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あなたが思っているより

世の中は彼女が思っているより案外楽なのかもしれない。
楽であるというかなんというか、もっとちゃんとしないととか、どうせ私が考えていることなんかみんな考えているのだ、という劣等感などなど。実際にそうであって、彼女のしている仕事は誰かがそこまでやった土台の上に成り立っていて、新しく作ったものももちろんその影響かにあって、彼女からするとそれは私の頭の中で全く新しく作ったものでは決してないのでどうせ私なんか、と思ってしまう。

そんなことを何十回も考えてみる。壁にぶちあたって考える。考えは頭の中を支配して、食事中も、湯船に浸かりながらも、うとうとする布団の中でも不意に静寂を破ってムクムクと湧き上がってくる。ときには夢の中にまで。知らず知らずの無意識で私を支配するようになったこの事柄に対してどんどんと嫌悪感を募らせるのだけれどとにかくこの壁を突き破るしかないと生粋の負けず嫌いも発動する。彼女は根性強さに自信があった。この根性で切り抜ける人生。

新しく仕事をする人が増えて、教わるばかり、ひとりでがむしゃらに壁にぶち当たっては突き破るばかりの彼女も人に教えることが増えてきた。別にその人になんの感情も抱かないが早く楽になりたいという一心で懇切丁寧に一つ一つ教えていく。楽になりたいから。

けれど、その人たちは思いの外成長しない。
そこにあるものを見ようとしない。というか、仕事をしようとしていると彼女には思えなかった。スピードが全然違った。当たり前だと思っていることがもしかしたら当たり前じゃないのかもしれないと感じ始めた。
でもおかしい、この人たちだってこれまでも仕事をしてきて生きているわけで、なんでこんなにできないの、答えは少し探せばそこにあるのに、どうして探そうとも、そこにあるのかもしれないとも思わないの。

新たな悩みを抱えて、それがこれまでの悩みよりずっと重くなって、でも解決の糸口はぜんぜん見えなかった。もしかしたら、私がおかしいのか。というかすごいということなのか。そもそも人はそんなに壁にぶち当たらないのか。ぶち当たる前にそこに壁があるのかなにかしらで確認して、壁があったら近くにいる人に「そこに壁はありますか?」なんて念の為確認して、壁があったら絶対にぶち当たらないように誰かが壊すまで待っていたりするのか。そして私みたいな人がぶち壊したらそっと後ろからついてきてさも自分が壊したかのような顔をして、それは確かにその場面をみていない人たちからしたら誰がその壁を壊したのかわからないのであって、そっと後ろからついてきた人が「私がその壁を壊しました」と言えばそうなってしまうだろう。そういうことなのか、世の中。。。

あるいはそういう生き方もあるのかもしれないし、考え始めると思い当たる節はどんどん掘り起こされる。芋蔓にはどでかい芋がごろごろとついている。これまで意識したことなかった、そういうことか。より少ない労力でより高い評価を勝ち取る。それが処世術ってやつか。いやはやすごいな。

いくつもの疑問を考えて、そのいくつもがなんとなくつながり合って大きな疑問の解決に導かれる。そんな瞬間が好きだ。歳をとるとそういうことが増えてくる。知らなかったことを知って、見ることができなかった場所を見られるとそう思う。

でもその中には受け入れ難いものも多々あった。
なんだか、こんな世間で生きていかなければならないのだな、と思うような。

もしかしたら仕事を始めたばかりのころの師事したあの人のあの圧倒的無敵感はもはや気づいていないうちに通り越しているのかもしれない。けれどそんなことは一生かかっても絶対わからない。彼女は考えるのをやめて冷凍庫からアイスを取り出した。

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