久保暁子

文化財の修復をしています

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最近の記事

くつを脱ぐ

 玄関でくつを脱ぐ習慣がある国はどれくらいあるのだろう。韓国、タイ、インドネシア、マレーシア、ミャンマーなどいくつかの国では、玄関でくつを脱ぐという。いずれもアジアである。建築様式的にいえば、高床式住居など地面から切り離されている住まいの場合、くつを脱ぐ習慣があるといわれている。アジア諸国の多くは高温多湿で、菌やカビが発生しやすい。くつのまま、寝食する場所にはいれば、それらは容易に繁殖し、住む人の健康を脅かすことになる。今回のコロナ禍でも、くつ脱ぎ文化は感染予防の一端をになっ

    • とにかく酔っぱらいたい

       日本人が酒に求めるものはどうやら「とにかく酔っ払うこと」らしい。 酒の歴史は古い。人間が定住するようになり、貯蔵が可能になって、はじめて酒の醸造が可能となった。もちろん、酒には様々な種類がある。穀物由来のものや、果実由来のものなど、さまざま。日本では、穀物由来とりわけ米由来の「さけ」が主流だ。たとえば麦は米と変わらない時代に日本に入ってきたといわれている。そして、米由来の酒同様に、麦由来の酒も作られたに違いない。しかし、いわゆるビールに似た麦酒は酒ほど好まれなかったようだ。

      • 神無月・神在月

         和風月名では10月を「神無月」という。無は「の」の意味で使われることがあるので本来の意味は「神の月」ということだろう。この無が「の」ではなく「神が無い」の意味で使われてからは、神が集まるといわれている出雲以外は神無月、そして出雲だけは神在月と言っている。「十月 しぐれにあへるもみち葉の 吹かば散りなむ かぜのまにまに」これは万葉集に納められた1句だが、この「十月」は「かむなづき」とよむ。つまり、奈良時代には10月をかんなづきと読んでいたということだ。この「かんなづき」には「

        • 教科書と日本人

           教科書のことは、とてもデリケートな問題を含んでいるので、あまりふれたくないのだが、教育のはなしをする時、どうしても避けては通れない。たしかに、歴史に関する教科書には、様々な考え方や問題があるのだろうけど、そこに目をつむってみても、日本の教科書はとても優れていると思っている。ただ、私は日本以外の学校に通ったことがないので、外国の教科書と比較しようもないのだが、他の国はどうなのだろう。  私は、いまでも教科書を愛用している。前述した歴史の教科書、とくに日本史の教科書はいろんな

        くつを脱ぐ

          制服と日本人

           私は制服が大好きだ。学生さんが着ている制服や、警察や看護師さんが着ている制服のことを言っているのではない。「制服を着ている自分」が大好きなのだ。もちろん、もうそろそろ50を迎える女性なので、いま着ているわけでも着たいわけでもない。ただ、制服ほど自分に似合っている服はないと、今でも思っているのは本当だ。これは、私が特別似合っていたわけではないので誤解しないで欲しい。大概の学生に、似合ってしまうのが制服ではないだろうか。あ、これはセーラー服のことで、正直セーラー服やジャンパース

          制服と日本人

          品のいい人

           品とはなんだろう。英語では「Dignity」と訳されるが、これを「品のいい人」にすると「Good person」となる。もちろん、翻訳ソフトの性能の違いもあるが同じ「品」でもちがう英語に訳されるということだ。この「品」というのは、至極やっかいで、日本人はサラッと使いこなしているが、これを外国の人に説明するとなるととてもむずかしい。品を由来する日本語はたくさんある。品位、品格、気品、人品、上品、下品。。。たとえば、品位と気品をはおなじdignityと訳される。しかし、この2つ

          品のいい人

          我慢すること

           幼い頃から、「我慢しなさい」とあまり言われてこなかった。私の母は普通の人よりも感情のタンクが大きいので、喜怒哀楽がはげしく辟易させられることもしばしばだが、子供のときも大人になってからも感情や思考を抑え込まれた記憶があまりない。だからなのか、私たち姉弟は好きなことを仕事にし、それで生活している。好きなことをしているので、働くことのストレスをあまり感じたことはない。他人から見ると、ひどい職場環境だったり、驚くほどの薄給でも、さして辛いと思ってこなかったので我慢はしてこなかった

          我慢すること

          「お彼岸にお墓参りにいく」

           正直にいうと、お墓参りが苦手だ。お寺に行くことはどちらかというと好きだし、仏像修復という仕事柄、それこそ毎週のように足をはこぶ。さすがにコロナの影響で、寺院調査の機会は減っているが、それでも一般の人よりは頻繁にお寺に行行く。しかし、いざお墓参りとなるとどうだろう。婚家が月命日もかかさないちゃんとしたお家なので、結婚以前よりは足を運んでいるが、姑が優しいことを良いことに「仕事が立て込んでる」「ちょっと体調が良くない」「どうしても外せない予定がある」といって3回に2回は拒否して

          「お彼岸にお墓参りにいく」

          教育と日本人

           なかなか硬いタイトルになってしまったが、まあ、しかたない。教育の話の前に、識字率について考えてみる。日本のそれは、初等教育の義務化のおかげで、男女ともに、ほぼ100%である。これを世界に向けると6人に1人は読み書きが出来ず、識字率は80%くらい。男女平等に教育機会が与えられていない国もあるので、女性はもっと低い数字が出てくる。女性の教育について書きはじめると、きっと終わらないので、今回はやめておく。さて、世界でもこの課題は大きな問題として解決する努力がなされている。一方、日

          教育と日本人

          地名の話①

           友人とよく地名の話をする。それは大抵大きな災害や事故があった時だ。日本という国は災害が多い、一節には世界の災害の2割がこの国で起こっているという。国土の広さだけでいうなら、世界の1%にも満たないこの小さな国で、世界の災害の2割を請け負っているのだから、相当危険な国土と言わざるを得ない。ただ、災害は命や生活を奪う恐ろしい一面と、洪水のように栄養分の多い水を大地に供給し作物を豊かに実らすという嬉しい一面もある。災害があるけど、豊かな土地に住むためにはどうしたら良いのか、その答え

          地名の話①

          おまじないと日本人

           どうやら日本人はこわがりな国民のようだ。神社やお寺に行けばお守りを買い、店先には塩を盛る。正月には鏡餅を飾り、節分には豆をまく。「鬼は外、福は内」と大きな声を上げながら内に外にと豆をまく。最近は節分の日、近所から声がしないと母は心配げな顔をする。これらはみんな魔除けだったり、幸運を呼び込んだり、願いを叶えるためのおまじないのようなものだ。どれくらいのおまじないがあるのだろうか。近所の図書館で「おまじない」を検索してみておどろいた、240件もヒットし、中身を見てみるとそのほと

          おまじないと日本人

          日本人と名前

           少し前に「家紋」について調べたことがある。正確には文様について調べていたら、家紋にたどり着いてしまったのだ。家紋のようなものは日本以外にも存在するが、種類や普及度でいえば、この国の家紋文化は群を抜いる。そして、名前もそう。種類や漢字、バリエーションが豊富。「サイトウ」だけでも、斉藤、斎藤、齋藤、齊藤。。。「山崎」はヤマサキなのかヤマザキなのか。  もともとは氏姓(うじかばね)からスタートした日本の名前は、苗字や官位、字(あざな)や諱(いみな)を記すようになり、貴族や武士な

          日本人と名前

          日本人と「におい」

           日本語の漢字には「におい」をあらわすものがいくつかある。匂い、臭い、薫り、香り、馨。一般に「かおり」というと、良いにおいで、「におい」というと良いも悪いも含まれる。「あの人の香りはくさい」とはあまりいわない。言葉や漢字のバリエーションが多いということは、ニーズが高いということだ。  五感の中で「におい」だけが、脳の視床を通らずダイレクトに前頭葉で認識される。だから、においという記憶は何年、何十年たっても記憶の引き出しに残るという。たしかに雑踏のなかで、ある「におい」を嗅い

          日本人と「におい」

          よりたくさんのものを、より速く、より遠くへ。

           コロナ禍のいま、自宅作業系個人事業主(そんなジャンルがあるかは知らんが)の私はほとんど外に出ることがない。仏像を運んだり、寺院調査のために小さな車を所有しているので、徒歩圏外への外出はもっぱら車だ。電車に乗ることはめったになくなった。会社員時代の私は、単身赴任や地方転勤していたし、親方のもとで修行していたときも、長距離を電車移動していた。電車に乗らない日が来るなんて想像すらしてこなかった。だが、実際そうなってみると、あんなにも移動していた日々がすこし異常なことのように思えて

          よりたくさんのものを、より速く、より遠くへ。

          歴史と料理

           古文書をよんでいると、たびたび料理や食事に関する記述にでくわす。旅行記ならご当地料理に舌鼓をうち、戦国ものなら空腹にあえぐ、日記ものなら誰それが手土産で団子を持ってきたなど、今と変わらないほど食べることが生活の大きな要素となっている。大好きな食べ物エピソードがある、それは徳川最後の将軍・徳川慶喜の父・水戸斉昭が息子慶喜におくった書簡の中の一節である。烈公といわれた斉昭が、息子にどんな手紙をかいたのか。彼の父親としての一面がチラチラと垣間見える。「(略)かねて申し進めおき候黒

          歴史と料理

          日本人とスポーツ

           スポーツを広辞苑でひくと「陸上競技・野球・テニス・水泳・ボートレースなどから登山・狩猟などにいたるまで、遊戯・競争・肉体的鍛錬の要素を含む身体運動の総称」とある。日本にはスポーツというものが昔からあったのですかと問われたら「ない」というが、後半の『遊戯・競争・肉体的鍛錬の要素を含む身体運動』だけを考えれば答えは「ある」だ。少し前にNoteでも書いたことがある「相撲」も、武士たちがおこなっていた「剣術」や「馬術」「箭弓」も遊戯・競争・肉体的鍛錬の要素を含む身体運動にほかならな

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