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白い髪の第二十二代清寧天皇 神話は今も生きている ことの葉綴り八二二

明日から水無月

おはようございます。昨夜の新月、どんな願いごとされましたか?
五月三十一日(火)の暦は、六曜は、「赤口しゃっこう」で、正午のお昼前後が吉。十二直は「たいら」で、物事が平らかになる日。平等円満に成立する日。地固め、柱立て、建築、婚姻、移転、旅行、その他のお祝い事や、相談ごと、すべて障りなし。二十八宿は、植木の植え替え、種まき、耕作始めに吉の「よく」。そしてご神事やお参り、墓参によい「神吉日かみよしにち」です。
さて、早速ですが神話の物語に入ります。


生まれたときから髪が白い皇子

第二十一代、雄略天皇さまは、百二十四歳で身罷られました。
皇子は、妃の韓媛からひめとの間に生まれた、白髪大倭根子命しらにのおおやまとねこのみことさまと、伊勢の斎王となり自害された妹若帯比賣命いもわかたらしひめのみことさまだけでした。

雄略天皇さまは、少年の頃より、裏切り、不信、争い、噂……壮絶な人生を歩まれました。

皇位を受け継がれたのは、皇子で、生まれながらに髪が白かった白髪大倭根子命しらにのおおやまとねこのみことさまです。
ご即位されやまと伊波禮いはれ甕栗宮みかくりのみやにて、第二十二代、清寧せいねい天皇さまとして天下をおさめられました。

この伊波禮いはれ甕栗宮みかくりのみやの伝承地は不明となっています。
橿原市の「御厨子みずし神社」ともいわれているようです。

こちらは桜井市の大神神社さん


皇子も后もいなかった清寧せいねい天皇さま

ご即位から五年後清寧せいねい天皇さまが身罷られます。
まだ四十になるかならないかという若さで崩御されました。

御陵は、大阪府羽曳野市の「清寧せいねい天皇 河内坂門原陵《こうちのさかどのはらのみささぎ》」です。
すぐ近くには「日本武尊白鳥陵やまとたけるのみことしらとりのみささぎ」があります。
世界遺産となった「百舌鳥・古市古墳群」のエリアになります。

清寧せいねい天皇さまには、皇后もおらず、子もおりませんでした。後、皇位を継承されるみこもおりませんでした。

さて、どうするのでしょう?

―次回へ。

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