日本人とスポーツ

 スポーツを広辞苑でひくと「陸上競技・野球・テニス・水泳・ボートレースなどから登山・狩猟などにいたるまで、遊戯・競争・肉体的鍛錬の要素を含む身体運動の総称」とある。日本にはスポーツというものが昔からあったのですかと問われたら「ない」というが、後半の『遊戯・競争・肉体的鍛錬の要素を含む身体運動』だけを考えれば答えは「ある」だ。少し前にNoteでも書いたことがある「相撲」も、武士たちがおこなっていた「剣術」や「馬術」「箭弓」も遊戯・競争・肉体的鍛錬の要素を含む身体運動にほかならない。一般民衆がおこなっていたものの中には、たとえば「かけっこ」「羽つき」「こままわし」なども身体運動だし、もう少し軽めのものだとお手玉、凧揚げ、かるたなども遊戯として仲間に入れてあげても良いだろう。

 「遊戯・競争・肉体的鍛錬の要素を含む身体運動」は古代からあって、そこに大陸から蹴鞠、打球、競渡、投壺、鷹狩などたくさんのスポーツが入ってくる。それらは貴族の間で流行し、武士が台頭する頃には戦闘の手段としての武術、たとえば流鏑馬などもスポーツの仲間入りをはたす。こうやって、古代のスポーツは中世の武士を通して継承されていったが、まだまだ一部の特権階級の嗜みにすぎなかった。それも、江戸時代になると、他の生活や文化と同様に、スポーツも一般民衆の楽しむもののひとつになった。たとえば「投げる」というスポーツの中には「投壺(とうこ)」というものがある。起源は中国、紀元前700年ころにはすでにルールが細かく確立されるほど、おこなわれていたようだ。壺のなかに矢を投げ入れ、たくさん入った方が勝ちという単純な遊びだが、壺の高さや口の大きさ、投者の距離や矢の本数、点数の付け方など細かなルールが決められていた。どうやら、酒席でおこなわれたものらしく、負けた方は罰酒としてをお酒を飲む。なんだか、今でも流行りそうな余興である。この投壺が日本に入ってきて、貴族の嗜みとなるが、江戸時代、民衆が楽しむ頃になると投壺は「投扇興」と形をかえる。はじめは上方を中心に上流階級が好む優雅なスポーツだったが、江戸に伝わるやいなや、大衆的スポーツとして広く普及する。「投扇興図式」「投扇興譜」「投扇新興」などHow to本も登場する。大流行した投扇興は、いつまにかギャンブルの対象となり、「投扇屋」なる小屋まで登場。こうなると、依存者が続出、幕府に禁止令を出されてしまう。もちろん、一度火が付いた投扇興の火がこれで消えるわけはない。浮き沈みを繰り返しながら、存在し続けたのが「投扇興」だ。いまでも、京都のお茶屋などでは、芸者遊びのひとつとして、これがおこなわれている。わたしもTVでこの遊びに興じる歌舞伎役者だったか、往年の映画スターだったかを見たことがある。このように、江戸時代のスポーツの中には賭け事の対象として発展したものもある。相撲や穴一もそれだろう。そして、いつの時代もお上に禁じられ、下火になり、それでもこそこそ遊び、いつの間にか規制が緩まり、また流行。ふたたび、お上に目をつけられ、禁じられ・・・。これの繰り返し。勝敗のあるスポーツはどうしても、賭けたいのである。仕方ないではないか。

 その一方、日本のスポーツには「道」がつくものがいくつかある。剣道、柔道、弓道など。この「道」には、強くなるために修行をつむだけでなく、そのスポーツを通して、人としての成長、人格者になることを目指すという意味も込められている。スポーツマンシップというものがあるが、これはスポーツすること自体を楽しみ、公正にプレーし、相手の選手に対して尊敬や賞賛をもち、同じスポーツの競技仲間としていっしょに活動する姿勢のことである。日本人の思う「道」とはすこし異なる。しかし、日本人の多くはこのスポーツマンシップさへも「道」に寄せて考えているようだ。スポーツを通して健全な育成目指し、人格者として成長するためには苦しい練習や自己鍛錬は必要で、「忍耐、根性、修練」が必須と考えている。もちろん、最近では、この根性論はスポーツに必要ではないという考え方も出てきて、単純に楽しむことを良しとする風潮もある。しかし、日本人のスポーツ観の中には、この「道」の要素、「スポーツを通して人としての成長し、人格者になることをめざす」が隠れていると個人的には思っている。

 スポーツをすきあらば賭博の対象にしてしまう俗物性と、スポーツを通して人格者をめざす高尚な精神性、この2つを同時にもつのが日本人なのかもしれない。

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