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どれも正解です

一日 雨模様の水曜日、このところ、ずっとこんな天気が続いています。
それでも 火曜日は、運良くお日様が顔を出して、高齢の母の定期検診で病院へ行きました。
明るい日の光と青空がある、ただそれだけで 気分も明るくなってホッとします。

病院へ着いて、数ヶ月に一度の採血検査の日でしたが、採血を担当してくれたのが、
以前も このnoteに書いたことがあるのですが、数年前、母が救急車で病院へ行った日に救急担当だったベテラン看護師さんでした。
そして 今回も あの時と同じように明るく優しく笑顔で母に話しかけてくれて、
母も緊張がほぐれて すんなり採血をすることが出来ました。

数年前に 救急車で行った日は、そのまま入院となって、その時は これからどうなるか、いつまで入院するのか、
退院できるのか? 退院して、また家に戻れるのか? 全く見当がつかなかったのですが、
救急搬送の時点で覚悟をしていた"いきなり緊急手術"にはならず、
たくさんの同意書にサインすることもありませんでした。

その後、手術、リハビリを経て退院まで 5ヶ月ほどかかったのですが、
入院の最初の頃は、どんどん弱っていく母の治療をどうするのか。
回復しないまま、点滴が出来なくなったら? という問題に直面しました。

食べて栄養と体力をつけないと回復しないのですが、何しろ高齢で 弱っているとなると、
食べる体力がありません。
食べられないから、弱っていく、食べなくちゃ、でも体力がないから少量しか食べられないという悪循環。

それで中心静脈カテーテルをつけることにしました。
と、さらっと書きましたが、これをつけることは、所謂「延命治療」ではないだろうか?
それとも「救命」だろうか?と その時は かなり悩みました。

母は、きっと多くの人がそうであるように、延命治療はしないと言っていましたので、
その意志に反するのではないだろうか?
主治医の先生や、看護師さん達、理学療法士さん達と たくさん話をしたのを覚えています。

そもそも漠然と「延命治療はしない」と言うだけで、どういう場合が延命治療なのか?ということを
私は 実際に決断しなければならない時まで、全く考えていませんでした。
きっと母本人もそうだったろうと思います。
ただ その中心静脈カテーテルにしなければ弱っていって やがては死に至る、ということだけは理解していました。

そんなことを親友に話したら、
「えっ? 助かる方法があるんでしょ? そりゃラッキーじゃない! 」と即答。
「よかったねー。」と喜んでくれました。

そうか、そうだよね、確かに母は弱りながらも 物凄く生きようとしていて、
それは ひしひしと伝わってきました。

また ある看護師さんは「どれも正解なんですよ。」と こちらも さらっと言ってくれて、
この言葉に、物凄く救われました。

「どれも正解です。」
確かに その通りで、一人一人、状況も 今までの人生も 考え方も全て違うのです。
それを一括りにして、いいとか 悪いとか、正しいのか間違っているのか、そういうことではなく、また他人がとやかく言うことでないと思いました。

中心静脈カテーテルのおかげで、母はグングン回復して いい状態で手術を受け、カテーテルも外れて 無事に退院しました。
食べることが大好きな母が、今も毎日、美味しいとごはんを食べることが出来るのは、あの時があったからです。

入院中は、他にも たくさんの「やさしさを感じた言葉」をかけてもらいました。
この「どれも正解です。」は、その後、私も機会がある毎に、友人に伝えています。


こざるカフェは、今日も ゆっくりゆっくり
のんびり 穏やかに時間が流れていきます。

読んで下さって、どうもありがとうございます。
今日の おやつ、桜餡のどらやきを 母は嬉しそうにペロリと平らげました。
よい毎日でありますように (^_^)

4月25日に こちらの嬉しい知らせが届きました。
読んで下さった皆さま、スキをつけて下さった皆さま、どうもありがとうございます。

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