新たな悲劇 従兄弟の王の最期 安康天皇十六 神話は今も生きている ことの葉綴り七六五
四月三日 大安の日曜日
おはようございます。雨になりそうですね。皆さん、お元気でお過ごしですか? 四月三日(日)の暦は、六曜は「大安」万事によい吉日。婚礼に良いので日曜日で結婚式多そうですね。お幸せに💛
十二直は、物事を危惧する「危」で、何事も控えめがよし。婚礼などお祝い事は吉💛。二十八宿は「星」で、祭祀、お参りにいい日。治療をスタートしたり、お手洗いのリフォームの吉。
新年度スタートしましたね。私は“三足のわらじ”のお仕事三つが重なり慌ただしく過ごしています‘^^)今日は頭のマッサージで脳の疲れを取ってきます(^^)なので、早速神話の物語に入らせていただきます(ペコリ)
<神話の物語マガジン>
最新マガジンは、「仁徳天皇さまの物語」です。宜しくお願いします。
さあ、狩りに出かけよう! 大長谷谷王と市邊の忍歯王
第二十代、安康天皇さまが殺されたあと、皇位継承権を持つ御子たちがおりました。
皆、聖帝と呼ばれた十六代の仁徳天皇さまの孫にあたります。
安康天皇さまの末の弟、大長谷谷王と、十七代履中天皇さまの御子、市邊の忍歯王で、従兄弟同士にあたります。
あるとき、近江(滋賀県)によい狩場があると聞いた大長谷谷王は、市邊の忍歯王を狩りに誘いました。
身罷られた安康天皇さまも、兄履中天皇さまの長子で、甥っ子である市邊の忍歯王のことを目をかけていました。臣下からの信頼もあつかったそうです。
大長谷谷王は、ちょっと、ヤなジェラシーを感じていたのかもしれません。
近江の狩場につくと、その野原にそれぞれに仮宮の小屋を作り、その晩は泊まって、翌日、共に狩りをすることにしていました。
そして翌日、まだ夜が明けきらぬうちに、市邊の忍歯王は、すでに目を覚ますと、狩りには慣れているのか、普段通りに平常心で、気軽な感じで、馬を走らせていました。
そして、従兄弟である大長谷谷王の小屋にやってきます。
「大長谷谷王は、まだお目覚めではないのか? “早く”と、お伝えせよ。夜はすでに明けておる。狩場に早くおいでくださいとな!」
と、大長谷谷王の付き添いの使者に、語りかけるや、馬に乗り、狩場へと走り去っていきました。
狩りをとても楽しみにしているようですね。
家臣の”忠言” 本当? 信じる!?
一方、大長谷谷王につきそう家臣たちは、市邊の忍歯王の、この”ものの言い方”が気にくわなかったのです。
主である大長谷谷王の御子に、
「王さま。市邊の忍歯王は、なんと大変なことをいう王子ですぞ。まだ夜は明けておらぬのに、狩りにでかけられました。どうぞ、決して油断することのなきように。お心許しのありませぬよう。またしっかりと御身を武装なさいませ」
家臣の”忠言”を真にうけたのか、大長谷谷王は、衣の中に、鎧をつけて、弓矢も携えて、そして馬に乗り、狩場へと勢いよく駆けていきました。
地中に埋められた亡骸
そして、たちまちのうちに従兄弟の市邊の忍歯王の馬に追いつき、並びました。
おお、目が覚めたか? 今日の狩りは楽しみぞ!
市邊の忍歯王が、そういった次の瞬間です。
大長谷谷王は、隠し持った弓矢の弓で、従兄弟の市邊の忍歯王を、すぐ近くから射抜いたのです。
市邊の忍歯王は、咄嗟のことで身を庇う間もなく、矢が貫通し馬から落下し命を落としました。
野原に落下した市邊の忍歯王の身体を、大長谷谷王は、太刀で切り刻んだのです。
そして、その亡骸を馬の飼い葉桶に押し込んでしまうと、そのまま土の中へと埋めてしまいました。
墓や塚を築こともなく……です……。
悲劇の連鎖が、また起きてしまったのです……なんと悲しい……。
―次回へ
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