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神様のわすれもの。


神様、どこにいますか?
神様、ほんとうにいますか?

今日も先生に当てられて
答えられなかった。

今日も『うんてい』ができなくて
笑われものになった。

お母さんが買ってくれた新しい水筒が
なくなった。
きっとあの子のかばんの中に入ってる。

どうせ、先生はいつも信じてくれないし
誰も私の味方にはなってくれない。

神様、どこにいますか?
神様、私が見えますか?

私は、神様のわすれもの。
たくさんの人に埋もれてしまって
見つけてもらえなかった。
神様でも見落としはあるんですね。

私は、神様のわすれもの。



中学生の頃、
よくこんな感じの詩ともポエムとも
似つかないものを書いていた。
そして、
当時売っていたポエム雑誌に
『神様のわすれもの』を応募して
小さな賞をもらったことがある。

要するには、
小さい頃からツイていなかった。
当たりたくない、と思えば当たるし
なりたくない、と思えばやらされるし
なんかいつもパッとしなかった。
ドジでのろまな亀そのもので、
いじめられていたこともあった。
当時は今ほど『いじめ』に敏感ではなかったので、
先生も恐ろしく冷たくて
いじめられて泣きながら職員室に行ったら
『もっと泣け、泣け』と言われたことさえある。
その時のことは鮮明すぎるほどよく覚えていて、
先生の表情、職員室の喧騒、木造校舎の匂いが
ついさっきの出来事のように思い出される。
あの瞬間に、私は色々なことを諦めるようになった気がする。
大人に相談することの無意味さを
小さな胸に突き付けられたのだ。

その頃、
そんな想いをぶつける場所がなくて
詩のようなポエムのようなものばかり
書いていて、
ポエム雑誌に応募するのが唯一の楽しみになっていた。
ある日、自費出版で本を出してみないか、
という手紙が届き、
私はこれで抜け出せる、
と意気揚々に父にその手紙を見せると、
事も無げに一蹴された。
そもそも、そんなものを書いていること自体を非難された。

次は、新聞の広告で目にした
東宝芸能のオーディションに応募した。
なんでもいい。
きっとなんでもよかった。
私は抜け出したかった。
いっそ、遠くへ行きたかった。
あろうことか、
書類審査を通過して
東京で開催されるオーディションの日程が
送られて来た。
私は飛び上がった。
今にも踊り出したい気持ちを堪えて、
東京に行きたい旨を父に伝えた。
事も無げに一蹴された。
そもそも、そんなものに応募していたこと自体を強く非難された。

今でもときどき思う。
もし、あの時自費出版で本を出していたら。
もし、あの時東京で華やかなオーディション会場に立っていたら。

やりたいことがあっても、
微かなチャンスを掴みかけても、
やっぱり神様は私を見落としている。
よく、そんなことを思った。

何十年経った今も、
やっぱり神様は私を見落としている。
とよく思う。

うまく行かないことや、
がっかりすることが多くて、
私の行く手を塞ぐ。

そして、もう気づいている。
神様のせいでも、
父のせいでも、
先生のせいでもない。

自分を、
神様のわすれものだと思った
私自身の弱さや狡さが
今の私を作ってしまったのだろう。


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