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【主人公のキャラに悩んでいるあなたへ】キャラクターの魅力を引き出すための文章法(2012年11月号特集)


個性的で、非凡な点がある

 物語性は薄く、テーマ性が強い小説では、人物はあまり具体的に造形されていないことがあります。性格は持っていますが、どんな容姿なのかは今ひとつ分からなかったりします。これは読者の関心が人物のほうに向いてしまい、テーマ性が後ろに下がってしまうことを危惧した結果でしょう。
 一方、エンターテインメント小説の主人公は、だいたいは強い個性を持っています。ユニークです。

 好感が持てるとは限りません。作中人物としては興味深くても、実際にそばにいたらひどく迷惑な人物かもしれません。
性格的にも極端で、容姿も普通ではありません。そうした際立った個性を持っていたりします。
 三浦しをん『舟を編む』の馬締光哉、東川篤哉『謎解きはディナーのあとで』の宝生麗子、横溝正史「金田一耕助」シリーズの金田一耕助、京極夏彦「百鬼夜行」シリーズの榎木津礼二郎、奥田英郎「精神科医 伊良部」シリーズの伊良部一郎、堂場瞬一「刑事・鳴沢了」シリーズの鳴沢了、大沢在昌「新宿鮫」シリーズの鮫島崇など挙げればきりがありません。
 このような物語性の強い小説の主人公には、友だちにはなりたくないような灰汁の強さがあります。

 現実の世界では、醜い、汚い、悪人、ずる賢い、好色、変態といった変人には魅力は感じにくいと思いますが、彼らを物語という異世界に放り込み、個性として描くと、途端に輝きを放ちます。
 それは、これら個性ある主人公が、私たちがやりたくてもできないことをやってのけてしまうからです。この点に関しては、主人公はスーパーマンです。読者は彼に強い憧れを感じるはずです。

 しかも、物語の主人公に自分を重ねて読んでいる場合は、まるで自分がやってのけたような錯覚も覚えます。これは読者に胸すくカタルシスを与えます。
 逆に言うと、毒にも薬にもならないような主人公が出てきて、特別なことは何もしないというのであれば、読んでいておもしろいはずはありません。

異なる2つの面を持っている

 なんでも実現できてしまうスーパーマン的な人物というだけでは、憧れは抱いても共感はしにくいものです。
 読者が子どもである場合は、スーパーマンでもウルトラマンでも、すぐになりきることができると思いますが、大人の読者は身のほどを知っていますから、そんなに簡単には架空の人物に同化できないのですね。

 では、作者はどう対処すればいいでしょうか。その答えは、「作中人物は人間」というところにあります。人間であれば、短所を含め、いろいろな面を持っているはずです。つまり、「主人公も私たちと同じ人間なんだ」と思わせるためには、欠点を持たせる、あるいは読者と同じような属性、人間くささや弱さを持たせればいいということです
 欠点というか、表立った性格とは別の一面と言ってもいいです。
 映画やマンガの人物を思い出してみれば分かると思いますが、魅力的な人物は魅力的な一面しか持っていないわけではありません。それではあまりにも類型的、紋切型ですね。

 「将来を嘱望されたエリート・サラリーマンだけど、女性と話せない」とか、「スポーツ万能の名探偵だけど、閉所恐怖症」個性的で、非凡な点がある第3 章とか、「誰もが恐れる人斬りなのに、犬が怖い」とか、「嫌味な説教じいさんだけど、情は厚い」とか、ギャップを感じさせるような一面を持っています。
 このように、人物に二面性を持たせるのが人物造形のコツです。

主人公を必死にさせる

 これまでは人物の性格を見てきましたが、いくら個性的な人物でも、行動しなければおもしろさは出ません。
 物語の主人公には、うじうじした性格の人、なんにもできない無能な人、仕事もできず生活能力もないダメンズの場合もありますが、何も行動しなかったら読者が飽きてしまいます。やはり、なんらかのアクションを起こさないとおもしろくなりません。

 そのためには、主人公に明確な目的と動機を与える必要があります。
 「目的」は、物語の中で主人公が成し遂げたいと思っていること、なろうと思っている未来の自分などです。物語の冒頭で出来事が起き、その結果、「そうしたい(そうせざるを得ない)」という状況になったりしますが、これが物語上の目的で、話はここに向かって進んでいきます。

 「動機」は、主人公が目的に向かう必然性と言えばいいでしょうか。たとえば、元プロ野球選手の息子として生まれたからと言って、それだけで「巨人のエース」を目指すとは限りません。親が道をつけたとしても、それだけでプロ野球選手になりたくなるわけではありません。
 それなのに、ストーリー上、主人公にプロ野球選手を目指してもらわないと困るという作者の都合でそうさせてしまうと、展開に不自然さが出てしまい、作り話めいてしまいます。

 そこで、「父親を越えたい」とか、「ライバルに勝ちたい」とか、「プロ野球選手にならないと困った事態になる」とか、なんらかの動機を与えます。
 目的と動機が揃ったら主人公は目的に向かって行動を起こしますが、ここですんなり目的を達成してしまったら話は終わってしまいますね。やはり、主人公の目的を阻む強大なものや障害がないとおもしろくなりません。
このとき、主人公はめげてもめげなくても、とにかく必死になって道を究めようとします。

 結末はハッピーエンドでもアンハッピーエンドでもかまいません。たとえば、ボクシングの世界チャンピオンを目指し、最終的に判定負けでもかまいません。
 しかし、主人公は最後まで必死でないといけません。必死になればなるほど、結末のやりきった感は高くなります。

主要人物以外の造形

 主人公については綿密に人物造形しますが、副主人公、脇役、端役(ちょい役)になるほど人物造形は薄くなります。
 副主人公は「バディ(相棒)もの」のような場合は対照的な二人になり、ホームズとワトスンのような二人の場合、副主人公は常識的で凡庸な人間になります。
 主人公の引き立て役と言えばいいでしょうか。

 脇役はさらに人物造形が薄くなり、主人公のような二面性も持たされず、類型的な人物で済まされる場合もありますが、それではあまりにも印象が薄くなってしまうなら、何か強烈な個性を一点だけ強調します。

 端役にはほとんど性格はなく、多くはストーリー上の必要があってちょっとだけ出てきた人物です。名前すら付けられていない場合もあります。
この程度の端役に名前を与えたり、意味深なことを言わせたりすると、何かの伏線ではないかと誤解されかねませんので慎重に扱いましょう。

人物の造形は具体的に

 物語を書いたり、ストーリーを考えたりするときは、漠然とでもすでに頭の中に人物像が浮かんでいるでしょう。
 しかし、「三十歳・男性・独身」というぐらいでは人物造形をしたとは言えませんし、「キャラクターが立っている」と言われる人物にはなりません。

 架空の人物でも一人の人間を作るわけですから、経歴というか、それまでの人生で経験してきたことや生い立ちなど、その人間のもととなっているような出来事を与える必要があります。
 そうしたことを考えるのを「人物の履歴書を作る」と言ったりします。

 履歴書と言っても、「出身地や家族構成、学歴、職歴」といったことだけを考えるわけではありません。それはむしろ二の次で、普通なら履歴書には書かないような特徴(風采、境遇、気質、性格、嗜好、性癖など)を挙げていきます。
 柏田道夫先生の『シナリオの書き方』からの孫引きですが、『となりのトトロ』のサツキとメイの父親は以下のよう設定されています。

父・草壁タツオ
若い考古学者。大学の非常勤講師をやりながら、翻訳の仕事で生活している。
今は革命的な新学説の大論文を執筆中。
縄文時代に農耕があったという仮説を立証しようと週二回の出勤以外は書斎にとじこもっている。
実生活のバランス感覚に欠けている部分があって、その負担を娘達におしつけているのだが、今はそれにも気づかず仕事に没頭している。世慣れた大人の落着きがない分、子供っぽさを残しているが、大事なことは二人の娘を愛していることである。

(柏田道夫『シナリオの書き方』より)

 映画の中では何かの研究者かなというぐらいしか分かりませんが、裏の設定として「縄文時代に農耕があったという仮説を立証しようとしている」という具体性を与えたことで人物として厚みが出たように思います。
 これと同じように、皆さんがオリジナルの人物を作るときにも、人物の履歴、経歴、性格を具体的に作っていきます。

 具体的というのは、単に「読書が大の趣味」と設定するのではなく、「いつもポケットに太宰治を持っている。特に『新樹の言葉』は全文を暗記している」のように、「読書が大の趣味だったらどうなるか」を考えることです。

 「読書が大の趣味」は説明であって、それではキャラクターが立ってきません。
 人物像がありありと分かるようにするには、人物の性格が絵として浮かんでくるよう具体化することです。

特集「おもしろい」の条件
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※本記事は「公募ガイド2012年11月号」の記事を再掲載したものです。


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