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玉依毘賣の結婚 海幸山幸28 神様も“失敗”して成長した ことの葉り。百九一

白露と二百二十日

こんにちは。月曜日は朝からのお仕事を終えて、夕刻「ことの葉綴り。」に向かいます。
今日は二十四節季の「白露」
夜になるとひんやりと大気が冷えて、朝の草花に露が宿り始める季節。
朝の光に白く煌めく露を、「白露」と、呼んだのですね。
美しいネーミングですね。
空を見上げたら、目の光った龍神さまが口から、何かを出しているような龍神雲が見えましたよ。

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空が美しい季節ですね。

そして、立春から数えて二百十日(9月1日頃)と、
二百二十日(9月11日頃)は、
稲の開花時期と台風上陸の季節が重なることから、
暦の上では、台風の被害に遭いやすい「厄日」と言われています。

近年、台風の猛威、風速も雨量も、これまでとは違います。
今回も停電も起きています。
これからは、「避難」することも想定しての準備や食料の備えが必要ですね。台風の季節、少しでも大難が小難に、小難が無難でありますように!

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高屋山の御陵

さて、神話の物語に戻ります。
竜宮城に戻った豊玉毘賣さまは、
我が子の養育係として、妹の玉依毘賣(たまよりひめ)を
地上に遣わせると共に、
「今も、あなたのことをお慕いしております」
山幸彦さまに、愛の歌を送りました。

それを読んだ山幸彦さまも、
「愛しいあなたのことを、生きている限り、一日たりとも忘れることはない」と、歌を返しました。

離れても結ばれていた、縁(えにし)

山幸彦さまこと、日子穂穂手見命・火遠理命さまは、
高千穂の宮殿で、豊葦原中つ国を
580年ものあいだ、お治めになり、
その御陵は、高千穂の山の西にあり、
「日本書紀」では、「高千穂の西、高屋の山の上に葬る」とあり、
鹿児島県の霧島市にある「高屋山上陵(たかやのやまのえのみささぎ)」が、御陵だとされています。

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叔母の玉依毘賣と“年上婚”**

そして、豊玉毘賣さまと山幸彦さまの御子、
天津日高日子波限 鵜葺草葺不合命
(あまつひこひこ なぎさたけ うがやふきあへずのみこと)さまは、成長され、大人になられると、
ご自身のお妃に選ばれたのは……。

赤ちゃんのときから愛情深く育んでくれた、玉依毘賣さまでした。

母の妹である年上の玉依毘賣さまを娶(めと)り妻とされました。

“初の年上夫婦”って感じでしょうか?
もともと「神霊の依りつく巫女」という意味を持る玉依比賣さまは、きっと、お母さまのいない寂しさも、愛と慈しみで包み込み、
深い信頼関係で結ばれた、ご夫婦神になられたのでしょうね。

そして、鵜葺草葺不合命(うがやふきあへずのみこと)さまと
玉依毘賣さまの間には、四柱の御子が誕生します。

御子のお名前は、
五瀬命(いつせのみこと)
次に、稲氷命(いなひのみこと)。
この神は、妣(はは)の国、玉依比賣の海の国、海原へ入っていきました。
次に、御毛沼命(みけぬのみこと)。この神は、波の穂を踏んで、常世の国に渡っていかれました。

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神倭伊波禮毘古神の誕生**

そして、最後の末っ子に誕生したのが若御毛沼命(わかみけぬのみこと)。
この若御毛沼命のまたの名前は、豐御毛沼命
またの名を、神倭伊波禮毘古命(かむやまといわれびこのみこと)とおっしゃいます。

そうです。
この末っ子の神さま、神倭伊波禮毘古命(かむやまといわれびこ)さまこそ、初代天皇の神武天皇になられるのです。

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 神武天皇こと。神倭伊波禮毘古命さまの
父母として、神代と人代をつなぐ重要な役割を担われた、
鵜葺草葺不合命さまと玉依毘賣さま

鵜葺草葺不合命さまは、鵜戸神宮(宮崎県日南市)

海神神社(長崎県対馬市)

玉依毘賣さまは、玉前神社(千葉県長生郡)

枚聞神社(鹿児島県指宿市)

の神社にご祭神としてお祀りされています。

さて、神話『古事記』の「神代」の「上つ巻」は、終わりです。
最初の宇宙の創造から、おつきあい、ありがとうございます。
神話の物語は、「中つ巻」へと続いていきます。
これからも、宜しくお願い致しますありがとうございます

          『古事記』上つ巻 了。

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―次回へ。


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