厄病を救った神の子孫 崇神天皇 神話は今も生きていることの葉綴り。二六二
夢のお告げ 意富多多泥古(おほたたねこ)を探せ
こんにちは。今日は午後から「ことの葉綴り。」に向かっていると、もう日暮れです。
神話の物語、崇神天皇の御代、疫病が大流行し、心を傷められ、
神床(かむどこ)で、神さまのご神託を受けられました。
夢に現れた、大物主大神(おおものぬしのおおかみ)さまは、
「私の子孫である、意富多多泥古(おほたたねこ)を探しだして、私を祭れば、国安らかになる」と、御心をつげられました。
「みなのもの、よいか、早馬による使いを、四方各地に走らせよ。
『意富多多泥古(おほたたねこ)』という方を探し出し、丁寧にお連れせよ~!!」
さっそく国中に早馬を走らせて、大物主大神(おおものぬしのおおかみ)の子孫である、意富多多泥古(おほたたねこ)を探したのです。
しばらくのち……
河内の美努村(みののむら/現在では大阪府の八尾市)に意富多多泥古(おほたたねこ)という人が存在することをつきとめて、宮中へお連れしました。
崇神天皇(すじんてんのう)は、その本人と会うと直接こう尋ねられした。
「あなたは誰の子であるか?」
大物主大神(おおものぬしのおおかみ)の子孫
意富多多泥古(おほたたねこ)は、こう答えます。
はい。私は、大物主大神(おおものぬしのおおかみ)が、
陶津耳命(すゑつみみのみこと)の娘の、活玉依毘賣(いくたまよりびめ)を妻に娶り、生まれた子、櫛御片命(くしみかたのみこと)、その子、飯肩巣見命(いひかたすみのみこと)、さらにその子、建甕槌命(たけみかづちのみこと)の息子が、私、意富多多泥古(おほたたねこ)です。
この意富多多泥古(おほたたねこ)は、先祖である、大物主大神(おおものぬしのおおかみ)が、美しい人間の乙女である、活玉依毘賣(いくたまよりびめ)と結ばれて誕生した、神の血統を受け次ぐ、直系の子孫でした。
今も“生きている”祭祀
それを聞いた崇神天皇(すじんてんのう)は、たいそうお喜びになられて、こう詔を出されます。
「おお、そうか。それはよかった。
これで、天の下は平になり、人々も栄えることだろう。よかった」
疫病の流行、多くの人々が亡くなり苦労する人々……すべてを、ご自身のせいと、背負われていた崇神天皇(すじんてんのう)。
神のお告げ通りの。大物主大神(おおものぬしのおおかみ)の直系の子孫がみつかり、それは嬉しく安堵されたことでしょうね。
「意富多多泥古(おほたたねこ)よ。さっそく、あなたが神を祀る祭祀者となり、三諸山(三輪山)に、あなたのご先祖である大物主大神(おおものぬしのおおかみ)をお祀りしてもらいたい」
そして、三諸山(三輪山)の”意富美和(おほみわ)””大神(おおみわ)”と、神さまのなかの大神さまとして尊び、国をお祀りする神さまとして、子孫の意富多多泥古(おほたたねこ)により、手厚く尊びお祀りされました。
こうした崇神天皇(すじんてんのう)が、大切にされた神さまを尊び奉る祭祀、神祀り、神社の制度は、今も、連綿と受け継がれてきています。
崇神天皇(すじんてんのう)は、大物主大神(おおものぬしのおおかみ)さまがご祭神の「大神(おおみわ)神社」末社「天皇社」にお祀りされています。
神話だけではなく、こうした神祀りも、古来から受け継がれて、そして今も生きています。
大切に、次の世代へもつながっていきますように。祈りをこめて。
―次回へ
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