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義母に求婚!神さまも“失敗”して成長した ことの葉綴り。二二四

五人の御子と後継者

おはようございます。台風14号が無事に通り過ぎていきますように!! 今朝も雨音を聴きながら、「ことの葉綴り。」です。
肌寒いですね。皆さんも、風邪ひかないよう気をつけてください。

さて、神話の物語を続けてみます。
前回、神倭伊波禮毘古(かむやまといわれびこ)は137歳で身罷られたお話でした。
神武天皇として、橿原の畝傍山に今もお祀りされています。

そして、神武天皇が亡くなられたあと、問題が勃発するのです。
まだ、神武天皇が、九州の日向の高千穂にいたとき、
妻の阿比良比売(あひらひめ)との間に、
当芸志美美命(たぎしみみのみこと)と、
岐須美美命(きすみみのみこと)の2人の御子がいました。

その後、兄の五瀬命たちと共に、国の平定のために
長い旅に出られたのです。
そして、十五年以上の大変な旅をされて、大和で初代天皇に即位
そこで、皇后に、神の御子の伊須氣余理比賣(いすけよりひめ)を迎えました。
そして、皇后との間には、
長男の日子八井命(ひこやいのみこと)
次男の神八井耳命(かむやいみみのみこと)
三男に、神沼河耳命(かむぬなかわみみのみこと)
三人の御子に恵まれました。

と、五人の御子がいたことになります。

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神武天皇が崩御されると、最初の妻の子の長男の当芸志美美命(たぎしみみのみこと)は、亡き父の正妻で、皇后のもとに足しげく通い、「私と結婚してほしい」と、迫ったのです。
義理の息子の申し出に、困惑を隠せない伊須氣余理比賣(いすけよりひめ)。

けれど、幾度も幾度も、断られても、ものともせずに、皇后のもとに通いつめたのです。

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ギリシャ神話“父殺し、母と結婚”

ギリシャ神話でも、父の妻(母と知らずに)を娶るオイディプスの物語がありますよね。

神も人も、今も昔も、“息子”にとり、“父”は、乗り越えて倒していくべき、存在で、“父殺し”という内面の心理構造を、心理学者のフロイトは、「オイディプス(エディプス)・コンプレックス」と名付けました。
父を超えるとは、“権威”への抵抗、革命、破壊をも意味します。
この心理構造には、もう一つ、母への思慕は、無意識に性愛衝動を持ち、異性の親の愛情を得ようする心理があり、同性の親には、嫉妬する……構造になるといいます。
ここから、ギリシャ神話の、父親を殺して母と結婚した『オイディプス』の悲劇が誕生しています。

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義母への恋心と野心

とはいえ、日本の神話は、そこまで“激しく”はありません
当芸志美美命(たぎしみみのみこと)は、父の神武天皇を“殺して”いませんし、伊須氣余理比賣(いすけよりひめ)は、実の母でもありません。
当芸志美美命(たぎしみみのみこと)からすると、父が皇后として迎えた、若き美しい媛女(をとめ)の義母に、憧れと恋心を抱いたのは、想像つきますよね。

父の生前から、ずっとずっと憧れていた伊須氣余理比賣(いすけよりひめ)。
当芸志美美命(たぎしみみのみこと)は、何度断られても、決してあきらめることなく、熱心にプロポーズを続けます。

そして、とうとう伊須氣余理比賣(いすけよりひめ)も、その熱意にほだされたのか、当芸志美美命(たぎしみみのみこと)の求婚を受け入れたのでした。

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神も人も、後継者問題!?


当芸志美美命(たぎしみみのみこと)の願いが成就しました!
けれど、当芸志美美命(たぎしみみのみこと)の狙いと野心は、皇后を娶る、だけではなかったのです……。

神武天皇には、前妻の御子、当芸志美美命(たぎしみみのみこと)はじめ2人。そして、皇后の伊須氣余理比賣(いすけよりひめ)にも御子が3人!

まだ、後継者は決まっていません……

いったい、どうなるのでしょう?
今日のお天気のように、雲行きが怪しくなってきました!

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―次回へ

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