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【貯金2万円、借金60万円のアラサー無職から初めての起業で3億円を稼いだ話 プロフィール ~起業を決意するまで~ 】

こんにちは、いのうえこうじです。
訪問頂きありがとうございます。

ボクが3億円を稼ぐことができた初めての起業から、10年が過ぎました。

この間、会社の縮小や他のビジネスの立ち上げなど色々とありましたが、現在は2社、営業代行とコンサルティングを手掛ける会社を経営しています。

そんなボクが「なぜこのnoteを始めたのか?」について、こちらに記載してますのでぜひご覧ください↓↓↓


この記事では、ボクが起業を決意するまでのストーリーをご紹介していきます。




お金持ちでカッコいいという理由で社長に憧れた子供時代


ボクの生まれは東北地方のとあるド田舎で、盆暮れ正月には一族の長である祖父に会いに全国各地から親戚一同が集まるんですが、その中でひときわ輝きを放っていたのが祖父の3男、東京で会社を経営していたノボルおじさんでした。

おじさんはいっつもご機嫌で面白く、頭の回転も速いうえに他の兄弟との会話でも自然とリーダーシップを発揮していて、親戚の子供の中で最も人気のある大人だったんです。
(親戚の中でお年玉の額がダントツだったというのもあります笑)

そんなおじさんを通じて、お金持ちでかっこいい大人=社長というイメージがボクの中で出来上がり、単純に将来は社長になりたいと思うようになっていました。

とにかく稼げそうな会社をタウンワークで調べる就職活動


そんな社長に憧れる子供時代でしたが、進学は将来を見据えて計画的に、というわけではなかったんです。

高校も大学もずっと部活動に夢中で、将来どう働いて、どうお金を稼いでいくか?については、大学卒業間近まで真剣に考えることがほとんどありませんでした。

ですので、就職活動は卒業も迫った2月頃に、たまたま立ち寄ったコンビニで手にしたタウンワークを開いたことがスタートでしたが、ここまで遅れたのは部活動関係の仕事が残っていたことも大きな理由の一つです。

まあ一番の大きな理由は生活できるなら仕事はなんでも良いという考えがあったからですが、しかし、いざ働くとなったらお金はたくさん稼ぎたい。

そこでタウンワークの中で最も歩合給が目立っていた会社の営業職に応募し、即採用になりました。

社長に惹かれて何の会社かも知らずに就職する


結果、新卒で入った就職先は、いわゆるスーパーブラック企業でした笑
(学生時代に仕事は何でも良いと思っていましたが、目標は必要だと思います笑)

やはり営業ですのでノルマはメチャクチャ厳しい上に、成績が未達だと夜遅くまで詰められるのは日常茶飯事、労働者の権利というものは無かったですね。

そんな環境でも頑張って生き残っていましたが、ちょうど年末に差し掛かる頃に会社の業績が悪化しはじめ、急激に社内の雰囲気が悪くなっていきました。

お世話になった上司も辞めてしまい、今後のキャリアについて先輩に相談すると「面白い社長がいる」と聞き、軽い気持ちで会いに行ったんです。

若くしてオーラを放つその社長に強く惹かれ、何をやってる会社かを詳しく聞く前に、自分から「働かせてください」と言ってました笑

複数のビジネスに携わりビジネススキルを磨き上げる


このように初めての就職も転職も直感と勢いだけでやってきた20代前半だったのですが、この初めての転職をきっかけに、営業を軸足としたビジネススキルを学び、人としても大きく成長していきました。

この会社は幹部が数名にもかかわらず、介護業界で複数の事業を展開していて、まだ若かったボクにも多くの事業に携わるポジションを与えてくれたんです。

毎日が本当に忙しくて寝る間も惜しんで働きましたが、この時期の経験を通じて、ビジネスというものを肌で理解することができ、ビジネスマンとして非常に大きい経験をさせてもらったと思っています。

また高齢者介護という領域であったため、人生の早い時期に、人が晩年に思うこと、感じることについて理解を深める経験が積めたのは、その後のビジネスにも大いに役立ち、そして人として大切なことを学べたと思っています。

頑張って作った事業を売却されたことで「結局は他人の会社」という現実を知る


このように今振り返っても本当に素晴らしい環境だったんですが、30歳も手前の頃、「結局は他人の会社」という現実を突きつけられて失望する出来事がありました。

それは、自分が責任者となってゼロから立ち上げた事業が黒字化したとたんに売却されてしまったんですね。

「頑張ってくれたここの施設な、売却決まったから。ありがとな。」

黒字化してようやくこれからとワクワクしていたので、当時の役員にさらっとお礼を言われたことが、喪失感をより大きく感じさせました。

頭では自分のせいではないと分かっているものの、自分が至らなかったから売却されてしまったという罪の意識からやがて眠れなくなり、食欲も無くなって、突然涙を流すように。

体調も悪化してしばらく会社を休みましたが、回復の兆しがみえないことから、20代の濃い時間を過ごした会社を辞めることになりました。

うつ症状から回復、ライフイベント×稼ぐ=不動産という答え


それからおよそ半年間は、うつの症状と付き合う日々でした。

うつで無職、というこの期間は物理的にもきつかったですし、冷静に考えたとき「結局は他人の会社のために死ぬほど頑張ってたんだな」という現実を改めて突きつけられたこともきつかったですね。

今まで学校も仕事も長期で休むこともなく突っ走ってきたがゆえ、休むこと自体にも罪悪感に近いものを感じていましたが、3か月ほど過ぎた頃から「自分一人がいなくても世界は回る」という、ある意味で罪悪感を手放していく感覚も芽生え始めていたので、だんだんと回復を実感していきました。

社会復帰に向けて、また他人の会社で働く=サラリーマンに戻ることに抵抗もありましたが、とはいえ貯金も底を尽きかけており、短期では当面の生活費を稼がなければなりません。

一方で、長期の目標につながる短期目標でなければ方向性がズレてしまいますので、それらが結びつく業界や働き方についてあれこれ考えていました。

もちろん今まで通り、およそ7年過ごした介護業界に留まる選択肢もあったのですが、何か人生が停滞するような感じと、今までの人脈に頼ることに対する抵抗もあり、全てを置き去りに新しい業界にチャレンジしようと思ったんですね。

そうして介護とは個人のライフイベントなので、ライフイベントをピックアップし、同時に稼げる業界という視点で考えた結果、「不動産」という答えに行き着きました。

社会復帰したものの、就職先からの給与未払いで破産寸前


こうして心機一転の気持ちで不動産業界に足を踏み入れ、頑張ろうと意気込んではみたものの、初めは知識も人脈も無くて本当に苦労しました。

不動産業界は海千山千の人間も多く、特に不動産売買の世界では、自分の利益にならなければ同じ会社で働くメンバーでさえも邪険に扱うのは当たり前で、社員教育なぞ一ミリも無かったですね笑

そんな中でもお客さんや取引先とのやり取りを通じて知識をつけて頑張っていたのですが、入社して半年が過ぎたころ、突然社長からこう告げられました。

「あー、ちょっとごめんな。今月分の給料払えなくなっちゃったわ。」

何の前触れもなく、人生で初めて経験する給料未払い宣告。

実は、不動産会社に就職して最初の給与が入るまでに貯金が底を尽き、生活費としてプロ〇スから与信枠60万円のうち、50万円を借りていたんです。

今月の給料がいきなり未払いでは返済どころか生活が成り立ちません。
この時ボクは人生で初めて、自己破産を意識しました。

もしなにか不測の事態があった場合に備えるために与信限度額との差額10万円を残しておいたのですが、これが無ければ完全に詰んでいましたね。

うつの症状を乗り越えて心機一転、不動産業界で頑張り始めたボクを待っていたのは、またもや「結局は他人の会社」という現実でした。

2度の失望で吹っ切れ、起業を決意した


人生では、自分では思いもよらない出来事が、思いもよらぬタイミングでやってきます。

当時のボクにとっては失望感でいっぱいでしたし、自分の何がいけなかったのか?と、必要以上に自分を責め続けた時期もありました。

が、どれだけ会社を愛し、思い入れしようとも、そもそも他人の会社という前提を忘れていた自分が甘かったし、ある意味で頼る気持ちが強すぎたと思っています。

こうした経験を踏まえ、自分の会社だったら心を込めて作った事業が売られてしまうことも、雇用契約を結んでいるにも関わらず未払いされることもないと考えたんです。

それに、こんな辛くて悔しい経験はこりごりだし、自分にとって都合の良い未来を築くためには、自分が当事者になるしかない、と。

こうして、ボクは起業を決意したのです。



ここまでが、ボクが起業を決意するに至ったストーリーになります。

読んで頂いて分かる通り、起業を決意した時のボクは、リアルに【貯金2万円、借金60万円のアラサー無職】だったのです。

では、こうして起業を決意したものの、【貯金2万円、借金60万円のアラサー無職】だったボクが、具体的にどうやって起業していったか?については、改めて書いていきたいと思います。

また次の記事もよろしくお願いします。

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