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一本の松の木への御歌 倭建命様四五 神話は今も生きている ことの葉綴り五七三

物事を始めるのにいい金曜日

おはようございます。今日も夏日になりそうです。
今週、早いもので金曜日。祝日も多かったですね。皆さん、いかがお過ごしですか? 中秋の名月&満月に、秋の空が本当に美しく、毎日、空を見上げています(^^)。
さて、九月二十四日(金)の暦は……六曜は、「先勝せんしょう」で、午前が吉。幸を勝ち取るには先んじるのがいい日。十二直は、万物を建て生じる「みつ」。物事のスタートに最適。神仏のお参り、婚礼、開店開業、棟上げ、引っ越しも吉。
二十八宿は「こう」で結納や婚礼、結婚。種まきに吉。
お彼岸ですし、お参りやお墓参りにいいですね。

今日も、倭建命やまとたけるのみことさまの神話の物語を綴ります。いつも、本当に皆さん、ありがとうございます!

<ことの葉綴り>全体のご案内
神話の物語編は、魅力的な神さま別に「マガジン」分けしています。
お好きな神さまの名前や、ご興味あるものをご覧くださいね。

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<倭建命様の物語。これまでのあらすじ>

倭建命やまとたけるのみことさまは、熊曾建くまそたける兄弟や東国の荒ぶる神を討伐していきます。
后の弟橘比賣命おとたちばなひめのみことさまは、海神の祟りを鎮めるため、自ら“人身御供”となり皇子の命を救われました。
尾張で結ばれた、美夜受比賣みやずひめさまの、もとに「草薙剣」を残して、伊吹山の神の討伐に向かいますが、山の神の祟りにあい、命からがら下山。玉倉部たまくらべ清水しみづで意識を取り戻し、大和国を目指しますが、足は腫れあがり、杖なしでは歩けなくなってしまうほど、衰弱されてしまいます。

滋賀県と岐阜県の境にある伊吹山から、逃げ出して意識を取り戻された玉倉部たまくらべ清水しみづは、岐阜県の養老町。
そして、そこから、足を引きずりながらも進まれて、倭建命やまとたけるのみことさまが、御杖をついて登られた坂、「杖衝坂つえつきざか」と、ケガをされた足から出血した血を浴びた石を葬ったとされる「血塚社ちづかしゃ」が、三重県四日市市采女町に、今も、残っています。

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置き忘れていた太刀が

大和の国まで、まだまだ、遥かな道のりですね。

杖衝坂つえつきざかから、なんとか踏ん張り、御杖をつかれながら、倭建命やまとたけるのみことさまは、さらに歩まれていきます。
そして伊勢の国の尾津の前おづのさき(尾津崎)へと辿りつきます。現在の三重県桑名市多度町のあたりだそうです。

そこの、ある一本の松の木へと、辿りつき、体を休めようとされたときです。
その松の根元に倭建命やまとたけるのみことさまは、ご自身の太刀たちを見つけられたのです。

なんと、これは、これから東の国の征伐へと向かおうという途上で、この松の元で休み、食事をしたときに、この地に置き忘れた私の刀ではないか……まるで、はるか遠い昔のことのようだ……あれから、どれほどのことがあったか……それでもこの私の刀は、無くならずに、ずっとここにあったとは……この一本松がこの刀を抱くように守ってくれていたかのようだ……。

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一本松へ向けた優しい御歌

倭建命やまとたけるのみことさまは、感動されて、まるで懐かしい古い友にあったかのように、その太刀を手に取られます。

そして御歌を詠まれたのです。

尾張に ただに向へる
尾津をつの崎なる 一つ松
吾兄あせ
一つ松 人にありせば
大刀佩たちはけましを
衣著きぬきせましを
一つ松 吾兄あせ


(后の美夜受比賣みやずひめのいる)尾張にまっすぐに向かい生えている、私の親しい、尾津崎の一本松よ。
そなたが人であったならば、私は、大刀たちを帯させて、そして、着物を着せてやれたであろうに……親しい、一本松よ……。

まるで、懐かしい年上の友達へ向けるような優しい、感謝の気持ちが伝わってくる御歌ですね。
こちらも、「日本武尊尾津前御遺跡やまとたけるのみことおづさきおんいせき」として、現在も、草薙神社(尾津神社)として残っているそうですよ!! すごいですね。

そして、倭建命やまとたけるのみことさまは、また御杖を頼りに立ち上がられて、足を引きずりながら、歩き続けられていくのでした。

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―次回へ
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