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すこしの違いで

同じ景色を見てるのにすこし違う。
同じものを食べたのにすこし違う。
同じ音楽を聴いているのに少し違う。

そんなことばかり。
でもそれが当たり前なことに気づけなくなった。
同じ場所にいれば、同じことを経験すれば当たり前にみんな同じことを経験していると思われてしまう世の中でどうやって生きていけば良いのだろうと思いながら歩いていた。
あのときのこと、あの人はああ言っているけれど、私はそうは思わないんだけどな。でもそれを言っても理解してもらうにはいろいろ理屈を用意しなければいけないし、まあ同じことを感じていたと思われてもそこまで本質的な問題にならないし、そこまで気づいてなかったふりでもしてれば影響ないか。

そんなことを思って、あの人と私はまったく同じことを感じていることにした。そうしたら周りの他の人も全く同じように感じていたことを表明した。
そういうことだよな、と思った。

誰が本当のことを言っているのかわからない。
私は嘘をついた。
けれど、あの人は本当のことを言っているのかもしれない。でもそれを確かめる術はない。そんな関係性でもないし興味もないから。たまたま同じ列の席に座っているから。ただそれだけの関係。

本当と嘘が入り混じることが当たり前の世の中でも人々は真実のみを善とするような、善いことのみを礼賛するような、穿った目で見ると盲目的な性善説を礼賛するような風潮に違和感を覚えているけれど、この感覚が正しいのかどうかはおそらく一生わからないのだという結論にしか至らないようで、なるほど人として世間で生きるのは難しいと思った彼女は明日が祝日で仕事が休みだということに気づいて、それまで考えていたことを忘れた。

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