母の叡智 伊須氣余理比賣 神さまも“失敗”して成長した ことの葉綴り。二二五
当芸志美美命(たぎしみみのみこと)の陰謀
こんにちは。曇り空のまったりとした日曜日の午後、「ことの葉綴り。」に向かいます。
今日も神話の物語の続きです。
初代の神武天皇が亡くなられたあと、阿比良比売(あひらひめ)との間にできた御子、当芸志美美命(たぎしみみのみこと)は、
皇后の伊須氣余理比賣(いすけよりひめ)に、想いを寄せて
何度もプロポーズを繰り返します。
その熱意にほだされたのか、伊須氣余理比賣(いすけよりひめ)は、その求婚を受け入れたのでした。
そして、未だ皇位を誰が受け継ぐか、後継者は決まっていません……。
神武天皇には、前妻の御子、当芸志美美命(たぎしみみのみこと)はじめ2人。皇后の伊須氣余理比賣(いすけよりひめ)にも御子が3人いました。
当芸志美美命(たぎしみみのみこと)は、正妻である皇后との子ではありませんが、五人いる御子の中では、長男になります。
そして、義母の皇后を、自分の妻に娶ったのです。
そうです。
当芸志美美命(たぎしみみのみこと)の狙いは、皇位を受け継ぐこと!!!
そのために、皇后の伊須氣余理比賣(いすけよりひめ)を自分の妻にした上に、その異母兄弟たち三人を、亡き者にしようと、陰謀を企てたのです。
伊須氣余理比賣(いすけよりひめ)の苦悩
それに気づいたのは、御子たちの母でもある、伊須氣余理比賣(いすけよりひめ)でした。
皇位を継ぐために、皇后の自分を娶ったこと、さらに亡き夫である神武天皇との間の我が御子たちを、ないがしろにして、抹殺しようとしている。
その謀(はかりごと)に気づき、どれほどショックだったでしょう。
妻となってしまった自分の立場、そして、母として愛する御子たちへの想いから、どれほど憂い、苦しみ、心を痛めたことでしょう。
とはいえ、夫となった当芸志美美命(たぎしみみのみこと)がいるので、表立って、何かするわけにもいきません。
時は過ぎていきます。
夫婦関係には、隙間風が吹いていったでしょう。
伊須氣余理比賣(いすけよりひめ)の、苦悩は続きます。
きっと、神武天皇と出会ったころのこと、仲睦まじかった幸せな日々を思い出していたでしょう。
我が御子たち三人を守りたい!!!
御母として、大切な天皇の御子を守る!
伊須氣余理比賣、御母の叡智と強さ
伊須氣余理比賣(いすけよりひめ)は、ある決意をします。
家臣のものを呼ぶと、こう告げたのです。
これから、私は、歌を詠みますから、その歌を、御子たちに伝えておくれ。必ず……。
そして、朗々と、歌を詠みあげたのです。
狭井河(さいがわ)よ。雲たちわたり 畝火山
木の葉騒(さわ)ぎぬ 風吹かむとす
狭井川のほうから、雲が湧き起こり、そして(当芸志美美命⦅たぎしみみのみこと⦆がいる)畝傍山の、木の葉が、ざわざわと鳴って騒いでいます。今、風が吹こうとしているのです。
こう、歌われました。
さらに、続けてもう一首、歌を詠まれました。
畝火山 晝(ひる)は雲とゐ 夕されば
風吹かむとぞ 木の葉 騒げる。
畝傍山(当芸志美美命⦅たぎしみみのみこと⦆)は、昼間は雲とともに静かに流れていますが、夕方になると、嵐のような風を吹く前触れとして、木の葉がざわざわとざわめき騒いでいます。
こうして、伊須氣余理比賣(いすけよりひめ)は、“妻”であることよりも、天孫の御母としての道を選びました。
愛する神武天皇の我が御子たち命を守るために、当芸志美美命(たぎしみみのみこと)の謀を、歌に託して、SOSのサインを送ったのでした。
そういえば、天皇と出会ったとき、家臣の大久米命の求婚の言葉にも、伊須氣余理比賣(いすけよりひめ)は歌で、その意味を聞いていましたね。
さすが頭のいい媛女(おとめ)です!!大物主大神さまの娘です!
御子たちは、御母の歌のメッセージに気づけるでしょうか?
―次回へ
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