束のこの日は鉄道の日。だから乗り鉄として青春を過ごした私たちが忘れるわけはない。でもやっぱり忘れたのかしら。事情があって無理だったのかなぁ」

 このときちょうど曲の演奏が終わった。

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 駅からのアナウンス、電車が来ることを告げていた。「いよいよ最後ね」雪奈は厳しいと思いつつ数少ない可能性に、賭けてみるために電車が入ってくるのを待つ。
 電車は岡山方面からホームに入ってきた。先頭の上についているライトがまぶしい。やがて列車は滑り込むようにして入り込み、終着の糸崎駅に到着した。このときブレーキの高い音を鳴らし停車。空気圧を利用したドアが開く音がする。この駅からは広島方面に向かう。糸崎駅始発の広島行き電車と連絡していた。だから客のほとんどは、隣に泊るその電車のほうに吸い込まれていく。

「さてと」雪奈はスマホを手持ちのバッグに入れると、静かに立ち上がった。無意識に目に涙がたまっている。すると目の前に人影が見えた。
「え!まさか」しかしそれは数秒後に違うことが分かる。スーツ姿の男性は拓樹とは似ても似つかない存在。相当酒を飲んでいるのか、数メートル先からでも酒臭い。

「あ、どこだここ? ふぁ。おい、寝過ごしちまっ、ちまったひょ」
 酒臭い男は、40歳以上の男。ネクタイが緩んでいるスーツ姿ので角刈り。顔全体が黒っぽい赤さに覆われていて、ろれつが回らない。雪奈は彼から距離を置いて、その場を通り過ぎようとした。ところが酔っぱらって坐った目が雪奈をとらえてしまう。
「お、若い姉ちゃん。ん、かわいいね。ねぇお話しましょ」
 雪奈は驚きのあまり、震えながらも小走りに通り過ぎようとする。ところがその前に男は立ちふさがった。
「なんだよ。何で逃げちゃうの! え!お前も俺がモテないってバカにしてんのかよ。彼女いない歴四十数年ぎだからってなめんじゃねえよ」とひとりで語りだして、勝手に怒り出す。その直後に「しゃっくり」までする。

 雪奈は男を振りほどこうと、力いっぱい押す。しかし酔っぱらいは力が強く、逆に雪奈の手がつかまれてしまった。

「はあ、なんだよ。いいじゃねえかおれは、今日はもう電車ねえから、ここで寝て朝まで過ごすの。だからねぇ。ちょっと触らせてよ。少し触ったって別に減るものじゃないだろう」
「キャー」ついに勇気を振り絞って雪奈は大声を出す。男は酔っているから力強いといっても、ときおりフラつく。力いっぱいい振りほどこうと、今度は足で蹴って抵抗した。

「やめろ!」と大きな声。どこかで聞いたことがある気がしたが、今はそれどころじゃない。声の主はふたりの間に入り、どうにか引き離してくれた。次に酔っぱらいは、邪魔押した男に向かって「なんだお前!」と言って、突っかかる。しかし逆に跳ね飛ばされた。
「お客様、どうされました」とここで走ってきたのは駅員。「あ、私この人に襲われて」「何、襲ってないよ!、ち・ちょっとお話ヒッ」
「ハイハイ、わかりました。で、お客様はどちらまで」「え、あ、おれは倉敷で飲んでヒッ。福山で降りる予定だったんだ。そしたら寝ちまって。おい、ここどこなんだ!」「あ、わかりました。福山に止まる岡山行きは、こちらから出ますから、すぐに案内します。それで超過料金もですね... ...」
 酔っぱらいは、駅員に抱えられるようにして連れていかれた。

「あ、ありがとうございます」慌てて助けてもらって、礼を言う雪奈。
「雪奈忘れたのか」「あ、拓樹!」雪奈は顔を上げると我が目を疑った。
そこには、ブルーのジーンズの上に、黒いシャツ、そこに濃い緑のジャケットを羽織った拓樹がいる。

「無事に約束果たせた。良かった待っててくれたんだな」「拓樹、遅いから私、もう帰ろうと思っていたのに... ...」と先ほど襲われた恐怖もあり、涙が止まらない。雪奈はすぐに拓樹の胸に抱きついた。拓樹は雪奈の体をゆっくりとさする。

 数分後ようやく落ち着いた雪奈。「拓樹、会いたかった。でも会えてうれしいわ」「ああ、それは俺もだ。この日まで何度雪奈に会いたかったか。でも」「でも?」
「会わずに頑張った甲斐があったよ。おれ漫画家デビューできたよ」「え、マジで!」「うん、先生のアシスタントして3年間頑張ったよ。その間も出版社とかコンテストとかいろいろ応募したりして。でもネットで応募するだろ。俺やり方わからなくて、先生にネットのやり方まで教わったよ」
「え!弟子なのに先生にネット教わったの」雪奈は思わず笑いを抑えるのに必死になった。

「まあ、いろいろあったけど、先生のツテとかもあって一本連載をと言われたんだ。もちろん結果が出なければ、すぐにダメになるけどね」
「うゎあ、拓樹!夢果たしたじゃん。でどんな漫画家書いたの」「ああ、鉄道を舞台とした作品だ。タイトルが『異空間エキスプレス』っていうんだ。ほら、これ」と言って拓樹は、かばんから紙袋を取りだす。
 そしてこの中には、連載が始まった漫画雑誌が入っていた。
「ほら、ここだよ」と拓樹は付箋を入れていた自分の漫画の部分を、雪菜に見せる。雪奈は目を輝かせながら眺めた。「すごい、あとでゆっくり見る。拓樹素敵よ!」

「あ、それから」「え?」と拓樹は、かばんからあるものを出してきた。「俺は宝島を求めて3年前にこの駅をに旅立っただろ。そしてとりあえず結果が出せた。だから宝島からのおすそ分け」と言って手渡したのは、指輪の入っているケース。それを受け取った雪奈が開けると、ダイヤの指輪が入っているではないか。
「正式じゃないけど、これからも雪奈と一緒に生きていきたい。だから」
 雪奈は全身が身震いしつつ指輪を眺める。見ればそこそこの大きさがあった。宝石店に勤務してるだけに、その価値のすごさが嫌というほどわかる。

「ち・ちょっと、これ高かったんじゃ!」「大丈夫だって、人造ダイヤのキュービックジルコニア。だから本当に安かったんだ」
「キュービックジルコニア... ...」雪奈な一瞬固まった。「ああ、なるほどね。でも全然いいわ。拓樹からのプレゼントだから」
「でも、いつか漫画家として成功したら、絶対天然物を買ってあげる。それまでそれで我慢してくれるか」
「はい、わかりました。でもひとつだけ約束してほしいことがあるの」

「ひとつだけ?」真顔になる拓樹。
「うん、拓樹もスマホ持ちましょ。もうネットがなくて連絡取れないの嫌だから。これから一緒に住むにしても必須よ!」
 という雪奈の言葉に小さくうなづく拓樹。そういった雪奈は満面の笑みで、口を緩め拓樹の右腕をしっかりつかむのだった。


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シリーズ 日々掌編短編小説 269

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