意祁王(おけのみこ)子へ託す安寧の世 意祁と袁祁15 ことの葉綴り八四一
明日は夏至!早朝にお参りを
おはようございます。六月も残り十日。明日二十一日は、二十四節気の「夏至」。一年で、いちばん昼の時間が長くなる日。陽の気が極まるり「気」がとても強い日。
夜明けと共に早朝のお参りおススメ日です。(明日だと間に合わないので今日お知らせです)
しかも暦も吉祥も揃うので、お参り日和です。
で、六月二十日(月)の暦は、六曜は「友引」で、朝と夕が吉。何事も勝ち負けのない日。
十二直は「開」で、運が開き通じる日。そのための、お参り、祭祀、建築、開店開業、移転、婚礼に吉です。二十八宿も、祭祀やお参り、建築工事のスタートにいい「畢」です。
新たな週の始まり。そして、今夜は早めの就寝で、夏至の朝を味わってみてはいかがでしょう?
さて、神話の物語に入ります。
神代から続いた、“失敗して成長した”神さまの物語も、幼少時代にご苦労された意祁王さまと袁祁王さま兄弟のお話が最後となります。
《意祁王《おけのみこ》と袁祁王
子の名に託す尊い想い
意祁王さまこと仁賢天皇さまは、ご即位の翌年、父の仇、|雄略天皇さまの皇女、春日大郎女さまを皇后に娶り、手白髪郎女さまや、小長谷若雀命さまはじめ六柱のお子が生まれます。
また、妃糠若子郎女との間にも、春日の山田郎女が誕生し、七柱の御子となります。
小長谷若雀命…
このお名前からも、仁賢天皇さまの父として、大君としての、「思い」が感じられる気がするのです。
理由は、長谷(初瀬)は、雄略天皇さまのお名前、大長谷若建命の、長谷ですし、皇居は長谷にありました。
もう一つ……覚えていらっしゃいますか?
聖帝と呼ばれた、仁徳天皇さま。
皇后の父、雄略天皇さまにとっても、殺された仁賢天皇さまの父王、市邊の忍歯王さまにとっても、仁徳天皇さまは、「祖父」にあたります。
そして、仁徳天皇さまのお名前、
大雀命です!!
そう、「雀」の文字が入っていました!
小長谷若雀命。
雄略天皇も父王もともと聖帝の仁徳天皇さまの同じ孫だったのです。
運命の歯車が狂い、継承争いが続いてしまったけれど、元は、同じ、聖帝の直系であること、もう憎しみも諍いもなく、一つとなり融合されて、天の下を治めていくのだ……。
そうした想いを、皇子のお名前から感じませんか?
ボケ山古墳?「仁賢天皇陵」
弟君袁祁王こと、顕宗天皇さまが、父の仇をとるため、雄略天皇さまの陵を打ち壊そうとされたとき、「仇は取りたい。けれど、天皇の陵を壊してはいけない」と、御陵の端っこを少しだけ掘り起こされるという、大いなる理のご英断、深慮も頷けますよね。
仁賢天皇さまは、十一年間、天の下を治められ、そして身罷られました。
御陵は、「仁賢天皇 埴生坂本陵」(大阪府藤井寺市)
です。
「百舌鳥古市古墳群」の一つで、「ボケ山古墳」と呼ばれているそうです。ただし、世界文化遺産には入っていないのですって。
また、この御陵の側に「野々上埴輪窯跡」が発見されていて、こちらの窯でつくった埴輪が、仁賢天皇さまの陵に使われているそうです。
ここから神話は、意祁王さまこと、第二十四代、仁賢天皇さまの皇子、第二十五代、武烈天皇さまから推古天皇までの系譜が続きます。
それを少しずつ、私も学びながらご紹介します。
それにしても、やはり、仁賢天皇さま、意祁王さまって、素晴らしいですね~。その御世も平和だったようですよ。
読んだりご紹介しているだけでも、心が洗われて誇らしさも感じられました。皆さんは、いかがでしょうか?
ではまた!
―次回へ。
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