歴史と料理

 古文書をよんでいると、たびたび料理や食事に関する記述にでくわす。旅行記ならご当地料理に舌鼓をうち、戦国ものなら空腹にあえぐ、日記ものなら誰それが手土産で団子を持ってきたなど、今と変わらないほど食べることが生活の大きな要素となっている。大好きな食べ物エピソードがある、それは徳川最後の将軍・徳川慶喜の父・水戸斉昭が息子慶喜におくった書簡の中の一節である。烈公といわれた斉昭が、息子にどんな手紙をかいたのか。彼の父親としての一面がチラチラと垣間見える。「(略)かねて申し進めおき候黒豆毎朝百粒づつ上がり申すべし。湯茶水菓子など御用ひこれなきやうにと存じ候」「一、黒豆は日に百粒づつ上がり、牛乳も上がり申し候よし、これもかねても申し候通り、御一生御止め成されざるやういたしたく候」云々。。。とにかく、毎朝、黒豆100粒と牛乳を飲め、そして湯茶や果物のような水ものをなるべくとらないように」と言っているのである。これは、主君としての責任を果たすためには健康で長命でなければいけない、そのための食事療法を指南しているのである。この時、息子・慶喜は11才〜13才。現代でいうなら、まだ子供といってよい年齢である。一種の帝王学なのだろうけど、ちょっとうるさい感じもするし、朝から黒豆100娘は多すぎる。どうやら、慶喜はもともと丈夫でなく、脚気や胃もたれの気があったようだ、父としては心配で仕方がなかったのだろう。この書簡には、まだ続きがある。医学的な根拠はさておき、斉昭は胃もたれに水分摂取は厳禁と考えていたようで、食事や武芸の際にも水分をとってはいけないと厳しく書いている。まるで、少し昔の運動部のようだが、斉昭は心底信じていたのだろう、とにかく一日の水分摂取量と排泄される尿の量を計測し記録をとり、なるべくなら尿の量が少し多いくらいがちょうどよいと書き送っている。慶喜がその通りにしたかどうかはわからないが、とにかくそうなのである。すこし、神経質過ぎはしないだろうか。料理の話から、ずいぶんそれてしまったが、この時代もうすでに、これくらい食事療法が考えられていたということである。現代も、健康食品ブームは毎年のようにトレンドを変えてやってくる。正直、ココナッツオイルくらいまでは、多少聞いたことがあったが、それ以降はなんだかよくわからない。そのうえ、健康的な食事もアップデートされている。ベジタリアンやビーガンは知ってるけど、グルテンフリーやサステナブルな食とか言われると、すこしぐったりする。いまはこんなご時世で外食する機会があまりないが、少し前まではファミリーレストランでさへ、「白米か五穀米か」が選べたし、目の前の油ギッタギタ、添加物モリモリのハンバーグを帳消しにするがごとく、「五穀米」をチョイスしたものだ。コンビニエンスストアに毎シーズンあたらしいスナック菓子がならび、こ食用チルド食品がならぶのに、健康食ブームは加速するばかりだ。

 長期で海外旅行や出張、留学をしたことのある人なら誰もが感じること、それは「日本ほど食が充実している国はない」ということ。もちろん、これは自国への贔屓目だろうし、外国の人からすれば、そんなことはないと言われることかもしれないが、納得してくれる海外の方も多くいるのではないだろうか。日本にいれば、世界中の食べ物が気軽に食べられる。カレーもラーメンも、パスタもハンバーガーも。私は10代、20代とアジア諸国を好んで旅していた。インドに1ヶ月ほどいたことがあるというと、大抵の人は、私が仏像修復家であることを考慮して、仏教や仏像の勉強のためにおとずれたと勘違いする。しかし、そんなことはない。単純にインドカレーが大好きだったからという理由だけで1ヶ月滞在していたのだ。インド以外も、新大久保で食べたミャンマー料理のお茶のふりかけが美味しかったから、神田で食べたネパール料理のモモを現地でも食べてみたいから、本郷三丁目のフォーにハマっていたからなど。その国の食事を現地で食べたいという理由だけで、アジア諸国を旅していたのだ。たまたま、私がアジア料理が好きだっただけで、パスタが好きならイタリアへ、チョコレートがすきならベルギーに行っていただろう。日本人はいつからこんなに食に貪欲なのかしら。

 前出の古文書とは、江戸時代のものがほとんどで中世のもの、ましてや古代のものは入っていない。以前、知り合いが中世の武士の食事を再現したことがある。イベントの一貫だったが、その知り合いが少しがっかりしたように言った言葉が忘れられない。「おいしくないんだよね。。。」このイベントでは一流の料理人と特別な食材で再現した鎌倉時代の饗宴料理、それが美味しくないという。もちろん、鶴の肉など再現できないものは鶏肉で代用したりと、全くの再現とはいかないまでも、ある程度のクオリティを再現したはずなのにである。理由は、調味料の貧困さ。今、私達が「料理のさしすせそ」として日常的に使っている調味料のうち、当時の主流は塩と味噌。砂糖や酢は貴重品だし、ましてや醤油は開発されていない。元になる醤(ひしお)のようなものはあったが、いま私達が食している醤油は、江戸時代に入ってから流通する調味料だ。調理器具もしかり。この時代「なべ」といえば土鍋であり、鉄鍋は一般に普及していない。つまり、火力を必要とする炒めものや揚げ物は登場しないということになる。茹でたり、蒸したりしたものを基本塩あじ、たまに味噌あじでたべる。たしかに、飽きそうである。鉄鍋も普及するのはずっと後。戦乱が終わり、天下泰平な世の中になってはじめて食は発展するのかもしれない。

 現代の日本が飽食だと嘆く人はいる。食品廃棄や経済格差による子供の食に関する貧困など、食に関する問題があることは事実だが、ここではひとまず置いといて、食をたのしめる現代の日本を素直に喜んでも良いのではないかと、夕飯のメニューに頭を抱えながら思う今日このごろである。

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