制服と日本人

 私は制服が大好きだ。学生さんが着ている制服や、警察や看護師さんが着ている制服のことを言っているのではない。「制服を着ている自分」が大好きなのだ。もちろん、もうそろそろ50を迎える女性なので、いま着ているわけでも着たいわけでもない。ただ、制服ほど自分に似合っている服はないと、今でも思っているのは本当だ。これは、私が特別似合っていたわけではないので誤解しないで欲しい。大概の学生に、似合ってしまうのが制服ではないだろうか。あ、これはセーラー服のことで、正直セーラー服やジャンパースカートのような、古めかしい女性用学生服は似合わない人を見たことがないということである。どうしてなのかはわからないけど、絶妙なデザイン、素材、サイズ、カラーリングが理由なのだろうか。大きい人も小さい人も、太った人も痩せた人も、きれいな子もそうでない子も、それなりに見えるのが女子のセーラー服とジャンパースカートだ。もちろん、これは偏見であり、個人的意見でもある。そんなことはないと、言う人もいるだろう。

 女子のセーラー服とジャンパースカートと書いたが、これは、もう間違いだ。最近、友人からこんなNewsを教えてもらった。「ユニクロ高校制服に参入、ジェンダーレスの着こなしへ」埼玉県は来春から、自宅で洗濯できて、安価なジェンダーレスのユニクロ製「制服」を採用する方向らしい。なんでも、ブレザー、セーター、ズボン、スカート。女子はズボンでもスカートでも選択可能。色もグレーや紺色など選べるようだ。男子がスカートを着用してよいかどうかは、記事では言及されていないが、生徒の体型によっては対応不可能なサイズもあると書いてあるので、そのあたりにハードルを設けているのかもしれない。素材も洗濯しやすいように化繊で、価格もいままでの1/5程度のようだ。合理的だし、生徒や保護者の意見を反映させてのものだろうけど、このNewsを見た最初の感想は「それなら、もう私服にすればいいじゃん」だった。

 制服には、その学校の生徒である誇りや連帯感があり、各家庭の経済状況による衣服の不平等感をなくしたりする効果がある。実際、制服の歴史を紐解くと、やはり制服着用には学校に対する誇りやエリート意識が強く反映されていたようだ。とくに男子の制服は、明治時代になって西洋式の軍隊や教育が普及し、貴族や士族の子息たちが、新しい日本を担っていくための高度な教育を受けている証のようなものだった。帝国大学や学習院などは最も早い制服着用の学校で、明治20年くらいの話である。一方、女子はどうだろう。「はいからさんが通る」や「八重の桜」では、女子の制服は、着物に袴。最初期の制服は男性の袴を着用していたようだが、袴の構造上不具合があり、洋装で通学する子女が多かったようだ。しかし、そのうちそれも不便だということで、結局着物に戻ってしまった。近代日本は戦争の時代でもある。日清戦争のころ、日本兵は欧米の兵士よりも体が弱く、戦いで負けるというよりは、体を壊して戦線離脱する兵士が多かった。そこで、政府は体を丈夫にするための体育教育を導入したのだ。とくに女子は丈夫な子供を産むため、より健康でなくてはいけないという、なんだか納得出来かねる理屈で体育教育を推進された。そうすると着物は至極不便なのだ。そこで、開発されたのが女子用袴だ。これなら、飛んだり跳ねたりしても足があらわになったり、つまずいて転ぶような危険が少ない。そこで、この女子用袴の着用が増え、そのうち、草履が靴に変わり、日本髪がおさげに変わってきたというわけだ。大正期に入り、第一次世界大戦が勃発すると、総力戦において活躍した欧米女性に比べて、体も小さく体力もない日本女性を強くするべく、一層の体育教育の振興が目指された。アメリカに体育教育の視察に行った際、現地では海軍の制服を着ていたことをみて、日本の女子体育教育に水兵の服を採用したことがセーラー服のはじまり。最初期のセーラー服は上はセーラー服、下はちょうちんブルマーだった。噂には聞いたことがあるが、実際、私はこのセーラーにちょうちんブルマーという、罰ゲームのような服を着たことはないが、伝統校に通学していた友人は、これ着用してを体育の授業を受けていたようで、それはそれは恥ずかしかったそうだ。

 制服とは権威や誇り、共同体としての意識などの性格を今でも持っているが、こんなにも戦争と関係の深いものだということは正直知らなかった。そして、これは政治や世相を大きく反映しているということでもある。つまり、ジェンダーレスや多様性、機会の均等が叫ばれる今日、制服はそういった声を反映するものなのかもしれない。ユニクロのNewsを聞いたときは「それなら私服にすればいいじゃん」なんて思った自分を大いに反省している。制服ほど、時代の声を反映するものはないのかもしれないのだから。


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