倭姫命さまご先祖神の地へ 元伊勢三三 ことの葉綴り三五九
琵琶湖から息長川、“水の道”を進む
こんにちは。月曜は毎週お仕事の合間に「ことの葉綴り」に向かいます。快晴で気温はすでに20度を超えました。すっかり春!
そして2月22日は、二が三つ重なる、“にゃんにゃんにゃん”の猫の日ですね。この暖かさに、猫ちゃんもまったりのんびり喜んでそうですね。
さて、今回も倭姫命(やまとひめのみこと)さまの御巡幸の物語へ入ります。宜しくお願いします。
※これまでの1~343回までの、神代~13の神話の物語のまとめはこちらです。お好きな神様の物語をご覧になってください。
「甲可日雲宮(こうがのひくものみや)」淡海(おうみ)国の村人たちが、倭姫命(やまとひめのみこと)さまご一行のために、丹精を込めて手作りした丸木の船三艘。
この船に乗り、倭姫命さま、「大物忌(おおものいみ)」の大宇祢奈(おおうねな)はじめ一行は、横田川(現在の野洲川)を下り、琵琶湖へと“水の道”航路を進みます。
美しい豊かな自然や、キラキラ光る湖面を目にし、夏の風に吹かれながら、琵琶湖の東側を北上していきます。
今、琵琶湖大橋がかかる、湖の東(大津市)と西(守山市)の一番狭いところを超えて、さらに北上すると沖島、近江八幡、彦根、米原を過ぎて、琵琶湖から、息長川(おきなががわ、現在の天野川)へと入られて、「坂田」へと進まれたのです。
淡海(近江)「坂田宮(さかたのみや)」
八年己亥 同じ淡海国の坂田宮に環幸なりまして、二年斎き奉る。時に坂田君等(たち)、地口の田を進る。
垂仁天皇の御代、八年己亥の年に、倭姫命さまは、同じ淡海国(近江の国)の「坂田宮(さかたのみや)」にお遷りになられて、天照大御神さまを二年間お祀りされました。このとき坂田の君主たちが、よい田を献上しました。
倭姫命(やまとひめのみこと)さまご一行が、船で息長川をさかのぼり、坂田郡へと到着されたのは、垂仁天皇八年七月七日。
こちらの坂田郡の豪族である坂田公と人々は、天照大御神さまを大歓迎してお迎えされて、息長川の一面の水田を献上されました。
これを「坂田御厨(さかたのみくりや)」と呼ばれます。
倭姫命様のご先祖に所縁ある淡海(近江)
川から琵琶湖へ。そしてたどり着かれた淡海(おふみ)こと近江。
なぜ、こちらだったのか?
実は、倭姫命(やまとひめのみこと)さまには、とても所縁のあるところだったのです。
倭姫命さまは、第11代垂仁(すいにん)天皇の皇女となります。
この、ご先祖の系譜をさかのぼりますね。
母は、垂仁天皇の二人目のお后となった、氷羽州比賣命(ひばすひめのみこと)さまです。
倭姫命さまの母、氷羽州比賣命(ひばすひめのみこと)さまの父
倭姫命さまの母方の祖父にあたるのが、丹波比古多多須美知能宇斯王(たにはのひこたたすみちのうしのおう)…長くてすいません(苦笑)
この丹波比古多多須美知能宇斯王(たにはのひこたたすみちのうしのおう)の父は、第9代開花天皇の皇子の「日子坐王(ひこいますおう)」、母は、息長水依比賣(おきながのみづよりひめ)さま。
倭姫命さまの母方の曾祖母が「息長水依比賣(おきながのみづよりひめ)」さま。曾祖父が開花天皇の皇子日子坐王(ひこいますおう)です。
「近つ淡海の御神の祝(はふり)がもち拝く、天之御影神(あめのみかげのかみ)の女、息長水依比賣(おきながのみづよりひめ)を娶して、生める子は、丹波比古多多須美知能宇斯王……」
(『古事記』より)
この曾祖母の息長水依比賣さまこそ、近江の国、そうです。淡海の国! ようやくつながったでしょう?(笑) よかったらこの系譜もご覧下さいニャン。(by猫の日)
―次回へ
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