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職場のストレスから解放されたいあなたへ

現代人は様々なストレスを抱えているとよく言われているが

人生における時間の比重を考えると「職場のストレス」が一番、改善できた時のインパクトが大きいということに気づいた。

そして、かく言う私も職場の人間関係に大きなストレスを感じる機会が多い。

「これってどういうことなの?」

「これってどうなっているの?」

「なんでこうなの?」

人は、一人の人と共通認識を保つために大体5分くらいの時間が必要で

さらに、人数&情報量が多くなると、それの5倍か10倍くらい時間が必要である。


どうしてそんなにコミュニケーションコストが掛かるかというと

自分の中での「当たり前」と自分軸の「暗黙のルール」に振り回されるからだ。

「他人と自分は全く違う」ということは、誰しもが理解しているはずのことだ。


しかし、仕事や恋愛、私生活においても、その当たり前の定義と、自分のルールにこだわり過ぎるあまり、自分を見失ったり、はたまた、構築していた信頼関係などが一気になくなってしまうことがある。


実に儚い。


例えば、恋愛面でいうと

今までの彼氏はご飯を奢ってくれることが当たり前だった。

仕事面でいうと

前の会社では有給を取ることを当日に決めることができた。

もしくは私生活でいうと

俺は男だから家事をやらなくていい。むしろ、父さんがキッチンに立っているところなんて見たことがないし、家事は女がやるべきことだよね。


これは、その人から見るとまぎれもない事実であるが

人間の怖いところは、その状況が続き過ぎると

その状態自体が、あたかも当たり前で「みんなの共通認識」であるような思考に陥ることだ。


結果として、前の職場では、「有給を取る前にその日に終わらせなければいけないことは終わらせる。緊急の対応が入ったらそちらを優先する」という価値観で働いている人と、「有給取るって言ってるんだから、そもそも緊急の案件なんて降ってくんじゃねえよ」っていう意見が当たり前に対立してしまう。


ここでの問題は、お互いに自分の当たり前を強要し、自分を正当化してしまうことだ。だからいつまで経っても問題は解決しないし、わかりあうことができないという自体に変貌を遂げる。

いわば、一つの目的地点に行くのに、車の免許を持っている人が車の利便性を唱えて、免許を持っていない人が、渋滞の問題点に言及するようなそんな終わりの見えない不毛な論争が起こってしまう。

ちなみにこれは、私が実際の職場で直面していることだったりする。

私の価値観からすると、有給取るのはいいけど、義務を果たさずに権利を行使するなんてなんて疎かなんだ!という気持ちに書き換えられるし

相手側からすると、私にとっては緊急度が高いタスクには思えないし、そもそも午後休を取るって言っているのになんで仕事振ってくるんだよ。に書き換えられる。


本当に日々のこういった細かなコミュニケーションや価値観の差に人は非常にストレスを感じてしまう。


むしろ、このストレスに体やメンタルを蝕まれている人も多いのではないか。

そして、そんな頻発するストレスに縛られることを私はそろそろ卒業したいと思ったので、思考整理と客観的な視点で紐解いてみようという気持ちからこのnoteを描き始めた。


いつもだったら、自分を必死で正当化し、

「なんて仕事ができない人なんだ」とか

「だから職場で嫌われているんだ!」など

訳のわからない理由で自分の感情を浄化しようとするが

それって意外と浄化されずに同じことを繰り返して

どんどん蓄積され、
結果的に核爆弾のようにいきなり大爆発することが多い。


だから、自分を正当化しすぎず

「人には人それぞれの価値観がある」と
あえて口に出して唱えることを大切にしようと思う。

自分の価値観が通用しない相手には、「相手の立場」に立ってみる。自分の怒りポイントと相手の論点、どうしてそういう思考になったのかを、改めて整理することがすごく大事だと思った。


その繰り返しが自分の気持ちを楽にすることであり

自分の思い通りに行かないことにうまく折り合いをつける方法である。


そして、今回の一番の気づきは、人と意見が食い違っている時

小さな頃からの思考グセなのか自分がすごく否定されている気持ちになっていたが、それは「否定」ではなく、単純に互いの「価値観の相違」であるということに気づくことができた。


もちろん、この思考癖自体はそんなに簡単に解決できるわけではないが、このような問題やストレスに直面している人は数多くいるはずで

こんなことが誰かの役に立ったら嬉しいなと考えを巡らせた

週末の充実したランチタイムであった。


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