おまじないと日本人

 どうやら日本人はこわがりな国民のようだ。神社やお寺に行けばお守りを買い、店先には塩を盛る。正月には鏡餅を飾り、節分には豆をまく。「鬼は外、福は内」と大きな声を上げながら内に外にと豆をまく。最近は節分の日、近所から声がしないと母は心配げな顔をする。これらはみんな魔除けだったり、幸運を呼び込んだり、願いを叶えるためのおまじないのようなものだ。どれくらいのおまじないがあるのだろうか。近所の図書館で「おまじない」を検索してみておどろいた、240件もヒットし、中身を見てみるとそのほとんどが日本のおまじないについての本ばかりだった。その中から数冊読んでみて、またまた驚く。イラストの入った小冊子のような薄い本でさへ、100個近いおまじないが紹介されているではないか。たとえば、「ちちんぷいぷい」や「くわばらくわばら」など、誰でも一度は言ったことがあるようなポピュラーなものが100個も載っているのだ。どれだけおまじない好きなんだろう。

 ちなみに「ちちんぷいぷい」は徳川家光の乳母であった春日局が、むずがる家光をあやすときに「知仁武勇御代の御宝」といったのがはじまりとか。「ちじんぶゆうみだいのみほう」が変化して「ちちんぷいぷいいたいのいたいのとんでいけ!」になったようだ。わかるようなわからないような、この曖昧さもおまじないっぽい。

 いっぽう「くわばらくわばら」は何か災いにあいそうなときや、あってしまったときに、つぶやくおまじないとして知られているが、これはもともと地名から来ているという。失意のうちに亡くなったあの菅原道真は死んだ後、雷神になっ。彼の所領だった場所が「桑原」という地名で、そこには一度も雷が落ちたことがないという言い伝えがあり、それが雷除けのおまじないになり、いつのまにか雷をはじめとした災難全般を除けるおまじないに定着したようだ。

 ほかにも、夜爪を切ってはいけないというのもある。私の家ではしかたなく夜爪を切るときの特別ルールがあった。大きくなるまではそれが世間一般どの家庭でもやっていることだと思っていた。どうしても夜爪を切らなくてはいけないとき、「牛の爪、馬の爪」と唱えると切って良いという特別ルールだ。これは爪を切る前でも、後でもない、唱えながら爪を切るのである。「人間の爪ではないです、だからいいでしょ」ということなのだろう。他の人に話すと笑われるのだが、意外に人間の爪じゃないから良いでしょルールは全国にあるらしく、牛、馬以外にも、鷹、鬼、猫などがあり、ある地域では「何の爪?」と質問するバージョンも存在するらしい。そういえば、夜に爪を切るとどうなるのだったろう。やってはいけないことは覚えがあるけど、それをするとどうなるのかということはすっかり忘れていた。この「夜の爪切り問題」を調べていて思い出した、そうだ、親の死に目に会えないのだ。そうか、そうだった。幼いときは「死」が漠然と怖かったし、親が死ぬことも恐怖でしかなかったから「この親の死に目に会えない」という事実は、ひどく悪いことが降りかかると思われた。今はどうか。死に対する恐怖がないとは言えないけど、死に目に会いたいかどうかと言われるとそんなこともない。薄情な娘だとは思うが、父から「人生は些末なことで出来ている、おまけみたいなもの」といつも言われていたおかげで、生きていることにあまり執着のない人間に成長してしまった。ましてや、仕事柄仏教について少し詳しくなってしまったので、死は恐怖というよりは苦からの解放と考えるようにもなってしまった。だから、夜爪を切ってもさして怖くはなくたった。ただ、老眼と体の硬さは年々増すばかり、あえて夜爪を切ろうとは思わない。

 日本に特別おまじないが多いのだろうか。もちろん、外国にもあるし、日本と同じおまじないも存在する。たとえば、「くしゃみをすると魂が抜けてしまうので、周りの人がおまじないを唱えてそれを防ぐ」というやつだ。日本では「くさめ、くさめ」外国では「God bless you」という。これはどちらも本人ではなく、お隣の人が唱えるのがおもしろい。

 ただ、それでも日本のおまじないはどうやら種類も数も多いようだ。これは、日本人の遺伝子と風土が関係してようだ。しあわせホルモンといわれるセロトニンという神経伝達物質、その分泌量を決定するセロトニントランスポーターという遺伝子が諸外国の人よりも日本人は少ないという。いわゆる不安遺伝子を持っている状態なのだ。これは、日本という国が災害が多く、不安遺伝子が多い人の方が生き残ってきたためだと推測できる。世界の災害の20%が我が国でおきているというでーたもある。それは、危険なところには行かない、やらない、近づかない。結果のわからない新しいことに、あえて挑戦するリスクは負わない。そりゃそうだろう。それが生き残るための最善策なのだから。おまじないも、一つ一つを紐解くと、きちんとした根拠があるものが多い。先程の夜の爪切りも「世詰め」といって早死のをあらわす言葉と同じ音であるという言霊信仰とともに、今のような爪切りがない時代、ろうそくの頼りない灯りの下で小刀で爪を切ることは指を切り落とすおそれもある、危険な行為だったのだ。だからこそ、禁じることにしたのだろう。身の回りの危険だけでもたくさんあるのに、それに災害がプラスされるのが日本という国。自然が豊かで恩恵も多いが、その分リスクも増える。温泉が多いということは、火山が多いということだし、水が豊富できれいということは雨が多いということでもある。地震、噴火、洪水、落雷、防風ありとあらゆる災害がいつどこに起きてもおかしくないのが日本という国なのだ。自然の脅威になす術はない、怖いのだからせめておまじないくらい、いくらだって唱えたっていいじゃないか、それで、すこしでもセロトニンが出て不安な気持ちが和らぐのなら、おまじないなんていくら言ってもいいじゃないかというわけである。


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