膝枕外伝 薫の受難
まえがき
こちらは、脚本家・今井雅子先生の小説「膝枕」の2次創作です。
「好き」だらけの脚本に触発され、開発者視点で書いてみました。
今井先生のエピローグ
それからの膝枕(twitterの画像をご覧ください)
下間都代子さんによる朗読
kaedeさんによる朗読
(stand.fm)今井雅子作 膝枕
Noteに投稿されたスピンオフ
下記のマガジンをご覧ください。
Note以外に投稿されたスピンオフ
藤崎まりさん作
(stand.fm)今井雅子作・膝枕 アレンジバージョン
やがら純子さん作
落語台本「膝枕」
下間都代子さん作
ナレーターが見た膝枕〜運ぶ男編〜
(Youtube)大人の朗読リレー「膝枕は重なり合う」(朗読:下間都代子さん、景浦大輔さん)
kana kaede(楓)さん作
「単身赴任夫の膝枕」
賢太郎さん作
(stand.fm)「膝枕ップ」
松本ちえさんも「からくり膝枕」をお書きになりました。
(限定公開のようでしたので紹介に留めます)
1次創作も2次創作も初めてなので、アラがたくさんあると思います。
広い心でお読みいただければ幸いです。
本編
「タ”×ョ ヮ夕シ夕千 八十|/ラ|/十ィ ゥン×ィ十/」
首元にマシュマロのような柔らかさを感じながら、薫は目を覚ました。
意識がはっきりしてくると、マシュマロは無くなっていた。
ここ数日、同じ夢を見る。
これはきっと彼女のせいだ……
三ヶ月前までは、大学院で半導体の研究をしていた。
国内随一の開発部門を持つN社への就職を大学推薦で決めた。
きっと開発部へ配属されるだろう。同期も指導教授もそう信じて疑わなかった。
しかし、新人研修が終わって薫が配属されたのは「膝枕課」という聞いたことの無い部署だった。
雷に打たれたようだった。さまざまな考えが頭に浮かぶ。
どうして? 研究を評価して採用されたのではなかったのか。そもそも「膝枕課」って何!?
納得がいかず研修講師の社員に聞いたが、自分は総務なのでそういうことは人事に聞いてくれと言われた。
そこで人事部に行ってみたが、「総合的、俯瞰的に判断した」と要領を得ない回答しか返ってこなかった。
転職も考えたが、面接で「膝枕課に配属されたので」とはとても言えない。
ここで結果を出せば研究部門への希望も通るかもしれないと考えて、ギリギリ踏みとどまった。
「今日は午後からカタログ用の写真撮影だっけ」
そう呟くと、ブラウスに袖を通した。
梅雨の中休みだろうか、今日は一日中晴れそうだ。
社員食堂で鶏そぼろ丼を食べていると、同期で営業の山田が声をかけてきた。
「どうよ、プロジェクト膝枕の調子は」
「先輩はみんないい人だよ。開発の人はちょっと変わってるけど。それより、うちの社長、いい年してどこに通ってるんだか」
「それを商売に変えられるんだからある意味すげえよな」
そう言うと山田は小盛りのご飯と味噌汁、八宝菜のトレイをテーブルに置いた。
「その量で外回りできるの?」
「これでもご飯の量は多いくらいだ。半分でいいから食べてくれないか」
「私のこと食いしん坊キャラだと思ってない?」
冗談めかしながらも、山田の提案を受け入れた。
「そういえば、今度、膝枕の試作を持って帰るんだよ。誰になるのかなぁ〜」
そう言った山田の顔は隠しきれないほどにやけていた。
「膝枕課」は全9人の部署である。
先輩から聞いた話では、社長の鶴の一言で立ち上がったと言う。
接待で行ったキャバクラで閃いたそうだ。
その翌日、企画・開発・営業各部署から計8名が集められた。元の部署から文句が出たことは言うまでもないが、ワンマン社長は聞く耳を持たなかった。
社長の指示は2つだけ。
見た目も手ざわりも生身の膝そっくりに作ること。
感情表現ができるようプログラムを組み込むこと。
それ以外は社員に任せたが、企画会議には毎回顔を出し、試作品は必ず自分の頭で寝心地を確かめた。
最初に発売されたのは、母に耳かきされた遠い日の思い出が蘇る「おふくろさん膝枕」だった。
これが思わぬ大ヒット。不満を言う社員はいなくなった。
味をしめた社長は膝枕課の予算を増額、ラインナップの充実をはかった。
「小枝のような、か弱い脚で懸命にあなたを支えます」がうたい文句の「守ってあげたい膝枕」。鍛え上げた筋肉が自慢の「アスリート膝枕」。2次元から出てきたかのような「理想のお兄様膝枕」。頬を撫でるワイルドなすね毛に癒される「親父のアグラ膝枕」……。
新人の薫も新規モデルから携わることになった。会議の場で意見を求められ、前日に読んだ小説に出てきた、誰も触れたことのないヴァージンスノー膝が自慢の「箱入り娘膝枕」を提案したところ即採用となった。薫は「箱入り娘」の「プロデューサー」に任命された。
同時に、体脂肪40%、やみつきの沈み込みを約束する「ぽっちゃり膝枕」も開発が決まった。
カタログ用の写真撮影が始まった。
「箱入り娘さん、入りまーす」
まるで一流モデルの扱いではないか。
グリーンバックの前に「箱入り娘膝枕」、いや、正確には女の腰から下が鎮座する。
「その表情いいね〜。かわいいよ〜」
最初は「はぁ、膝枕の撮影ですか」と訝しんでいたカメラマンだったが、さすがはプロだ。いざ本物の膝枕を前にしても、彼女の魅力を最大限引き出せるよう、人間に対して接するように声をかける。
「ちょっとだけはに噛んでみようか。そうそう、いい感じだね〜」
カメラマンはおそらくリップサービスで言ったのだろう。しかし、薫には箱入り娘の膝がわずかに表情を変えたように見えた。
まだプログラムは組み込まれていないはずなのに……
毎晩見る夢のことも気になった。
「ダメョ ヮ夕シ夕チ 八ナレラレナィ ゥンメィナノ」
前よりも声がはっきり聞こえる気がする。
これは夢だ。この声も、首元のマシュマロも夢なんだ。
薫は自分に言い聞かせた。
その日、薫は、懇意にしている警備員からこんな話を聞いた。倉庫の前を通ったとき、誰かが息をひそめて、自分をジトっと見ているような気がしたという。念のため中に入って調べてみたが、生きた人間は一人もいなかった。
倉庫には、撮影が終わった「箱入り娘」が保管されていたはずだ。薫と警備員が倉庫に入ると、積み上がった段ボール箱に隙間ができていた。箱を一つ一つ丁寧に下ろした先には、例の「箱入り娘」がいた。箱の角が潰れ、側面がややふくらんでいる。
まさか、中で動いたとでもいうの……?
悪い予感は的中した。
膝頭についた擦り傷から、箱から出せと言わんばかりの暴れぶりがうかがえた。
「取り扱い説明書に書くべきです!」
薫が課長に詰め寄った。
「その必要はない」
課長は一蹴した。
「営業部の山田が、膝枕に埋もれてしばらく休んだじゃないですか」
「ああ、『ぽっちゃり』の試作を持って帰った彼か。だけどあれはただの食べ過ぎじゃあないか」
「しかし、私の知っている山田は食べすぎるような人じゃないんです。膝枕を使ってから何かあったとしか……」
「わかった、わかった。そこまで言うなら、保証書の隅に入れておいてやる」
一応の言質は取ったので、薫は引き下がった。
足早に課長室を後にしてしまったので、
「肉眼で見えないくらいの小さい文字でな」
という課長の呟きを薫が聞くことはなかった。
夕方から降り続いた雨は、日をまたぐ前にいよいよ激しくなった。
明け方、一筋の雷が膝枕工場に落ちた。
製造ラインは止まっていたが、治療済みの撮影モデル「箱入り娘」を含む10人がちょうどプログラムを組み込まれたところだった。
残雨の中、工場では「箱入り娘」について意見が交わされた。
工場長の佐藤に「今、注文はいくつ入ってる?」と聞かれ、薫は
「1人だけですね」
と答えた。
幸い、どの「箱入り娘」にも外傷はなかったため、注文には応えられる。
しかし残りの9人には、膝枕課の全員が親心にも似た愛おしさを感じるようになっていた。
「この娘は、私が引き取ろう」
薫が率先して撮影モデル「箱入り娘」を抱きかかえたのを皮切りに、各々1人ずつが持ち帰ることになった。
帰宅した薫は「箱入り娘」を箱から丁寧に取り出した。
彼女と向かい合う形で座り、思いをめぐらせた。
カメラマンの要望にひざで応えた「箱入り娘」、
ダンポールの中で傷だらけになった「箱入り娘」、
そして今自分の目の前にいる「箱入り娘」。
家庭用の灯りに照らされた彼女の膝は不思議な魅力を放っていた。
企画からそれほど経っていないはずだが、ずいぶんと長い時を一緒に過ごしたような気さえする。
しかし、すぐに頭をあずける気にはなれなかった。
傷物にしてしまった罪悪感と、もう一つ理由があった……
翌日、薫が帰宅すると、驚いたことに彼女が玄関先で待ってくれていた。
膝をにじらせて来てくれたのだろう。
そんなことが数日続いた。
自分に心を許してくれているのだろうか。
ならばこちらも誠意をもって応えるべきだろう。
「女だけど、いい?」
いいよ、と言うように「箱入り娘」は膝を差し出す。
そういえば、本来の機能を使うのは始めてだ。
しみじみと思いつつ横になって頭を預けた途端、脳内に電流が走った。
夢の中のマシュマロは、この感触だったのだ!
と同時に、外で雷鳴が響いた。
「ダメヨ ワタシタチ ハナレラレナイ ウンメイナノ」
声がよりはっきりと聞こえる……
翌日、膝枕課全社員を含む10名が、出社しなかった。
(了)
あとがき
(11月16日追記)小羽さんの「一人膝枕リレー」81日目からは本編以外のいわゆる「まくら」や後記も読んでいただけるとのことで、約半年前の記憶を手繰り寄せてみようと思う。
原稿のwordファイルを振り返ってみると、作成開始が6月7日(膝枕リレー8日目)であった。当時膝にどっぷり沈み込んでいた僕は、前日に公開されたサトウ純子さん作「占い師が見た膝枕 ヒサコ編」を読んだことだろう。そして翌8日の徳田さんによる膝開きも聞いたに違いない。
正調「膝枕」を何度も聞くうちに、こんな疑問が湧いてきた。
「保証書の隅に(たとえ肉眼で見えないほどの小さい文字であったとしても)注意書きを記さねばならないほどの不具合を認知していたにも関わらず、なぜ製造元は箱入り娘膝枕を出荷したのか」
リアルにフィクションをにじり寄らせるとは、救いようのない理系脳である。
そこで上層部による揉み消しというありがちな筋書きを想像した。注意書きは言い逃れのためだったのである。
また、正調「膝枕」では主人公の男だけしか描かれていないが、膝枕同士が結託して同時多発的に不具合を起こしたとしたら……。そんな妄想を基に、新入社員を主人公にした前日譚に着手した。
正調「膝枕」の重要な台詞『ダメヨ ワタシタチ ハナレラレナイ ウンメイナノ』を冒頭含め繰り返し置き、箱入り娘膝枕にまつわる話であることを強調した。また、小食だった山田が「ぽっちゃり膝枕」の使用によって過食になるという台詞から、膝枕が人間に与える負の影響について匂わせた。
ちなみに、初稿では膝枕同士のコミュニケーションの原理についても書いていたが、専門的になりすぎたのでやめた。
書いているうちに欲が出始めた。clubhouseで読んでいただく目的で書いてはいるが、果たしてそれだけで良いのだろうか。noteの原稿を黙読する人にも楽しんでもらうことはできないだろうか。
その答えが性別不問の名前”薫”である。途中までは両方の可能性を残しつつ、原稿の上では女性ということにした。朗読の際は読み手の解釈で自由に読んでいただいている。
ここまで来たら、不遜ながら、もうちょっとだけ読み手に頑張ってもらおうじゃないか、と考えたのが冒頭の古き良きギャル文字(風)である。もう一度ご覧いただこう。
タ”×ョ ヮ夕シ夕千 八十|/ラ|/十ィ ゥン×ィ十/
小文字への変換、分解、似た形の文字への置換を行った。結果、変わっていない文字は「シ」「ラ」「ン」のみになってしまった。今のところ、それっぽく聞こえるように工夫を楽しんでいただけているように思う。知らんけど。
このような経緯で書かれた僕にとっての二次創作第1号は「薫の受難」というタイトルで6月29日(30日目)に公開した。書き始めてから3週間が経っていた。正直なところ、どのような反応が来るのかとても不安だった。2作目を発表されたサトウ純子さんをはじめ、きぃくんママさん、やがら純子さん、下間都代子さん、若井尚子さん、松本ちえさん達の面白い作品群に入っても大丈夫だろうか、遜色無いだろうかという思いが先にあった。「膝枕リレー」のタグを入力する手が震えたのをよく覚えている。
結果として、半月板の広い今井先生と膝枕erの皆様のおかげで本作は歓迎され、薫の設定はきぃくんママさん作「箱入り娘膝枕の願い`七夕によせて’」にも取り入れていただいた。
最後に小ネタを紹介して終わろうと思う。
(1)「総合的、俯瞰的に判断した」は日本学術会議に関する菅前総理の言葉から取った。
(2)『鶏そぼろ丼』はご存知「濡れそぼろになっている」へのオマージュである。Hizapediaにも採録された。(F本さん何度もイジってごめんなさい)
6月29日 記事公開
6月30日 2次創作一覧に、観相家 サトウ純子さん作「占い師が観た膝枕 〜イベント鑑定編〜」、kana kaede(楓)さん作「単身赴任夫の膝枕」(ameblo)を追加。一部表現を変更。
7月4日 藤崎まりさんのstand.fmリンク、さんがつ亭しょこらさん作「無限膝枕編」を追加。
7月5日 今井先生作「箱入り娘に聞かせるピロートーク」版を追加。
7月6日 今井先生のエピローグ「それからの膝枕」(6月16日twitter投稿)を追加。
7月8日 きぃくんママさん作「箱入り娘膝枕の願い`七夕によせて’」を追加。
7月9日 下間都代子さん、景浦大輔さんのYoutubeリンクを追加。
7月13日 今井先生作「脚本家が見た膝枕」、下間都代子さんの朗読を追加。
7月15日 今井先生作「ワンオペ育児朗読」版を追加。
7月16日 今井先生作「執刀医が見た膝枕」を追加。
7月19日 かわい いねこさん作「膝枕・禁断のBL展開!?」を追加。(気付くのが遅くなってすみません)
7月23日 kana kaede(楓)さん作「単身赴任夫の膝枕」(note)、河崎 卓也さん作「ヒサコ」、「僕のヒサコ」を追加。
7月25日 きぃくんママさん作「膝枕のねがひ 〜〜 わにだんバージョン」、観相家 サトウ純子さん作「占い師が観た膝枕 〜宅配の男編〜」を追加。
7月30日 かわい いねこさん作「転生したら膝枕だった件」を追加。
8月3日 原案・縁寿さん、潤色・今井先生「私が「膝枕」になった日─ある女優のインタビュー」を追加。
8月5日 まえがきを改訂。
11月16日 あとがきを追記。
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