意欲が高い学生ほど膨らむモヤモヤの原因ってなんなんだろう?
人と関わるのが好き。
学生のうちに何かしたい。
好奇心旺盛。
そんな学生たちがたくさん出入りするたまり場的なところに、取材と執筆を仕事にしている僕が400日間住んで対話しまくって、わかったことがあります。
新しい人や
有益とされる情報に
触れれば触れるほど
できることが増えれば増えるほど
モヤモヤが膨らみ自信を失う人と
逆に前進して迷いが吹っ切れていく人がいる。
いったい、この違いはなんなんだろう?
何から生まれてくるものなんだろう?
僕なりに考察したことを言葉にしてみようと思います。
<とある意欲的で責任感の強い子の話>
僕のいる富山市には学生のチャレンジを
後押しする施設がいくつかあります。
そのいずれも、学生が経営者や社会人の方々と話す機会を創出し、学生を絡めたプロジェクトがいろいろと動いている。
で、この界隈にやってくる学生の多くが「何か新しいことにチャレンジしたい」という漠然とした意志を持っており、早々に何かしらの役割や仕事を任されます。
意欲のある子だと、バイトや学生団体の活動、サークル活動も含めて、複数の役割を引き受けることが多いですね。
そうすると、スケジュールがどんどん埋まっていく。
最初は、それが快感になったりします。自分は充実した大学生活を送っているんだという感覚になる。
しかし、だんだん体と心が追いつかなくなってきます。
面白そうなことが次々現れて
取り組んでいる活動への興味が持続しない。
忙しくて、大学の課題に手をつけられなくなる。
主要な活動に割く時間を甘く見積もりがちというのもあります(やりながら勉強すべきことなどが見えてくるから仕方ないんですけどね)。
これって、本当に自分のしたいことなんだろうか?
そんなふうに考えるようになります。
一度時間をとって休みたい、じっくり内省をしたいとふと思うも、スケジュールは相変わらずパンパン。
苦しくても、責任感の強い子ほど止まれません。
がんばっているのに進んでいる感じがしないため、だんだんと自分を納得させるため、「結果を出すこと」より「頑張ること(苦しむことと言ってもいい)」にムキになり始めたりします。
ミスが増え、精神的に不安定な日が増えだす。
すると、大人との出会いが豊富にある環境が、仇になっていきます。
<大人の声に振り回されてしまう理由>
自分の価値観、やりたいことがはっきりしない。
どこに向かっていきたいのかがブレている。
心が濁っている。まとまった時間が取れない。
そんな状態でアドバイスを求めて、尊敬している大人と会話したり、ネットで自分を変える方法を探したりすると、たいてい悲惨なことが起きます。
そりゃそうです。
どこに行きたいのかも、どんな手段で行きたいのかも、自分がどこにいるかもわからない、しかも焦りまくっている。そんな人に電話越しで道案内をするようなもんですから。
この状態にあるとき、自分を否定する強めの意見を言ってくれる人の言葉に動かされやすくなっています。
自分で自分を否定している時期だから、共感しやすいのです。
それに、自己肯定感が高いとしても、軸がはっきりしない状態でされるアドバイスはほとんど正しく聞こえてしまいます。
結果、状況は改善しません。悪化しがち。
ころころと言うことが変わって、チームの信頼を失う。アドバイスしてスカッとしたいだけの人にエネルギーをすり減らされる。
みたいなことが起こります。
これがしばらく続くとさすがに精神的にかなり苦しいので、全部をやめてコミュニティから離れ、穏やかな生活に移行するという選択をする。
このときはじめて、自分のことをゆっくり振り返り(ちょうど就活とかぶって自己分析を進める場合も)、気がつきます。
もっと自分の価値観とか、やりたいこととか、はっきりさせることに時間を使っておけばよかった。
で、穏やかな気持ちでコーヒーを飲める時間があることに気づいて涙が出たりする。
<鍵となるのは「言葉にする力」>
ここまでの話は、実際に見てきたよくある事例を創作的に組み合わせて作ったものです。共感していただけたでしょうか。
共感していだだけなかった方にも質問です。
この問題を引き起こした根本的な原因はなんでしょう?
みなさんのご意見をぜひお聞かせください。
僕の仮説はこうです。
言語化がズレていたことが原因だったのではないか。
これだけでは言葉足らずですね。
詳しめに言い直すと、
こうなります。
思い当たる経験がある方にとっては、
めっちゃわかるという話かもしれません。
でも、もう少し詳しく解きほぐしてみます。
まず、自分の欲するものを的確に言葉にできる必要がある。
そのためには、日頃自分の中に思考や感情が湧いたときや自分の体の状態が変化したとき、それに気づくことが必要です。
気づいたら、立ち止まり、よくよく注意して自分の感覚を観察し、微妙な差異を放っておかず、問いを投げ、思考する必要があります。
微妙な差異を認知するには、さまざまな概念を体系的に理解していることが役に立つでしょう。同じ言葉で多くをくくると盲目になります。
自分の欲するものを言葉にできたら、その言葉(コンセプト)を起点に行動や見せ方を整える。そうすると、呼び込みたい人・もの・情報が寄ってくる。
逆に言えば、言葉にするところでズレている場合、上手くそれに整合した行動を取ろうとするほど、望まない方にサイクルが回り出していくのです。
<「言葉にする力」を定義する>
「言葉にする力」に的を絞って話を進めます。
先ほどの章で考えたプロセスを見るに、
言葉にする力を研ぎ澄ますと、モヤモヤすることなく、自分らしいやり方で理想へ近づいていける。
と言えそうです。
では、どうすればその力を高めることができるのか?
語彙を増やす?
現代文の勉強をする?
まちがいなく役には立ちますが、本質的ではありません。
そもそも、言葉にする力とは何か?
「言葉にする力」とは、うまく話すことではなく、自分の感じていること(無意識)を、言葉(意識)にする能力のことです。
言語能力ではなく、言語「化」能力。
この「化」が大事。
自分の感じていること、言葉になりかけている思考に向き合い、伝わるよう明確な言葉に変換すること。
いくらチャットGPTが発達しようと
これかできるのは自分だけです。
また、焦ってできることでもなく、日々の習慣がものを言う。
たとえば僕自身は、5年以上毎朝数千字程度感じていること・考えていることを紙のノートに手書きで残すようにしています。
頭の中だけで考えられることには、質的な限界があるからです。
4357✖️543を頭のなかでさっと計算できますか?
少なくとも僕は無理です。でも、筆算を使えば、ふつうの小学生でもできる。書き言葉は、思考を拡張する大発明なのです。
書くのが苦手な人は、自分の考えや思うことに興味を持って耳を傾けてくれる人(かつ言語化が上手な人だとなおいい)に話すというのもおすすめ。
しかし、そういう言葉にする習慣をつけること以前に、もっと大事なことがあります。
<遊びや趣味から始めよう>
外的な目的の薄い、行為自体のためにすること=表現と言ってもいいかもしれません。
とにかく、やりたかったことをやること、です。
なぜか?
感じていることを言葉にする能力なので、自分が感じていることを無視したり、軽視したりするような過ごし方をしていると体が抵抗するからです。
自分のやりたいこと、欲しているものがはっきりしているのに無視し続けるなんて器用なこと、ふつうできません。
自分に向き合おうとすると嫌な気持ちになる。頭が痛くなる。お腹の調子が悪くなる。
そんな信号が出てくるんだしたら、休息を取れというサインかもしれません。
言葉にする力を高めるために、やりたいことをやれ。
そうは言っても…。自分のやりたいことなんて将来につながらないし、お金にならないし、地味だし…。
そんなふうに思うかもしれません。
その声、1日1時間でもいいので無視してください。
先ほどの話を思い出してほしいのですが、
行動力や意欲が高くなくとも、時間が十分に経てばズレは大きく広がります。
つまり、冒頭で紹介したような振り回されている学生の状態にもっと年をとった状態で到達することになります。
できることは増えているはずなのに…
いろんなものを手にしたはずなのに…
なんかしっくり来ない。
胸に何かがつっかえている感覚。
それくらいで済めばいいのですが、経産省の出しているデータによると事態はもっと深刻そうです。
日本人は、世界でもっとも会社を憎んでいて、でも交渉はせず、主張もせず、自ら学ばないというのです。そして、心身を壊し、自殺や過労死をする人がたくさんいる。
最近、「社会だとか、会社だとかのためにやる気を出すのは負けた気がする」という発言を居酒屋で耳にしました。
やりたいことを選んでいないから主体性を発揮するだけエネルギーの無駄に感じているのかもしれません。
しかし、自分の人生にコントロール感を持つこと(つまり主体的であること)、何かに没頭する時間を持っていることは、幸福度を高めるために必須と言っていい条件に挙げられます。
別に仕事で楽しんでなくてもいいじゃん、という意見もあるでしょう。
しかし、1日8時間以上をただ耐え忍ぶ時間として過ごしたら、他の時間は「好きなことをやる」充足の時間というより「休息、ストレス解消」のための快楽の時間にしかなりません。
快楽と充足はまったく別のものです。
いくら優秀でも、収入が安定していても、これでは幸せでいるのは難しい。
手に入れても自分を充足させるわけではないものを手に入れるために、内省に使えたはずの時間を投下し続ける。これ以上の不幸はありません。
晩年に下のようなローマの哲人の言葉に共感しても遅い。
まずは趣味のような小さな一歩から、一日15分からでもいいんじゃないでしょうか?
自分1人の時間をとって、自分と対話するとか、ただただ興味があるから調べてみる、やりたいからやってみるという行動を増やしてみてください。
<「まとめて取る」はできない>
まずは趣味のような小さな一歩から、一日15分からでもいいんじゃないでしょうか?
と述べたのは、内省することや主体的になれることをやるというのが二重の意味でまとめて取れるものではないからです。
1つ目は、心の観点から。
やりたいことは、睡眠や運動と一緒です。
体力がなくてどうにかしたいという友人が「僕は走るのが苦手で、ちょっとやると息が上がっちゃうんだ。だからもう二度と走る気はない」とぬかしたら、「いや、一日10秒、軽くでもいいから走れや!」と言うはず。
放置する時間が長いほど、再び感覚を取り戻すのがむずかしくなるのは容易に想像できるのではないでしょうか。
まとめて取る方が難しいものなのです。
習慣化については、前に徹底的に調べてまとめたのでどうぞこちらから。
2つ目は、収入の観点です。
多くの人は学生時代から
「社会に役立つことをすべき」
「将来につながる活動に時間を費やすべき」
「論理的によさを説明できることをしないと恥ずかしい」
「達成できる未来像しか描いてはいけない」
などといった外圧にさらされています。
結果、自分が本当にやりたいことが見えなくなっていたりする。
それでも安定的な生活をまずは獲得し、そのあとに自分のやりたいことに向き合えば問題ないのではないか。そう思うかもしれません。
ですが残念なことに、多くの人が「経済的安定を確保した後、夢を追いかける」という選択をするものの上手く行っていないという研究もあります。
そちらによると「今すぐ夢を追いかける」という選択をした人の方が大富豪になる確率はずっと高く、夢中になれることがお金にも繋がるというのです。
外圧に関わらず主体性を発揮できる領域には失敗という概念がなく、行動の取り方が実験的になります。
一回では当たる確率の低いことも、試行回数が多ければ100%に近づきます。また、試行のたびに思考を重ねれば、当たる確率も当然上がる。
夢中になれることだと、人より思考する量が格段に多い(何をしてるときも頭の片隅にある)ので当然上達も早い。
もちろん、お金持ちになることが成功の証と言えるかは微妙ですが、そもそも何をおいてもやりたいことがない場合に先に経済的安定を獲得しようという行動を取るわけですからね。それだと結局は的外れになっている可能性があります。
以上2つの観点から、主体性を発揮するという選択は、むしろ後回しにする方が難しいのです。
<最後に。「言葉にする」を仕事にする者として>
ここまでが僕の考察・持論でした。
いろんな意見・反論はあるかと思いますが、ともかくこれを読んだことが考えるきっかけになったらと願っております。
さて、最後に。
僕は、編集者・ライターとして他者の伝えたいことを言葉にする仕事をしています。
クライアントがまだ言葉にできていないことを汲み取り、「そうそうこれこれ」というものを創ることが喜びです。
僕と接している人はよくわかるかと思いますが、仕事ではなくても、対話によって相手の感覚・思考を言語化する手助けばかりしています。
それで人を泣かせることがあってもやめられないほど泣。
他にも、僕が外圧に関係なくしつこくやれてしまうことを一部並べると、こんな感じです。
この5つを僕自身がしっくりくる言葉で
キュッと2つにまとめると、
・人を動かす仕組みの言語化に向き合う
・手近なものを深めて理解し、変革のストーリーを描く
となります。
これは最近できた言語化で、これによって、僕はライターですが書くことそのものに喜びがあるというよりこっちに執着があるんだなと理解できました。
だからなんだ、って話ですが。
この、僕がついしつこくやれて、深めることに妥協がないことでみなさんの役に立つ機会を与えてほしいと言いたかったのです。
じっくりと対話し思考することで、あなたが本当の意味でやりたいことを見つける手助けをし、それを元にあなたが内的な充実感に満ちた日々を送るためのストーリーを描き、根拠ある手立てを調べ、提案する。
今後はこれを活動の中心にしていくつもりで、そのために富山大学前に建物を借りて現在絶賛準備中です(追記:オープンしました)
言葉にする力は習慣の産物であるため、僕と定期的に対話する機会を提供できる場所を作ることにしたのです。
詳細はまた記事にすると思います!
ではでは。
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