品のいい人

 品とはなんだろう。英語では「Dignity」と訳されるが、これを「品のいい人」にすると「Good person」となる。もちろん、翻訳ソフトの性能の違いもあるが同じ「品」でもちがう英語に訳されるということだ。この「品」というのは、至極やっかいで、日本人はサラッと使いこなしているが、これを外国の人に説明するとなるととてもむずかしい。品を由来する日本語はたくさんある。品位、品格、気品、人品、上品、下品。。。たとえば、品位と気品をはおなじdignityと訳される。しかし、この2つの意味は微妙にちがう。品位については、保つべきものであり、最近話題の皇族や横綱は品位を保つべき存在として明言されている。ほかにも、自衛隊、医者、弁護士などの士業は法律でその品位の維持を義務付けられている。一方、気品とは「どことなく感じられる上品で気高い趣」であり、保つべきものではなく溢れたり纏うものなのだ。つまり、品位は備わっているべきもので、気品はあとから付加するものということなのだろうか。普段からこの微妙なニュアンスを日本人の多くは何気に使い分けている。外国の人にしてみたら、すごくわかりにくいうえに、様々な場面でこの「品」は幅をきかせる。音を出して食べたり、迷い箸をすれば親から品のない食べ方はやめろと叱られたし、シックな装いをみれば、あの人のセンスは品が良いなどという。下品な人と言われたらしばらくは立ち直れないし、上品な人たちの集まりへ参加することに腰が引ける。

 「品」は、もともと2つの言葉を意味しているようだ。サンスクリット語を由来としているが、ひとつは「varga」もう一つは「prakara」、前者は「まとまりや段落」、後者は「種類」を意味していると言われている。この言葉が中国で漢訳されたときに、もともと人物の性質や生まれを分類していた「品」という言葉が当てられ、これが日本に輸入されたというわけだ。人物の位や等級を内包していた「品」という言葉のうえに、能力や雰囲気などの「気配」も上乗せしたのが日本の「品」だろう。初期仏教から大乗仏教が派生した課程で、釈迦以外の仏が多く誕生した。その一つが阿弥陀如来であり、阿弥陀が住む場所が極楽浄土なのである。ここから、死後、極楽に往生することを願う浄土思想が生まれるのである。阿弥陀は往生の際、迎えに来てくれる事になっているが、それぞれの人が生前どのような生き方をしてきたのか、はたまた、どのような生まれなのか、能力なのかで9種類にわけられ、その等級によってお迎え方法に違いがある。9種類は上品上生から下品下生とあり、最高級は上品上生だ。この場合、阿弥陀如来が菩薩と天女を引き連れて、パレードさながら荘厳な様子で迎えに来てくれる。しかし、これが下品下生のの場合は、もちろん阿弥陀は来ないし、菩薩も来ない。ただアナウンスのみで行ったことのない極楽浄土に一人で向かわなければならないのである。これが仏教でいう「品」のちがいだし、つくづく「品」とは恐ろしいものである。これがベースになって、日本の「品」は変容を遂げるのである。

 日本の文化の多くがそうであるように、古代から中世にかけて、文化の担い手はごく一部の高貴な人々だった。しかし、近世に入り、世の中が安定してくると庶民も生活の中で、多くの楽しみを見つけることとなる。多様なニーズが文化を独自に変容させ、政治もそれを利用するのである。侍に清貧の思想を植え付けたのは幕府だし、下品な振る舞いは恥であるとしたのも、そんな世の中なのだろう。このように「品」には恥という概念も関係している。品のないことはルール違反ではなく、恥ずかしいことなのだ。そして、品のない振る舞いは和を乱すことでもある。和を乱すことも恥ずかしいこととされている。

 ただ、この恥の概念は刻々と変化している。一昔前は男性が人前で泣くことや、女性が自分の意見を言うことは恥ずかしいことだった。しかし、いまは自分の感情や意見、弱さを表現することは恥ずかしいことではない。大坂なおみ選手がメンタルヘルスに問題があると公表したことに、世界は評価を与えた。彼女の心の問題を共有することは意義のあることで、共有することを選んだ大坂なおみというテニスプレーヤーは偉大な選手であり、偉大な人間であると。彼女は、米タイム誌の「世界で最も影響力のある100人」に選ばれている。この報道をうけて、日本でも彼女の評価は良いものとなっているが、メンタルヘルスの問題について公表した当初の日本での反応は、決して良いものではなかったと記憶している。偉大な選手が自分の弱さを見せることは恥ずかしいこと、「武士は食わねど高楊枝」の精神が日本人のどこかにまだ残っているのだろう。でも、それはほんとに強さなのだろうか。自分の弱さをあるがままに認め、その弱さと共生していくことが本当の強さなのではないだろうか。

 私は「しなやかに強かに」生きたいと思っている。柔らかいけど折れない強さをもちたいと願っている。弱さを内包し、強く生きることは難しいけど、大坂なおみ選手の記事を見ていると、それも難しくないのかもしれないと前向きな気持になる。品の話から、いつのまにかテニス選手の話になってしまったけど、まあ、そんなものだろう。

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