Haoping

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人力テクノロックバンド[航空電子]公式アカウント。noteではHaoping が滞在する[404圏外]における虚実入り乱れた旅の記録を投稿。 Instagramでは[404圏外]の写真を投稿。https://www.instagram.com/kouku_taba

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  • 航空電子@蜃気楼ニ浮カぶ街

    人力ロックバンド航空電子、Vo.Haoping が滞在する[404圏外]における虚実入り乱れた旅の記録。

最近の記事

2020-2021 年末年始のごあいさつ

去年の年末に書いたご挨拶が、まさかのコロナを予言するような内容であったことを深くお詫びはしないものの、実際問題困ってしまってワンワンワワンと吠えております。そう、なんてったって20周年だというのにできたライブが秋葉原CLUB GOODMANの配信ライブのみ。集まって作るはずだった作品は集まれず作れず、仕方がないので過去の音源を配信しようとしたら結構手強い(8月に配信するとか言ってごめんなさい。ぜんっぜん無理でした!)。関係者を探して人伝いに探して行って諸々の許可を取ったり、権

    • 2020/12/26 航空電子サブスク&DL 第一弾「FLYING-HIGH!! +」配信開始

      やあどうも。タバタです。 さて大変お待たせしているアレです。配信です。はい。 コロナ禍で予定していることが次から次へとなくなって、航空電子も20周年だというのにライブは一本(配信)のみ。さすがにそれはないだろうということで、重い腰を上げて配信に邁進してきたわけです。はい、7月の配信ライブで8月には出せると思うよとか適当なこと言ってごめんなさい。大人の問題はそうやすやすと動かないのですよ。あはは。 ぶっちゃけ、12月の段階でまだ全部の問題が片付いたわけでもないんですが、古い

      • 2019-2020 年末年始のごあいさつ

        まずは今年も、このろくでもない世界においてなんとか生き延びることが出来ましたことを全人類全方位に感謝しております。 ところで、「咳をしても独り」という言葉がありますが、2019年の年末、インフルエンザに捕まっている(現在形)僕は「咳をしても独り」ってこんなにハッピーなことはないじゃないかと熱にうなされながら思っているのです。 これが例えば、要介護の在宅老人と二人住まいだったとしたら、もうえらいことです。倒れている間の介護はどうするんだとか、倒れさせてもらえないとか、介護し

        • 2019年4月 LIVE@万能の街

          令和0年最初で最後のライブのために万能の街へ向かうも、寒暖の激しさに身体が追いつかず数日で身体に変調を来たす。寒い日に街を歩けば身体が冷え切り、暖かい日に出歩くと前頭葉が開いた愉快な人に出会う。そんな塩梅。 この期間にやることは、眠っていた曲のミックスや新ロゴグッズのための入稿処理や完成品の受け取り、それから新曲の歌詞を作って毎日スタジオで声出しなど。そう、かつて通常だったあの日々の動き方だ。一番活動が激しかった頃はメンバーの多くがサラリーマンと兼任している中での活動で、金

        2020-2021 年末年始のごあいさつ

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        • 航空電子@蜃気楼ニ浮カぶ街
          24本

        記事

          2019年4月 歡迎欢迎 We are 航空電子

          なにもかも放り出して海外に飛び出した。 不安はびっくりするくらいなく、バンドを始める前のワクワク感みたいなものだけが手元にある。 ここしばらく感じている見えない存在。見えないが確実にいるその存在に導かれているようにも感じる。 スピーどノ街のxxx、黒の街のxxx、、、、、、 あらゆるところで感じる視線は、懐かしさに溢れている。意識すればするほどにその存在は明らかになっていくのだが、それが彼らの望んでいることのようなのだ。 『強く意識をもって、感じたままに動

          2019年4月 歡迎欢迎 We are 航空電子

          201X年11月 This town 起名叫『蜃気楼ニ浮カぶ街』

          毎日、いろんな国の若者と一緒にいる。 異業種パーティと言われるものに全く興味がわかないのは、出会う事が目的だからだということがよくわかる毎日だ。 研究でも語学でも、音楽留学でも、何か同じ分野の目的がある人と同じ空間に居るというのは、それだけでとても楽しいという感覚がある。 ここ404圏外は、いくつかの言語をおりまぜてなんとかなんとかコミュニケーションが成立する世界だ。日本語だけ、とか英語だけ、とかスペイン語だけ、とかだとどうにもならない。それでもコミュニケーションはな

          201X年11月 This town 起名叫『蜃気楼ニ浮カぶ街』

          201X年2月 ネオンの街

          優しサの街から電車で数時間走ったところにあるこの街に来る機会がやっとできた。新幹線も走っていないローカル地域へ足を延ばすことは、短期の旅程だとなかなか難しい。今回は、たまたま来ることが出来たが、次にこれる保証はどこにもない。それくらいの秘境感だ。 昼に出発して到着したのは夕方。街に出る前に荷物を置くためホステルへ向かう。これまで見たことがないくらい美しくデザインされたホステルだ。建物の外見、受付やキッチンの作り、ピクトグラム、中庭のコントラスト、光の取り入れ方、調度品、部屋

          201X年2月 ネオンの街

          201X年2月 青の島

          ぽっかりと空いた時間を使って、なんども電車を乗り継いで、船に乗ってやっとたどり着いた最果ての地。真冬なのに気温は30℃前後あり、運良く天気もいい。船は極東の島国から払い下げられたものであり、船内のあちこちでその言語を見ることができた。船内は至る所にゴミ箱とビニール袋が設置されており、聞くところによると、悪天候時に船酔いで吐く人が大量に出るそうだ。なんというか、聞くだけで辛い。。。 島に着いた。宿は船着き場の反対側だそうだ。駅前ではバイクが貸し出されている。島に着いた人々はこ

          201X年2月 青の島

          201X年9月 スピーどノ街

          今、行っておくべき街ということで行くことにしたスピーどノ街。太陽の街で出会ったHJもSkypeレッスンの老師も居ることもあり、軽い気持ちで行くことにした。 宿泊に選んだ場所は繁華街のど真ん中。楽器屋が沢山あって街中をぶらぶら。知らないメーカーの楽器ばかりがある中、イシバシ楽器の品揃えは極東の国準拠で揃えてあった。値段は万能の街よりずっと高いが、店内はすごく賑わっていた。 楽器街を抜けて西洋建築の建物が立ち並ぶ川沿いに出ると、写真を撮る商売の人が居て、観光客が居る中、腹を出

          201X年9月 スピーどノ街

          201X年12月 風吹ク街

          電車から降り立つと乾いた風がびゅうびゅうと吹いている。どれくらいの強風かというと、駅前の放置自転車が全部倒れる程度だ。この駅で降りた数人の乗客は、迎えの車でどこかへ行ってしまった。風は冷たく、体温が持っていかれる。早朝だからか、歩いている人は一人も居ない。 珍しく街に行くためではなく、人に会うために街へやってきた。今日会うのは一体どんな人だろうと思いながら肩をすくめ約束の喫茶店へ向かう。途中、開いている店は駅前のコンビニ一軒だけ。いつ遭難してもおかしくない。そんな気分になる

          201X年12月 風吹ク街

          201X年1月 優しサの街2

          以前、とてもお世話になったミュージシャンの久々のアルバムが出るということで見た記事の写真を見て思った。「これは、今会っておかなければいけない。」慌ててライブスケジュールを見ると国内はソールドアウト。優しサの街公演だけが入れる様子。当時お世話になった事務所の方をはじめ、色んな方々に連絡をして迷うことなく現地に飛んだ。 現地では当時のスタッフと合流し、緊張したままライブハウスに向かった。天候不安定な中ライブハウスに着き、「よしいくぞ」と気持ちを入れて空を見上げたら綺麗に虹がかか

          201X年1月 優しサの街2

          201X年10月 親しミノ街

          なんとなくLCCのセール情報を眺めていたら目に入ってきた『親しミノ街街』行きのチケット。なんとなく、本当になんとなく『ぼおっと出来るといいな』と思って購入していた。 何をしようかと調べたり友達と相談したりしてるうちに、『古式マッサージ4日間で取得可能』というのを見つけた。スケジュールを見ると、水木金土で受けられそうだ。ということですぐに申し込んだ。 現地到着翌朝から4日間のレッスン。使い慣れない筋肉を使い続け、練習台として揉まれ続けることでへろっへろ。毎日早々に寝て早々に

          201X年10月 親しミノ街

          201X年10月 旧極東の海辺の街2

          昔、小学生だか中学生だかの頃に連れて来られた時は多分はじめての海外で、この街のわけのわからない熱量に当てられた記憶がある。その時は、街の中いたるところに露店があって、人々が群がっていた。価格もびっくりするくらい安くて、よくわからない食べ物の匂いが蔓延して偽物のブランドバッグやら何やらがひしめき合っていた。 そこにあったのは熱量だった。 今回、空港を降りた時に感じたのは暗さ。いつのまにか地下鉄が通っていたので移動して、目的の駅で降り立ったところ、きれいにライトアップされたビ

          201X年10月 旧極東の海辺の街2

          201X年10月 旧極東の海辺の街1

          昔々、極東の一部だったこの街に来るのは2度目だ。1度目に来た時には、街には沢山の露店が並び、得体の知れない料理やまがい物が沢山売られて活気にあふれていたのを覚えている。 着陸時に見える風景は1度目と変わらない。空港に降り立つと、スピーどノ街とは違う、どんよりとした昔の空気感に包まれる。北の地域の昔の工業地域の感じだ。空港職員も素っ気なく、さっさと行けと言われる上に、壁の広告にも空白が目立つ。 昔と違うのは地下鉄が走っていることだろう。言葉は現地語しか通じず、所謂世

          201X年10月 旧極東の海辺の街1

          201X年7月 樹海ノアる山

          ひょんなことから樹海ノアる山に登ることになった。そういえばこの山に登るのは二回目だ。前回は南側から登ったのだが今回は北側から。山を挟んだ国はたいそう仲が悪いと噂には聞いているが実際どうなんだろうか? そんなことよりも、久々に登る樹海ノアる山の麓は世界遺産になったせいか大混雑だ。あり得ないほどの人、人、人。土産物屋につぐ土産物屋。聞けば、頂上付近はたいそう渋滞している様子。だが仕方がない。登るしかないのだ。良すぎる天気が体力を奪うので、水分&栄養補給に気を付けて登山をスタート

          201X年7月 樹海ノアる山

          201X年8月 微笑ミの街

          一週間あまりの学校生活のため滞在することになった「微笑ミの街」。ここは「黒ノ街」経由でないと辿り着けないということで、やむなく相性の悪い「黒ノ街」の空港で入国手続きをした。そしたら案の定、暴風雨で空港に軟禁され夜を空港で過ごすこととなった。ここではアナウンスの聞き逃しは命取りなので、うかつに場所を離れるわけにいかないのだ。状況が全然読めないのだが意を決してさっと両替しにいき、「此ノ国のスガキヤ」で買ったハンバーガーを食べて飢えを凌いだ。明け方、天候が安定してからのフライト再開

          201X年8月 微笑ミの街