教育と日本人

 なかなか硬いタイトルになってしまったが、まあ、しかたない。教育の話の前に、識字率について考えてみる。日本のそれは、初等教育の義務化のおかげで、男女ともに、ほぼ100%である。これを世界に向けると6人に1人は読み書きが出来ず、識字率は80%くらい。男女平等に教育機会が与えられていない国もあるので、女性はもっと低い数字が出てくる。女性の教育について書きはじめると、きっと終わらないので、今回はやめておく。さて、世界でもこの課題は大きな問題として解決する努力がなされている。一方、日本の識字率の高さは初等教育の義務化による恩恵であると書いたが、学校制度が整備される以前、江戸時代はどうだったのか。一度は聞いたことがあるという人もいるだろうが、教育制度が確立されていなかった江戸時代でも、武士はほぼ100%、庶民の男子で50~60%、女子でも30%ほどが読み書きが出来たと言われている。もちろん、地域差はあるだろうし、その理解度もまちまちだったろうが、現在でも6人に1人が文字の読み書きができない現状を考えると、かなり高い水準だったとかんがえられる。

 仏像の修復や古文書の整理をしていると、この識字率の高さを認識するような場面に遭遇する。仏像の胎内やお寺の須弥壇の下などから、大量の文字史料が発見されることがあるからだ。今わたしが整理に携わっている古文書だけでも80件以上あるし、これはたった2つの寺院が所蔵している文書の数といえば、その文字史料の多さが伝わるのではないだろうか。その内容は、日記、訴訟、金銭の授受、手紙にお経、もろもろの下書きや落書きなど。。。。筆致も、時代もさまざま。中には、文字を練習したであろう紙片もある。つまり、さまざま年代の人が、さまざまな時代に、さまざまなことを書いたということだろう。

 この識字率の高さをうみだしていたのが「教育」である。武士の子息は「藩校」、庶民の子は「寺子屋」で教育を受けていた。藩校では儒学を中心とした学問と身体鍛錬を中心とした武芸を学んでいた。江戸時代は幕府を中心とした統治国家ではあるが、それぞれの藩が独自の法律や教育、金融をコントロールできる裁量権が与えられており、現在よりもずっと地方分権がつよい政治だった。だから、教育もその藩にあったカリキュラムや内容が開発されていたようだ。一方、庶民は「読み、書き、そろばん」が中心の寺子屋教育だったが、女子の教育も盛んにおこなわれていた。女子には女性の先生が教えることも多く、教育者には女性も相当数いたようだ。親や家族は、子どもたちへの教育に熱心で、商人や工人だけでなく、直接文字を使うことの少ない農民のこどもたちも熱心に学んでいたようだ。現在、全国の小学校数は2万程度だが、江戸時代の最盛期の寺子屋の数は5万以上だったと言われているので、教育熱心さを物語っている。寺子屋は藩校の教育以上に地域密着型であった。教科書は「往来物」といわれ、貸し出しスタイル。寺子屋と生徒の間を書物が往来するからこの呼名がついたようだ。この往来物、もととなる出典があるものが多いようだが、その多くは教師が書いたり編集したりしていた。「いろは」からはじまり、文字や漢字、単語をおぼえる「語彙系」、手紙に用いる語句や書き方を記した「消息系」、仏教説話や物語で道徳や倫理をとく「教訓系」、歴史や伝説の人物についてかかれた「歴史系」、各地の山や川、地形や気象について書かれた「地理系」、農業や商売、ものづくりについて書かれた「産業系」、年中行事や趣味のはなしが書かれた「社会系」、天文や生物、算数について書かれた「理数系」と、現代の教科書のジャンルと何ら変わらない多種多様な往来物が全国で書かれていた。テストや運動会、参観日のようなものもあったようなので、教育の普及と発展は私達の想像以上なのかもしれない。

 そして、この寺子屋の先生は、教育に対する情熱がたかく、生徒やその親からの信頼もあつかったようだ。入学金や月謝はわずかで、教育に対する情熱で寺子屋の運営や教鞭をとっていた先生が大半だったようだ。家の仕事を手伝うことが当たり前だった時代、勉強する時間は今の子供のようにはなかった。だから農村の先生たちは、農閑期に寺子屋を開催し、通えないこどもには通信教育のようなしくみを使ったりもした。不潔であるがゆえに病におかされ、教育の機会を失うこともあると考えれば、自寺(寺子屋の多くは寺でおこなわれていた)に風呂をつくり、子どもたちの散髪までして教育の機会を失うことを防いだ先生も存在した。少し新しいデータだが「乙武調査」という寺子屋の実態調査がある。これによると寺子屋経験者3000人以上への聞き取り調査では、子どもたちの先生への尊敬がほぼ100%となっている。そのうえ、子どもたちのも87%が先生を尊敬しているとこたえている。

 識字率が教育の普及度とイコールであるとは言えないが、教育に対する熱量をはかる、ひとつのバロメーターだとは思う。初等教育が義務化されていなかった江戸時代に日本の識字率がたかかった理由のひとつには、この教育者の情熱があったのだろう。「文字を読めない、かけない、計算ができないこと」は危険が認識できないことでもあり、仕事の幅をせばめてしまうことでもあった。この時代、職業選択の自由はなかったのだろうけど、仕事の内容を選ぶことは出来たはずだ。商売人が読み書きそろばんが出来なかったら、その人は一生お店の掃除をするだけになってしまうかもしれない。注文を確認することも、売上を計算することもできないのである。それは儲けの拡大が見込めないことでもあり、その人の人生が発展的なものではないということでもあった。子どもたちには明るい未来を与えたい。寺子屋の先生たちはそれを知っているからこそ、教育に情熱をそそぎ、親や周りの大人達も協力し、先生を支えていたのだろう。これが、江戸時代の識字率の高さの理由なのだ。現代の教育にも、同じことが言える、「読み、書き、そろばん」では明るい未来は保証されないが、教育が子どもたちを危険から守り、明るい未来を保証するひとつであることには変わりない。だからこそ、教育する人は情熱をもっているべきだし、まわりはそんな人を見守っていきたいと思う、子どもたちに明るい未来を保証するために。

ちょっと、かっこよくまとめ過ぎたけど、まあ、そんなことである。

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