「お彼岸にお墓参りにいく」

 正直にいうと、お墓参りが苦手だ。お寺に行くことはどちらかというと好きだし、仏像修復という仕事柄、それこそ毎週のように足をはこぶ。さすがにコロナの影響で、寺院調査の機会は減っているが、それでも一般の人よりは頻繁にお寺に行行く。しかし、いざお墓参りとなるとどうだろう。婚家が月命日もかかさないちゃんとしたお家なので、結婚以前よりは足を運んでいるが、姑が優しいことを良いことに「仕事が立て込んでる」「ちょっと体調が良くない」「どうしても外せない予定がある」といって3回に2回は拒否している気がする。これが実家のお墓となると、主人にむりやり連れて行かれているので1年に1度くらいは行っているが、自分の家のお墓なのに、それはそれは嫌々、若干ふてくされてさへいる。家族仲が悪いとか、墓中の祖父母と疎遠だったとかのネガティブな理由はひとつもない。父方も母方も祖父母は非常にかわいがってくれたし、私も祖父母のことが大好きだった。元気で長寿だった祖母とは2人で旅行や買物など長い時間を過ごしたし、思い出も事欠かない。しかし、そんな祖父母が入っているお墓に、どうにもいきたくないのである。「私のお墓の前で泣かないでください〜」というフレーズの歌があったが、まさに、私はそう思っているし「死んだらそれまでよ〜」とも思っている。故人を偲んだり、祖先を敬ったりする感覚が私にはうすいようだ。こういうと「なんて罰当たりな」と言われるし、「先祖に礼を尽くすのが当たり前」だと怒られる。「あんなに可愛がってもらったのに、あんたみたいな人でなし見たことないわ」と実母は私をことあるごとに罵倒してくる。自分の考え方がおかしいことはわかっているので、おとなになるほどに、人前ではなるべく言わないようにしてきたし、お墓参りには嫌々ながらもなるべく行くようにしてきた。

 そもそも、お墓参りとはなんだろう。お釈迦さんは自分が死んだら、仏式のお葬式をしろとも、お墓を立てろとも言ってないはずだ。こだわることを、とにかく捨て去れというお釈迦様がそんな事言うはずがない。たしかに、釈迦の舎利を納めたのが仏塔で、そのまわりに仏伝や仏像が彫られて、仏教は布教を拡大した。出家信者のための宗教から在家信者をも救済する宗教へと変貌をとげるのに仏塔の存在は大きい。その仏塔がお墓になっていくのである。インドでは釈迦を火葬している。世界には様々な宗教があるが、宗祖が火葬されているというのとても珍しい。日本でも火葬がおこなわれてきたが、それは一部の特権階級で、ほとんどの民衆は土葬が主流であった。つまり、墓は埋葬墓と供養墓は別々だったということだろう。いまでも墓地の管理は寺院がおこなうことが多いが、墓地を新しく作る場合、申請は保健所にする。これは土葬のばあい、埋葬地から病原菌が発生したり、水源に影響を与えることを考慮してと聞いたことがある。現代のように火葬が一般的となり、埋葬墓と供養墓が同じ場所となるのは、戦後、昭和30年代以降のことだ。だからこそ、お墓参りとは一体何なんだろうとおもってしまう。

 しかし、このお墓参りは仏教以前から日本にある「祖霊信仰」がふかく関係している。祖霊信仰とは、すでに死んだ祖先が生きている子孫の生活に影響を与えることができるという信仰である。影響を与えることができるのだから、大切にし、敬わなければいけないのである。この信仰に、死んだらすべての人が仏になるという浄土思想のようなものがミックスされて、「祖先を大切にすることで自分たちが幸せになる、逆に粗末にすれば罰が当たり不幸になる」という現代の信仰になったのだろう。

 春分の日と秋分の日は昼と夜の時間が等分になる日である。暑さ寒さも彼岸までというが、季節の変わり目でもある。この日は彼岸(あの世)の扉がひらき、仏教供養をおこなえば浄土に行けるといわれた。彼岸の期間にはお墓に行き、掃除をして、お花を供えて、故人をしのび、本堂で手を合わせる。たまには塔婆を立てたりする。しかし、こんな風習日本だけである。仏教を信仰している他の国でもあまり聞かない。これは、もともと日本にあった祖霊信仰と仏教、それに、こちらももともとあった太陽信仰があわさってできた日本オリジナルの信仰なのである。お彼岸にお墓参りするという信仰が、いつからあるのかしらべてもよくわからなかったが、火葬が一般的になる昭和30年代以降には確立されていたはずだ。

 江戸時代のお坊さんの日記を2つほど読んだことがあるけど、お彼岸について記されているものはなかったし、墓参りという単語も載ってはいなかった。人々は事あるごとに寺にやってきては問題を解決したり、法要をお願いしたりする。お坊さんの方も、檀家のうちに度々足をはこび、供養をし、御札を渡しているけど墓参りという行為をすすめているような記述はない。墓参り反対派としては、「そうだろ、そうだろ」と思っている。

 しかし、お盆や正月、お彼岸など、お墓やお寺にいく機会は家族や親類があつまるよい機会だったことも事実。この時にしか会わない叔父や従兄弟がいたし、自分の知らない父の若い頃の話や、今は廃れた田舎の商店がにぎやかだった頃の話は私の心を踊らせたし、おもしろかった。その中でも、とりわけ祖母の女学校時代の話が大好きだった。私の知っている祖母は好々爺のように穏やかで、いつも微笑んでいるようなやさしい祖母だったが、友人や妹が話す祖母は鼻っ柱の強いわがままいっぱいの女の子だった。祖母の女学校時代の話を聞くたびに、人生の長さや、人の成長を感じて、祖母を見る目もすこし変わった。それもこれも、墓参りのような年中行事がなかったら、聞けなかった話だろう。

 お墓参りが苦手な私が言うのもおかしいので言いたくはないが、これらの行事が私達の生活を潤しているということは間違いない。お墓参りに行くことで、私達が誰かのバトンを受け継いでいるということを実感する。自分ひとりで行きているような感覚になることがあるが、それは大きな間違いだ。父も私同様に墓参りが大嫌いな人物だけど、彼の信条があり「些細なものだけどなくなると不便」というものがなくなりはじめたら、お墓参りに行けというものだ。父曰く「些細なものだけどなくなると不便なもの」とは、たとえば書きやすいペンとか、すごくきれいになるメガネ拭きとからしい。ほかでも代用できるけど、ちょっと気持ちよくないってことがポイント。そういうときは知らない間に浮足だってて、もっと大事なものをなくしたり、大きな失敗をする可能性がある。だから、お墓にいって、掃除して、お花かざって、住職に挨拶して、駐車場でタバコでも一本吸ってリセットする。自分の奢った気持ちやたかぶった自尊心を捨てて、ご先祖様に手を合わせ、自分が1人で生まれたわけじゃないことを確認するらしい。実を言うと、わたしもこれは実践している。だから私にとってお墓参りとは、お彼岸やお盆に定期的に行くところではなく、サインがあったらいく場所なのだ。死んだ人のためと言うよりは、生きている自分のためにする行為なのかもしれない。どこまでも利己的な自分に嫌気がさすが仕方ない。いつか、祖先のため、親のためにお墓参りに行ける日が来るかもしれない。鼻っ柱の強いわがままな女の子が、優しい祖母になったようにいつか成長するのかもしれない。

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