邪気祓いの桃・神風の伊勢の国へ 元伊勢四二 ことの葉綴り三六八
お雛祭り
おはようございます。
灯りをつけましょ、ぼんぼりに♪ 三月三日、お雛祭りですね。
「桃の節句」桃は、邪気を祓う木!
こちらも、神話の『伊邪那岐命・伊邪那美命(いざなぎのみこと・いざなみのみこと)』の物語で登場するのです。
邪気祓い「桃」の由来の神話
初のご夫婦神の二柱で、国生み、神生みをされた後、妻の伊邪那美命(いざなみのみこと)さまが火の神を産み、大火傷をして、それが原因で亡くなられて、黄泉の国へ。
愛しい妻恋しさに、黄泉の国へ行かれた伊邪那岐命(いざなみのみこと)さま。そこで待っていたのが……「別れ」。
そして、黄泉の国から伊邪那岐命(いざなみのみこと)さまが、脱出するときに、「桃」が登場するのです。
よかったら、ご覧くださいね。
ちなみに、この黄泉の国から脱出されて、禊をされた最後にお生まれになった三貴神が、天照大御神さま、須佐之男命さま、月読命さまです。
※これまでの1~343回までの、神代~13の神話の物語のまとめはこちらです。お好きな神様の物語をご覧になってください。
尾張から御船で桑名へ
さて、お雛祭りの日も、倭姫命さまのご巡幸の物語です。
倭姫命(やまとひめのみこと)さまご一行は、大和国を出発なさって二十四年目、尾張国から伊勢の国へと向かわれました。
垂仁天皇十四年乙巳年、伊勢の国の桑名の野代宮に環幸なりまして、四年斎き奉る。
時に国造大若子命(くにのみやつこ おほわくごのみこと)
<一名は大幡主命(おほはたぬしのみこと)>参り相ひ、御共に仕て奉る。
国内(くぬち)の風俗(くにぶり)を白(まを)さしめたまひき。
また、国造建日方命(たけひかたのみこと)参り相ひき。
「汝(いまし)が国の名は何ぞ」と問ひ給ふ。
白(まお)さく、「神風の伊勢の国」と白して、
舎人弟伊尓方命(とねりいろといにかたのみこと)、また地口の神田並びに神戸を進(たてまつ)る。
また大若日子命(おほわくごのみこと)舎人弟 乙若子命(おとわくごのみこと)を進る。
垂仁天皇の御代十四年の乙巳(きのとみ)年のことです。
倭姫命(やまとひめのみこと)さまご一行さまは、
伊勢の国の「桑名野代宮(くわなののしろのみや)にお遷りになり、天照大御神さまを四年間お祀りされました。
このとき、伊勢の国を治めている国造(くにのみやつこ)の
大若子命(おほわくごのみこと)<別の名を大幡主命(おほはたぬしのみこと)といいました>が、お宮に参上してきて、倭姫命(やまとひめのみこと)さまのお供としてお仕えすることになります。
そこで、この伊勢の国の暮らしぶりや風習について、倭姫命さまたちに、お話をなさいました。
今でいうと、「この伊勢の国は……」と、レクチャーされたのですね。
神風の伊勢の国に突入
またさらに、この地を治めている国造(くにのみやつこ)の
建日方命(たけひかたのみこと)も、参上してきました。
このとき、倭姫命(やまとひめのみこと)さまが、
「あなたの、ここの国の名は何と申しますか?」と、お尋ねになったところ、建日方命(たけひかたのみこと)はこう答たのです。
「はい。神風の伊勢の国でございます」
そして、この建日方命(たけひかたのみこと)は、
自分の弟の伊尓方命(いにかたのみこと)と、
さらにご神田と、神戸という、神社の祭祀をするために神社に属した人たちを献上されました。
また、伊勢の風習を“レクチャー”した、大若日子命(おほわくごのみこと)も、自分の弟の乙若子命(おとわくごのみこと)を、お仕えする役割の舎人(とねり)として、献上いたしました。
この御巡幸は、天照大御神さまが、伊勢の神宮にお祀りされるまでの「元伊勢」の物語を綴っております。
これまで、初代の御杖代(みつえしろ)の豊鋤入姫命(とよすきいりひめのみこと)さまの、ご巡幸から辿りますと
大和国、丹波国、大和国、木乃国、吉備国、大和国
そして倭姫命(やまとひめのみこと)さまが、引き継がれて
大和国、伊賀国、淡海国、美濃国、尾張国、
そして、伊勢国。
とはいえ、すぐにここから伊勢の神宮ではありません。
倭姫命さまのご巡幸は、まだ続くのです!
でも、ようやく伊勢の国へ、入られたのですね!
―次回へ
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