后への愛の歌 神さまも“失敗”して成長した ことの葉綴り。二二〇
求婚を受けて
おはようございます。今朝も仕事前に、「ことの葉綴り。」のひととき。ショートバージョンの“つもり”……のひとときです(^^!お仕事の前にヨガに行きたいから(笑)。
さて、今日も神話の物語を綴ります。
初代天皇に即位された、神倭伊波禮毘古(かむやまといわれびこ)の、皇后の候補となった神さまの御子の媛(ひめ)。
日本最古の神社の大神神社(おおみわじんじゃ)のご祭神、三輪山の大物主大神(おおものぬしのおおかみ)さまの娘、
伊須氣余理比賣(いすけよりひめ)は、
神倭伊波禮毘古(かむやまといわれひこ)の気持ちを知ると
わかりました。
お仕え奉ります。
と、天皇のお后になることをお受けになりました。
目じりに入れ墨のメイクをほどこした家臣、大久米命(おおくめのみこと)の“活躍”で、この縁談、まとまりそうです!
神倭伊波禮毘古(かむやまといわれひこ)の願いが叶いました。
葦の繁る小屋で結ばれて
その頃、伊須氣余理比賣(いすけよりひめ)は、
三輪山の清らかな水が流れている狭井川(さいがわ)の上流で暮らしていました。
運命の出会いからしばらくして、神倭伊波禮毘古(かむやまといわれひこ)は、その家を訪れます。
そしてその日、夜を共にされて、結ばれたのです。
狭井川(さいがわ)は、佐葦河ともいいました。その理由は、山の中で、葦など草がとても多く繁っていたのです。
伊須氣余理比賣(いすけよりひめ)と結ばれた、神倭伊波禮毘古(かむやまといわれひこ)は、そのことが印象に残ったようでした。
皇后との愛を御歌に
そののち、伊須氣余理比賣(いすけよりひめ)は、
橿原宮に、皇后として参上します。
愛する媛(ひめ)を、迎え入れた夫となった、神倭伊波禮毘古(かむやまといわれひこ)は、初めて結ばれた夜のことを思い出しながら、こう御歌を詠まれました。
葦原の しけしき小屋に 菅畳
いや清(さや)敷きて
我が二人 寝し
見渡すところじゅうに、葦がおい繁った、狭井川の荒れた家の中に、菅(すげ)を編んだ敷物を清らかにきれいに敷いて、
そして、私たち二人で寝たことよ……
なんだか、頬が緩みそうな、優しいおこころのこもった御歌ですね。伊須氣余理比賣(いすけよりひめ)への愛情を感じますね。
はじまりが、いきなりの宮中ではなく、葦の繁る質素な小屋で結ばれているっていうのもいいな~と思いますが。いかがでしょう?
狭井神社(さいじんじゃ)
さて、伊須氣余理比賣(いすけよりひめ)の家があったといわれる狭井川。その名前のつく神社が今もありますよ。
伊須氣余理比賣(いすけよりひめ)の父、大物主大神(おおものぬしのおおかみ)さまをお祀りする、三輪さんこと、「大神神社(おおみわじんじゃ)」。
その境内から、歩くこと10分ほどで、「狭井神社」さんにたどり着きます。
ご祭神は、三輪の大物主大神(おおものぬしのかみ)の荒魂(あらみたま)。
ご神威が強く、病気平癒、身体健康の神さまとして崇敬されています。
今も、拝殿の奥に、清らかなご神水が湧き出ています。
これは、万病に効くという薬水が湧き出る井戸「薬井戸」があり、ご神水を汲ませていただけます。
薬のお社!
4月には、「鎮花祭(はなしずめのまつり)」がおこなわれています。これは、大宝律令(たいほうりつりょう/701年)に、大神神社で、疫病除けの祭りをおこなうことが決められた、国家のご神事でした。今も、多くの医薬の企業が参列し「薬まつり」として有名です。
大神神社さんから、狭井神社さんへの参道は、「くすり道」と呼ばれ、医薬の業者の関係者からの奉納された、薬木、薬草が植えられています。
大好きな神社です。
ご神体である三輪山への登拝口もあります。
あ~お参りしたい!!
三輪といえば、三輪そうめんも有名で美味しい! 柿の葉鮨も。
今度、お参りするときは、伊須氣余理比賣(いすけよりひめ)と、神倭伊波禮毘古(かむやまといわれひこ)さまのことを思い浮かべながら、山野辺の道を歩いてみたい!! と、強く願う神無月の朝でした。
―次回へ
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