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#6 ネガティブでも「後悔」はない
前回私のポジティブとネガティブの概念について書いたのだが、それには続きがある。
それが、わたしの「ネガティブだけど過去に後悔はひとつもない」というものだ。
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前回を踏まえて
わたしも含め、ネガティブな人の特徴のひとつに自己肯定感の低さがあると思う。私もそうだ。
だから現在だけでなく未来や過去にもどうしても前向きになれなれず、「後悔ばかりの人生」なんて言葉で負のオーラをまとってしまうのは仕方がないことだとは思う。
だが、前回のような心持ちを意識することで、「後悔」という存在の形が変化するだけでなく、自己肯定感の低さにポジティブな判断が可能になることに気づいた。
「後悔」ではなく「失敗」と名づける
ネガティブ気質をポジティブに捉える心持ちでいると、過去への後悔・現状への不満・未来への不安に対する視点が変わってくる。
私の場合、それは過去の失敗・現状の成長(発展途上)・未来への期待(挑戦意識)に変わったのだが、
特に、この過去を「後悔」と捉えるか「失敗」と捉えるかが現在と未来への見方を大きく変えるきっかけのような気がした。
①過去と今の自分はちがう
「後悔」は2つのタイプがある。
1つは、目の前に選択肢があった場合。
複数の選択肢の中から迷った末に選んだものに対して間違ったと認識し、他の選択肢に期待するもの。
もう1つは、目の前に一択しかなかった場合。
当時は一択しかなくごく自然に選んだが、コトが起きてから他の選択肢に気づき、間違ったと認識し、他の選択肢に期待するもの。
まず1つ目からいうと、迷って選んだ時点でもうそれは当時の自分にできるベストな道だったのではないか。むしろ褒めていいのではないか、ということだ。
間違ったと認識したのは現在の自分であり、過去の自分ではない。いくら過去に戻りたいと思っても、迷った末に選んだ過去の自分は絶対に他を選択することはない。当時の自分に戻ればきっとまた同じ選択をする。もしその選択が自分の意思に沿わない、不本意なものだったとしても、当時の自分なりにその状況を考えぬいて選んだ選択だったのだともおもう。
2つ目も同様に、「間違った」とおもう選択をしたからこそ「間違った」と思える現在の自分がいるのであり、他の選択肢の概念がなかった過去の自分と複数の選択肢を見出した現在の自分とでは比べようがない。
間違ったと思うのは、自分が「現在」にいるから。もうその選択の結果を知ってしまっているから。
その結果を知る由もない過去の自分を責めるよりも、当時できる最大の、精一杯の選択をした自分を認めてあげるべきだ。
②必ずしも正解があるわけではない
「間違った」という言葉を使っているが、そもそも目の前の選択肢に「間違いのない」ものなどあったのだろうか。
全ての選択肢の先に、「間違った」と思う自分がいたのかもしれない。
どの選択肢でも、見えない先の泥んこにダイブする運命だったのかも。
そう考えると、もはやこれは正解・不正解を選んだとかいう話というよりは、このタイミングで現れた「通過儀礼」なのだと思った。
「間違った」とおもうことの1つに、“周りが成功しているから”というのがあるかもしれないが、誰もが同じタイミングで課題にぶち当たるわけではない。
「私の人生ではこのタイミングだったのだ」と思うことで、「後悔」というフィルターから「通過儀礼の認知」というフィルターへと変わり、過去から現在だけにとらわれていた想いが過去から現在を経由して未来へと一気に繋がる感覚になる。
③「失敗」の定義
現在と過去の自分は異なっている。
それは通過儀礼があったからであり、
「ベスト」だと思って選択したものを「間違った」と思ったのがその証拠。だとすると、
心地よい結果にならず、「間違った」と思わせるこれは一体なんだったのだろうか。と考えた時、これこそ「失敗」の本質なのではないかと思った。
「過去のあの出来事」は後悔そのものというよりは、後悔を抱かせがちな失敗なるものなのだと。
「失敗は成功のもと」とか
「失敗から学ぶ」というような
失敗に対するポジティブな捉え方にそれまでしっくりきていなかったが、この世には失敗が必要なタイミングがあり、失敗からしか学べないことがある。
失敗は、してはならないことでも間違ったことでもなく、時にしなくてはならない、時にせざるを得ない、時に必要な通過儀礼なのだと、
やっと消化してじんわりと体に巡った気分になった。
与えられたのはハンデではなく彩りある世界を見ることのできるツール
大きくはこの3つの流れで「後悔」というものの概念が私の中で存在し得ない理由になった。
(※「後悔」は消して悪いものではない。「後悔」の気持ちを忘れないことが、原動力となる人がいることには大賛成である。)
ネガティブ「気質」なわたしだからこそ、いろんなこと、些細なこともいちいち気づいて、いちいち傷ついて、いちいち考える。
でもそんな自分をポジティブ「思考」で捉えるからこそ、たくさんの課題を見つけて、乗り越えた喜びと成長を感じられる。
わたしのこのネガティブ「気質」は、きっとそうやって世界の凹凸や明暗をより詳細に、繊細にみる目を与えてくれている。
それをどう見るかという点の1つが、この「後悔」ではなく「失敗」とおもうことなのだと思った。
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