とにかく酔っぱらいたい

 日本人が酒に求めるものはどうやら「とにかく酔っ払うこと」らしい。
酒の歴史は古い。人間が定住するようになり、貯蔵が可能になって、はじめて酒の醸造が可能となった。もちろん、酒には様々な種類がある。穀物由来のものや、果実由来のものなど、さまざま。日本では、穀物由来とりわけ米由来の「さけ」が主流だ。たとえば麦は米と変わらない時代に日本に入ってきたといわれている。そして、米由来の酒同様に、麦由来の酒も作られたに違いない。しかし、いわゆるビールに似た麦酒は酒ほど好まれなかったようだ。現代はビールと酒のどちらが人気があるのかと問われると、それは答えに窮するし、時代や流行、各個人の趣味もあるだろう。しかし、時代劇でビールを飲むシーンを見たことはないし、ビールの老舗蔵元も聞いたことはない。なぜか。それは単純に「酒ほど酔っぱらえないから」だ。アルコール度数が酒ほど高くないし、麦を醸造するための手間が米よりも多少多いということ。身も蓋もない言い方をすれば「めんどくさいくせに、そんなに酔っぱらえない」ということなのだろう。これはワインをはじめとする果実酒も同じことがいえる。日本の気候では糖度の高いぶどうの生産は難しかった。そのため、アルコールの高い果実酒はなかなが出来ず、美味しくもなかったというのが果実酒が酒ほど流行しなかった理由のようだ。
 
 日本には「日本全国酒飲み音頭」という歌がある。バラクーダというコミックバンドが1979年に発表した曲だ。「1月は正月で酒が飲めるぞ−、酒が飲める酒が飲めるぞー」ではじまるあの歌である。「お酒を飲む=酔っ払う=無礼講になる」日本人の中には酒席の失礼な振る舞いや暴言は水に流すきらいがある。お酒の席での失礼は、その人の本心ではなく、酒がさせたことだからあえて咎めることはない。つまり、心神喪失の状態だから罪には問わないということだ。調和を重んじる私たちは、知らない間にストレスを貯めてしまいがち。だから、定期的にそれを解放しなくてはいけない。そのための酒であり、泥酔なのだ。酔って無礼講は必要不可欠な行為なのかもしれない。もちろん、言い過ぎな自覚はある。前述の「日本全国酒飲み音頭」も毎月何かにつけ酒を飲んでいる。さして、必要でない行事でもやたらと飲んでいる。日本人にとって、1ヶ月に一度はストレス解放が最低条件なのかもしれない。この歌はもともと日本に来ていた留学生が、日本の行事を覚えるために考えた歌で、原曲はディズニーのシンデレラ挿入歌である。なんだか、申し訳ない気がする。留学生もこんな健全な曲でなくてもよいではないか。

 まあ、外国人にしてみると、何かにかこつけて、毎月のように正体がなくなるまで酒を飲む日本人は、きっと奇異な国民と映ったのだろう。

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