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過去の自分を抱きしめる。

トラウマとの向き合い方

誰しもにトラウマってあるのではないかと思います。そんな過去に体験したつらいことがフラッシュバックしたり、夢で同じ状況を見ることってありませんか。
ちなみにわたしはよくあります。

わたしがよく見るのは夢の方で、学生の時のことも、社会人以降のことも、時系列はバラバラ。状況をそのまま追体験することもあれば、少し俯瞰して客観視してることもあるのですが、わたしの場合はどんな夢でも共通して「その時言いたくても言えなかったこと」が同時に頭の中をぐるぐる巡ります。
夢の中の自分がそれを口にするかはまちまちですが、起きると泣いていることもあり、とっても疲れます。

カウンセリングの先生曰く、

フラッシュバックや夢での追体験は、その時の自分では整理できなかったことを今になってしているの。
だからあなたはきちんと前に進んでいるのよ。

とのことでした。そうだといいなあ。
タイトルの言葉も、カウンセリングの先生に言われたことです。
(たぶん、認知行動療法のひとつなんだと思うんですが。)

目をつぶって、まさにつらいところにいる過去の自分に会いに行こう。今のあなたなら過去のあなたになんて声をかけてあげたい?何をしてあげたい?

わたしが、何してあげたらいいかわからない、けど大丈夫なんとか生きてるよって伝えたいです、と答えると

じゃあ、大丈夫って言って、過去の自分を抱きしめてあげて。思いっきり肯定してあげよう。今はつらいところにいるけれど、あなたは存在していいんだって、思わせてあげるんだよ。

と言われ、過去の自分を抱きしめている今の自分を想像してみると、自然と涙が溢れました。
わたしは、自分で自分を認めてあげることすらできていなかったんだと感じました。

そう、あなたの場合、言いたいことをその場で言い返すためにはまず自信をつけることが必要。
そして自信をつけるには、過去の自分と向き合って、抱きしめて、肯定してあげることが必要なの。
夢を見て思い出して何年も前のことなのに今さら情けないとか思うかもしれないけど、それは悪いことじゃない。向き合うことができはじめた証拠なんだよ。あとはそんなつらい中にいる自分を抱きしめてあげて。

今回は過去の自分を肯定し抱きしめ、そして決別して前へ進むために、わたしの過去について書きます。恨み節みたいになっちゃうけど。

初めて知る"理不尽"

私は学生の頃、万年いじめられっ子でした。
ボーッとしている間の悪い子で、性格もおとなしい割りに感情が表に出やすかったので、まさに格好のターゲットでした。

特に酷かったのは高校三年生の時です。
私は中高とずっと剣道をやっていたのですが、同じ部活の唯一の同期女子Aが、引退試合前に同じ部活の先輩Bさんの元彼Cくん(同じ部活の他校の男子生徒)と付き合いはじめました。時期は被ってはないだろうけどそれにしてもスピーディーで、略奪を怪しまれてもおかしくはない、という感じ。略奪したのかどうか真偽のほどは未だ知りませんが、まずいという気持ちがあったのか、Aは「自分からBさんには報告したいから言わないで」と口止めしてきました。
私はきちんとAの要望を守り、さらには詳細を根掘り葉掘り聞くこともしませずに我関せずな姿勢を貫いていました。

そしてとうとう訪れた引退試合の日。OGとして、例の先輩も駆けつけてきてくれていました。
試合を終えて記念撮影をし、一息ついた頃、例の先輩とその同期の先輩に囲まれ、詰め寄られました。
「ねえ、AがCと付き合ってるって本当?大会前に剣道伝ての他校の知り合いから噂になってたの聞いちゃったの。いつから?」
私はすみませんわたしは一切わかりません。とその場を立ち去りました。

その後B先輩たちは直接Aに詰め寄ったのでしょう。Aの態度が突然変わったのはそれからです。
「なんでBさんに言っちゃったの?!あんたのこと許さないから!」
いやいやあなたが自分でちゃんと言うからって私に口止めしてたからわたしは何も言ってないよ?そもそも前から(たぶんCくん側から)噂は広まってるみたいだったけど…と言っても聞いてくれません。この反応から見て、どうやらやましいことをした(略奪)のは本当のようで、それをこってり絞られたという感じでしょうか。でもそれをわたしに言われても…初めて"理不尽"という感情を知りました。

ひとりぼっちで

不幸なことにAとは同じクラスでした。でも複数名のグループの中で一緒にいたので、Aとは気まずいけどまあ他の子といればいいや、と思っていました。
しかし彼女は土日のうちにしっかりと根回しを進めていました。
月曜日にはもうクラスの中に私の居場所はありませんでした。
「しゃけはAの純愛を邪魔した最低なやつ」という体になっていたんです。
その日から密やかにいじめが始まりました。

わかりやすい無視や仲間はずれはもちろん、机の中に黒い折り鶴を入れられたり、わたしの席の近くにある壁の落書きに「○○○○○○(当時仲良しグループのイニシャルを並べてチーム名みたくするのが流行っていました)一生友達!しゃけは仲間はずれ!www」と書かれたり。
でもクラスのみんなは、受験勉強に必死で我関せず。誰にも助けてもらえませんでした。
担任に訴えても、そのグループの中の何名かに推薦合格が決まっていたのもあってか、あと半年もすれば受験シーズンになって学校に来なくてもよくなるのだしそれまで耐えろと全く取り合ってくれませんでした。

また、当時は前略プロフやデコログなどが流行った時代です。ネットいじめの黎明期でもあります。
わたしも自分のブログに明らかにリアルのわたしを知っているような荒らしのコメント(ここの主はほんとは暗くて性格が悪い学校でもいつも一人でいる云々)が入っていたことがありました。出力して担任に提出し訴えましたが、やっぱりスルーされました。
(今思えば、警察にいえばよかったのかなあ。でもそんな判断すらつかなかった。親たち世代にとっても未知の領域で、何をするべきかわからなかったと言っていました。)

さらに、卒業アルバムのクラスページ担当になった彼女たちは、クラスページからわたしの写真を削除しました。担任も検閲せずそのまま掲載され、わたしの存在は卒業アルバムからすら抹消されました。

学年主任や前の担任はわたしの様子を気遣ってくれていましたが、手を出せるテリトリーになかったのか、最後の最後まで直接的にわたしを助けてくれる人は誰もいませんでした。

不登校になってしまおうかと考えた時期もありました。
でもそこで両親に「不登校になったらいじめっ子の思う壺、あんな奴らのために自分の将来を左右する受験に不利になることするのは悔しくないか?!」と焚きつけられました。(言いたいことはすごくよくわかるんだけど、今思えば、休むという選択肢を与えてくれてもよかったのでは…とも思ってしまう。そしてこの時のことが社会人になってからも効いてくる。)
わたしも、確かにそれはそうだと思いました。あと数ヶ月、我慢すればここから出られる。絶対あいつらより良い大学に行ってやる!こんな田舎は出て、絶対帰ってこない!そして誰より幸せになってやる!
その悔しさだけで、残りの半年近くを乗り切り、無事大学に進学しました。
こんな状況だったので模試もなかなか伸びず全てD判定以下の中、もはや意地だけでレベルを落とさず本番に挑み、結果受験した10個全ての大学から合格をもらいました。
担任に報告した時に言われた言葉、今でも忘れられません。

全部受かる受験も、失敗なんだぞ。

どの口が言うのかと、怒りで震えました。
今考えても、あの時のわたしはよく踏ん張ったし偉かったと自分で思っています。なんの取り柄もないわたしですが、あの時のことだけは、唯一自分でも認められる気がしています。
でも同時に、そういえば自分以外の誰からも褒めてもらえなかったことも思い出しました。受験を頑張るのは当然のこと、いじめごときで逃げ出すなんて言語道断。学校も親も、その考えに縛り付けられていたからでしょうか。
逃げるという選択肢が自分の頭にも周囲の頭にもなかったこと。わたしあのときずっとひとりだったな、とてもつらかったなと今になって思います。

オトナも未熟な生き物だった

そんな私もどうにか社会に出ることができました。就職活動もとっても苦労して、やっと掴んだ内定でした。そこそこ大きな企業で、福利厚生もしっかりしており、親を安心させられることが嬉しかったので、ここに決めたのです。
配属されたのは女性ばかりの事務職の部署でした。そしてそこでまた、女社会の恐ろしさを目の当たりにすることになりました。
OJTのDさんは仕事ができる美人、ですが気分屋で口が悪い人でした(結婚の手続き書類の提出後すぐに出産の書類が出ると「デキ婚かよ」って噂話したり)。教育担当のEさんは良くも悪くもすごくテキトーでした。
納得できないと先に進めないタイプのわたしとの相性は、まさに水と油でした。
指示を仰ぐと以前と違うことを言われることはザラ、処理手順を聞いてなぜここはこうなるんですか?と質問しても「うーんとまあこれは"そういうことになってる"もんだから、それ以上でも以下でもないから、まあそういうことで!」みたいな回答になってない回答で終わらせられたり、それでいて答えを調べるの忘れてるだけかな?としれっとまた聞いてみるとしつこいな!物覚え悪いな!と怒られたり。
今でこそ、いやいや教え方下手すぎるだろ!と突っ込みたくなるけど、当時はそんなこと言えませんでした。

さらにわたしは新入社員の頃体調を崩しやすく、しかも相変わらず間も悪くて、毎月忙しい時期にピンポイントで風邪をひいてしまっていました。半年経った頃Dさんはついに痺れを切らし「なんで忙しいときに限ってひくのよ!ほんと使えない!」と怒鳴られました。
初年度でただでさえ少ない有給もどんどん減っていました。周りにうつしちゃう方が迷惑じゃないかな、でもまたDさんに怒られるし…今度は風邪ひいてもちゃんと行こう、と思いました。
次の繁忙期にまた風邪をひきましたが、今度は無理をして出勤しました。
するとまたDさんが今度は「繁忙期に風邪菌巻きしらしにこないでよ!」と言ってきたのです。
わたしもまあそれは考えていないわけではなかったけれども、まさかの菌扱いにびっくりするとともに、もうじゃあどうすればあなたの気は済むのか?!わたしはどうするべきなのか?!!全くわからなくなりました。

ベテラン社員に新人がそんなこと言われたら、そりゃあビビるし、わたしが悪いのか…って思ってしまいます。
わたしが悪い、全部わたしのせいだ…そう一年半思い続けていたら、ついに壊れました。職場で自席に着くと涙と手の震えが止まらなくなってしまったのです。
最初のうちはDさんもEさんもびっくりしていましたが、次第にうざったくなってきたのでしょう。泣いてんじゃねーよとか、仕事できねーくせに愛想もない、ちなみにこれはみんな言ってる思ってる、といったことを言われるようになりました。
限界がきたわたしは上長に相談し、そのチームから外してもらうことになりました。

女の嫉妬はおぞましい

その後わたしは別チームに異動となりました。しかしそこにもモンスターは蔓延っていました。
社員がわたしも合わせて6名いましたが、わたし含めた四人が独身で20〜50代までそれぞれの年代コンプリート、残り二人は時短勤務のママさんでした。その二人は残業できませんし、その分の労働は独り身勢で補うことになります。でもそういう契約なんだから当然です。ママさんたちは何も後ろめたく思う必要はないのです。
しかしそのチームに異動して初めての繁忙期を迎えたとき、なんでかママさんたちみんな謝って申し訳なさそうに帰っていくんです。
なんでだろ、と思っていたら、定時後の時間に40代のFさんが「あの人たち、早く帰れていーよねー」などと言い出しました。周囲も、ですよねーなどと同調。
こ い つ の せ い か !!!
このご時世にこんな常識はずれなマタハラ?ジタハラ?するやつまじで存在するの…うそでしょ??と驚きが隠せないわたしに気づいたFさんがさらに一言。
「あっ、ごめーん♡今の、ふたりには内緒ね?」
確信犯かよ!!!てゆーか周りも諌めろよ。これらの発言は嫉妬からくるものなのか、なんなのか?今も正直よくわからないし、物申したいことはたくさんあったけど、やっぱりわたしは何も言えませんでした。そしてそういうやりとりは、Fさんが異動になる約一年半毎日続きました。

ここのチームでももう、わたしダメかもしれない。でもせっかくこの会社に居続けるチャンスをもらったんだからがんばらなきゃ。

そう思ったわたしは、チームの50代のリーダーGさんにまず相談しました。
「時短の人が時間の通り帰るのは当たり前なのに、Fさんがそれが悪いことのような空気をつくっていると思います。わたしから言うと角が立つのでリーダーが諌めてくれませんか?」
その翌日、リーダーGさんは
「私じゃなくてしゃけさんが言ってたんだけど、そう言うこというのはやめようね?」
とわたしを隠れ蓑にするというゲスな行動に出ました。

リーダーに苦言を呈されて面白くなかったのであろうFさんはわたしへの当たりをきつくしてきました。Gさんはもちろん、見て見ぬ振りです。

わたしはまた新しいチームでも、ひとりぼっちになってしまいました。

とにかくマウンティング

さて、そんな社会人生活の絶望の中でも、同じ部内に一人だけ手を差し伸べてくれていた人がいました。一つ上の先輩Hさんです。
当初はプライベートでも良くしてもらい、DさんやEさんと上手くいかなくなった頃から、ずっと話を聞いてくれていました。
そんな状況に変化が訪れたのは、わたしに彼(現婚約者、元同じ会社の同僚で現在はもう他社に転職済み)が出来た頃でした。
彼とFさんは同期だったので、報告した時の最初の反応は「あいつでいいの?w」でした(冗談かと思っていたけど今思えばあれもマウントだった、だってすごく失礼)。
わたしから告白して付き合った、だからちゃんと大好きなんです、大丈夫です!と告げましたが、なぜか不機嫌になるHさん。いつもさめざめ泣いていた"かわいそうな(下に見れる、自尊心を保てる)後輩"に自分より優位に立たれたと感じたのか?直接聞いたわけではないから真偽はわからないけれど、わたしがそう感じた極め付けの一言。
「これは絶対内緒だけど、わたしも一ヶ月、社内恋愛してたの。わたしの方が社内恋愛の先輩なんだからね!」
うーん???と一瞬意味がわからず固まるわたし。そうなんですね、さすが!みたいな適当なことを言ってその場は解散しました。
しかしその予感は的中、会うたびに彼とはまだ続いているかを確認され、続いていますよと答えるたび、その期間が伸びていくたび、どんどん不機嫌になる、自分の恋愛遍歴(彼氏がころころ変わる)を語って「妥協してない?」と言ってくる(余計なお世話が過ぎる)。

ずっと話を聞いてくれたHさんがこんなこと言うなんて、というショックもありましたが、きっと今ご機嫌が悪いだけじゃないか?とヘラヘラ誤魔化しつつ付き合いを続けてきました。しかしついにプライベートの場で、彼女の言葉がわたしの逆鱗に触れる出来事がありました。

「しゃけちゃんの異動先、まじ使えない人の集まりだよねwいっつも私が尻拭いしてあげてるしぃwまあせいぜいがんばって?」
私が異動してDさんEさんから離れ、新しいチームで頑張ろうと思っていると伝えた矢先のことで、FさんGさんみたいな人もいるけどまあがんばろうとやっと気を持ち直したところでの一言でした。

そしてさらに追い討ちをかけるように、わたしのプライベートのことにまで口を出してきました。
「週末は彼とずっと一緒にいるの?友達いないのお?」
(まあ確かに友達が少ないのは事実だけれども)なんでそんなことあなたに言われなきゃいけないの?
それでもやっぱりわたしはその場で言い返すことができませんでした。
ヘラヘラ笑ってその場をやり過ごし、帰りの電車で人目も憚らずボロボロに泣きました。その後Hさんとは仕事以外では距離を置くことにしました。

マウンティングするのってつまり、相手のことを下に見てるってことなんですよね。それをまざまざと見せつけられたのが、とてもつらかったです。
上に乗るにも乗られるにも、自尊感情は人をここまで狂わせるのだな、とこの時学んだ気がします。

ずっと欲しかったもの

現代ではいじめによる自殺がようやくクローズアップされるようになりましたね。わたしが高校時代に受けたいじめがもし今の時代に起きていたら、どうなるんだろう。もっとちゃんと取り持ってもらえたのかな。助けてもらえたのかな。今の職場での件も、コンプライアンス室とかに訴えていたらもっと違っていたのかな。って考えると、わたし未だに悔しいんです。その場で何も言えなかったことが。

「ふざけんな!何が純愛だよ!逆ギレするってことはやっぱり略奪してたんじゃねーのか!騙されてるみんなもアホかよ!てめーの恋愛沙汰にわたしを巻き込むんじゃねーよ!」って、Aの前で叫んでやればよかった。

DさんEさんFさんGさん達に、それ完全にモラハラ・セクハラ・マタハラですよ、人事に報告しますね、って言ってやればよかった。

そんな小さいことで後輩にマウント取ってんじゃねーよ器が知れるわ、というか他人のプライベートのこと上から目線でとやかく言う前に長期的に関係を築けない自分のことをまず省みろよ、ってHさんにその場で言い返してやればよかった。

彼女たちのことは未だに夢に出てきて、言いたいことがたとえ言えても言えなくても、起きるときは喉元まで涙がせり上がり、胃がムカムカするんです。

高校卒業から8年近くたった今、わたしは曲がりなりにも社会人をやっているし、素敵な恋人と婚約もできました。
職場でもまあ色々あったけれど、私ともめた人たちはみんな育休やら異動やらで普段そんなに関わることもなくなったし、以前と比べたら幾分も平和です。
でも今でも思い出しては、猛烈に悲しくなる時があります。

それでも未だに夢を見るわたしに、ある日LINEで剣道部の同期グループへの招待がきました。
当時の事情を知らない同期の男子たち(一部の仲の良い男子にしかいじめのことは伝えていなかった)が、久々に飲んだとかで懐かしくなって作成したのだそうです。当然Aもその中にいました。プロフィール画像は幸せそうな笑顔(ちなみに風の噂によると、Cくんとは既に破局しているそう)。
腹が立ちました。同時に、未だにAに腹が立つ自分が、情けなくなりました。
そのグループには、未だに入れていません。

そんなとき、あるドラマが衝撃のセリフを投げかけてきました。石原さとみさん演じるミコトが、自殺しようとするいじめられっ子の少年にかけた言葉です。

「あなたが死んで何になるの? あなたを苦しめた人の名前を遺書に残して、それが何? 彼らはきっと、転校して、名前を変えて、新しい人生を生きていくの。あなたの人生を奪ったことなんてすっかり忘れて生きていくの。あなたが命を差し出しても、あなたの痛みは決して彼らに届かない。それでも死ぬの? あなたの人生は、あなたのものだよ」
___TBSドラマ:アンナチュラル第7話「殺人遊戯」より

わたしにとってこのセリフはもうまさに時限爆弾。嗚咽するほど涙が止まらなくなりました。
そう、そうなんだよ。
受験シーズンの大切な時期にわたしを貶めた彼女たちは、プロフィール画像のAみたいに、そんなこと忘れて楽しく生きてるのかもしれない。
Dさんは今母親になっているので、子どもに「いじめはダメよ」とか教えてるのかもしれない。

あんな奴らのために死んでやらなくて本当に正解だった!!!!!
でもなんて、なんて腹立たしいんだろう!なんで今でもこんなに涙が出てくるんだろう…

一緒に観ていた婚約者の彼をすっかり困惑させてしまいましたが、それを皮切りにわたしは高校時代にあったいじめについて洗いざらいぶちまけました。今まで、職場であったことについてはよく愚痴を聞いてもらっていましたが、それよりも過去のことについては、私はずっといじめられっ子だったよとしか言ってこなかったので、あそこまで爆発したのは初めてだったかもしれません。

彼は良い歳して泣きじゃくるわたしの話を、よくわからなそうにしながらも聞いてくれ、「つらかったね」「がんばったんだね」と頭を撫でてくれました。
そのときのカタルシスたるや!「ああ、これ(他者からの承認)がわたしの欲しかったものだ。」自然とそう思いました。

自らの足で立て

他者から承認されることの喜びを知ってしまったわたしは、どんどん自尊感情を拗らせてゆきました。
今までの抑圧から解放されたからか、やっと甘えられる!と承認欲求がバカみたいに溢れ出て、止められなくなってしまったんです。

彼がするアドバイスもなんでも"批判"と捉えてしまう、カッと怒ってしまう、まずいことをした!とハッと気づいて自己嫌悪で泣いてしまう…その繰り返し。所謂メンヘラです。
彼も余裕があるときはそんな私を観察するように見て諭してくれますが、彼だって人間なので、そんなわたしにイライラすることももちろんあるのです。一番ぐさっときたのはこの言葉です。

いい加減自立しろ!自信は周りからの評価じゃない、自分で掴むもんだ!泣いてる暇なんてねーよ!

そんなかんじで今年の春あたりから、次第にぶつかることが増えてゆきました。

「わたしたち/おれたち、こんなんで結婚できるのかなあ」

と漠然と不安になり、ふたりしてマリッジブルーに陥ってしまいました。

それでもお互いに、お互い以外の相手なんて考えられなかったわたし達。
ずっと一緒にいたいのはこの人しかいない!この人を大事にできないのは一番ダメだ!やっぱり最近のわたし、おかしい!と気づき、カウンセリングに通い始めました。

そして今一番メンタルに影響しているであろう仕事をひとまず休ませてもらうことにして、今に至ります。

自信を身につけるって本当に大変なことです。わたしは度重なるいじめやマウンティングで完全にそれを失ってしまいました。
でも、自尊感情がないと良い歳しててもこんなに拗らせるんだ!!!とやっと自覚したんです、わたし。だからこそ、こうして整理したかった。お目汚しですみません。

わたしは、自分を肯定することに、今まであまりにも時間を割かなすぎたんだと思うんです。
だからせっかくのこのお暇、とことん自分と向き合って、抱きしめて、肯定して、自己肯定感を育てながら大事に過ごそうと思います。

これから自分の足で立って、大好きな彼と一緒に前を向けるように。


20180522(休職二日目)
しゃけ

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