くつを脱ぐ

 玄関でくつを脱ぐ習慣がある国はどれくらいあるのだろう。韓国、タイ、インドネシア、マレーシア、ミャンマーなどいくつかの国では、玄関でくつを脱ぐという。いずれもアジアである。建築様式的にいえば、高床式住居など地面から切り離されている住まいの場合、くつを脱ぐ習慣があるといわれている。アジア諸国の多くは高温多湿で、菌やカビが発生しやすい。くつのまま、寝食する場所にはいれば、それらは容易に繁殖し、住む人の健康を脅かすことになる。今回のコロナ禍でも、くつ脱ぎ文化は感染予防の一端をになっているといわれたりしていた。しかし、日本のくつ脱ぎ文化は単純に建築様式からくる習慣とはいい難い気がする。

 日本人にとって、ウチとソトは明確に切り離す存在である。ソトは穢れた場所であり、ウチは神聖な場所なのだ。ソトには目に見える汚れやゴミがあり、そのうえ目に見えない怨讐のようなものもある。怨讐というとおそろしいが、人々の「悪意」や「欲」「煩悩」、あるいはポジティブな「願い」でさへ、穢れの一種なのかもしれない。だから、神聖な場所であるウチにはまっさらな存在で侵入するべきなのである。つまり、玄関よりウチは結界内というわけだ。もともと、結界とは出家した仏教徒の集団「僧伽(サンガ)」や、彼ら彼女らが修行する場所くらいの意味だったが、密教に取り入れられると神秘性を内包するようになり、特殊なエネルギーのある場所となった。日本に入ってくると、神道の「聖と俗」の存在ともミックスされ結界は特殊な場所として認知されたようだ。この結界がウチとソトの概念にも組み込まれ、ウチ=家の中は穢れを持ち込むことが許されない神聖な場所ということになったのだろう。

 日本の文化の源流の多くは中国由来のものが多い。漢字や庭、お茶もそうである。特にお茶は、喫茶という習慣を茶道という芸術にまでブラッシュアップして茶道から発生した「わびさび」や「粋」などは今の日本人の精神的根幹にまでおよんでいる。また、茶室ではくつを脱ぐことで、現世の主従関係や煩わしさをとっぱらい非日常空間を演出することで、茶の世界に没入させる。客は結界内に招かれたのだ。

 現在は住居構造も変化し、人々の生活習慣も大きく変わった。くつを履いたまま生活する家や玄関と室内の段差のないお宅もおおい。それでも、お寺や神社の内陣に土足で入ろうとする人はめずらしい。

「神聖な場所は土足厳禁」。これが日本人のDNAに深く刻まれているのかもしれない。

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