神無月・神在月

 和風月名では10月を「神無月」という。無は「の」の意味で使われることがあるので本来の意味は「神の月」ということだろう。この無が「の」ではなく「神が無い」の意味で使われてからは、神が集まるといわれている出雲以外は神無月、そして出雲だけは神在月と言っている。「十月 しぐれにあへるもみち葉の 吹かば散りなむ かぜのまにまに」これは万葉集に納められた1句だが、この「十月」は「かむなづき」とよむ。つまり、奈良時代には10月をかんなづきと読んでいたということだ。この「かんなづき」には「神が無い月」の意味以外にも、先にふれた「神の月」やお酒を醸す「醸成月」「神嘗月」などの意味がある。では、いつから神無月には八百万の神が出雲に集まるという話になったのだろう。徒然草では10月を神無月とし、神々が集まるとは書かれているが、集まる場所が出雲ではなく伊勢となっている。鎌倉末期から南北朝にかけて執筆されたといわれている徒然草では、まだ神無月=出雲に集合ではないということなのだろう。これより少し前の順徳天皇の八雲御抄(やくもみしょう)では「十月 かみなづき 出雲国には鎮祭月と云う」とあり、出雲で神が集まる祭礼がおこなわれていたことがみてとれる。そして、貞治5年(1366)以前に成立されたといわれている万葉集注釈書の「詞林采葉抄(しりんさいようしょう)」では「天下の神無月をば出雲国には神在月とも神月とももうすなり。我が朝の諸神参り給う故なり」とある。ということは南北朝、室町時代には「神無月=出雲」が成立していたということなのだろう。

 出雲では神在月になると、全国から神々が集まってきて、会議をするという。議題は縁や農業、酒造りのこと。この会議は7日間続き、そこで様々な縁が結ばれる。縁は恋愛ばかりではない、仕事や勉強、人付き合い。縁とはすべてのことを包括するキーワードなのかもしれない。コロナ禍で人との付き合い方や働き方、生き方を見直す時間が増えた。そして、前にも増して縁というものの大切さを噛み締めた人は増えたのではないだろうか。1人で生きてきたと思っていた人も、友達がたくさんいると思っていた人も、本当の自分と向き合った2年間だったような気がする。出雲の神在月というと、すてきなパートナーと縁を結びたいと願う若い女性に流行っているお祭りと見る向きもあったが、コロナを経験した私達には自分をつくる様々な「縁」を見直す良い期間なのかもしれない。

 

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