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神剣の神は石上神宮に 神様も“失敗”して成長した ことの葉綴り。二〇一

天つ神の御こころ


こんにちは。今日も「ことの葉綴り。」に向かいます。
早速、神話の物語の続きです。
天孫の御子の伊波禮毘古は、兄とともに国の平定のために
高千穂宮を出て東へ向かっていました。
兄の五瀬命が、戦で負傷して亡くなった後も
一人で、ようやく紀州の熊野村にたどり着きますが、
窮地に追い込まれます。
熊野の深い森の中で、荒ぶる神の化身の魔力により、伊波禮毘古さま一行、全員が、意識を失い倒れこんでいたのです。

そのピンチを救ったのは、高倉下のみた夢のお告げに登場した、神聖な「佐土布都神(さじふつのかみ)の剣」でした。
高天原を統治する天照大御神さまをはじめとした天つ神たちが、
なんとか天孫の御子を救いたいという御心が
高倉下の夢へと届いたのです。
夢のお告げ通り、高倉下は、この剣を伊波禮毘古の元へとはせ参じました。
そして伊波禮毘古がこの剣を一振りすると、荒ぶる神の邪気が清め祓われたのでした。


なんと、ありがたきことよ。
そうであったか。
高倉下よ、おかげで救われた。
ほんとうに、ありがたきことよ。

兄を亡くして、一人になり、孤独を感じていた伊波禮毘古ですが
高天原の天つ神たちの御心を知り
ありがたさから、涙がこぼれました。

兄の五瀬命にも語りかけます。

兄上、困難が続くことを、天つ神さまたちはご存じで
私たちの行く末を見守ってくださっていたのですよ。
兄上がいなくなってから、私はもう独りぼっちと思っておりました。
そうではないのですね。
天照大御神さまをはじめ、高天原の神々、そして、その想いを夢で受け取り、助けてくれた、この地上の高倉下……。
ほんとうに、ありがたい!

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佐土布都神は石上神宮に


このとき、熊野に降ろされた、佐土布都神(さじふつのかみ)は、
またの名を、甕布都神(みかふつのかみ)、布都御魂(ふつのみたま)といいます。
サジフツ、ミカフツ、フツの御魂は、物を断ち切る音を示し、剣の威力を現します。
そして、現在は、奈良県の石上神宮(いそのかみじんぐう)に、
主祭神「布都御魂大神」(ふつのみたまのおおかみ)」として、
お祀りされているのです!!


ちなみに、物語で、この佐土布都神(さじふつのかみ)が、石上神宮にお祀りされるのは、神話の物語は、もう少し先になります。

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鎮魂(たまふり)の神業(かむわざ)

この神宮は、最古の神社の一つで、国家・国民の守護神として、健康長寿、病気平癒、百事成就の神さまとして、多くの方に崇敬されています。
10月15日は、例祭並びに渡御祭(ふるまつり)ですが、今年はコロナの影響で、参列はできないそうです。残念ですね。

毎年11月には、「鎮魂祭」という、鎮魂(たまふり)の神業(かむわざ)のご神事がとり行われます。
これは、鎮魂(たまふり)により、玉の緒が斎い結ばれ天皇陛下のご長寿をお祈りする神聖なご神事です。
このお祀りは、饒速日命(にぎはやひのみこと)の
子の宇摩志麻治命(うましまじのみこと)が、
十種の貴い神宝「十種神宝」と鎮魂(たまふり)の神業でお祈りするご神事で、初代神武天皇(神倭伊波禮毘古)と皇后の超級長寿を祈ったことがはじまりとされています。
鎮魂(たまふり)の神業は、宮廷の鎮魂祭にも取り入れられたのです。
鎮魂(たまふり)の神業は、枯渇し疲れた生命力が、振り起されて、新たな生命力が宿るとされています。

「鎮魂行法」がおこなわれることから、「石上振神宮(いそのかみふるじんぐう)」とも呼ばれます。
夏には、神職の「鎮魂並びに禊行法」の講習会もおこなわれます。(今年はコロナ禍で中止)
私も、女子神職の「鎮魂禊研修」に参加させてもらったことがあります。
神話から続く神業の儀式が今も続いており、それを体験できるありがたさ。大好きな研修で、本当に幸せを感じました!!! 

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―次回へ

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