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“神林浴”で倭姫命様の息吹を感じたい 元伊勢三一  ことの葉綴り三五七

夜空には上弦の月

おはようございます。
夜空に浮かんでいた三日月から、日ごとに大きくなり今日未明に上弦の月になりましたね。
半月から1週間後の27日の満月まで、月の光が満ちていく。
勢いのあるときですね。
空を見上げて、月の満ち欠けを愛でる。
雲の流れを見て感じる。
これだけでも、五感(視覚)を感じて感性を豊かにできます。
このひと月、お月さま、その「月星座」についてもお話を聞いて書かせてもらっています。ご興味ある方はどうぞ。

※これまでの1~343回までの、神代~の13の神話の物語のまとめはこちらです。お好きな神様の物語をご覧になってください。


さて、今回も倭姫命(やまとひめのみこと)さまの御巡幸へご一緒に向かいましょうか。

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斎王が群行(さいおうぐんこう)した「垂水頓宮跡」


まずは、御巡幸の旅をふりかえりますと、
豊鋤入姫命(とよすきいりひめのみこと)さまから
「御室嶺上宮(みむろのみねのかみのみや)」にて、
天照大御神さまの御こころを受け取る「御杖代(みつえしろ)」
祭祀をとりおこなう「斎王」という、使命を受け継がれました。

そしてご巡幸を始められ、
「宇多秋宮」「佐佐波多宮」(大和国)で4年。
「市守宮(いちもりのみや)」(伊賀国)2年。
「穴穂宮(あなほのみや)」(伊賀国)4年。
「敢都美恵宮(あへつみえのみや)」で2年。
次に、伊賀の国「甲可の日雲宮(こうがのひくものみや)」で4年
皇祖神の天照大御神さまを、お祀りされました。

この伊賀の「甲可の日雲宮(こうがのひくものみや)」といわれているところが幾つかあるようです。
伊賀と信楽ですので、どこも滋賀県です。


まず、滋賀県の甲賀市土山町「垂水頓宮跡」
こちらは、「敢都美恵宮(あへつみえのみや)」とされた「都美恵(つみえ)神社」さんと同じような、言い伝えが残っています。

倭姫命さまより後世、平安時代天皇の御代替わりで、斎王に選ばれた皇女の一行が、伊勢の神宮までの郡行
このときの仮の宿泊所だったという「頓宮跡地」の一つとして残っているようです。石碑や井戸の跡もあるようです。

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378年で31人の皇女の「斎王群行」

時代が、”逆“のように感じますけれど、倭姫命さまが、御巡幸の際、天照大御神さまをお祀りされていた「聖地」だからこそ
後世の平安時代に、天皇の御代替わりにともない、皇女が斎王となる「斎王制度」ができたときに、元祖、斎王で御杖代であった、豊鋤入姫命さま、そして倭姫命さまの、この倭姫命さまの御巡幸地をたどり、「斎王群行」をして、伊勢へと向のではないでしょうか。

京の御所から、伊勢の斎宮までは、五泊六日の旅だったそうです。
垂水斎王頓宮跡」には、378年間の間に、31人の斎王となられた皇女が宿泊されたのです!!
今も毎年、3月第4日曜日には、「あいの土山斎王群行」がおこなわれているそうです。

倭姫命さまご一行が歩まれた「道」を、子孫である皇女の「斎王」も歩まれていたのですね。

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「甲可日雲宮」伝承が残るお宮

ほかにも、「甲可日雲宮(こうかひくものみや)」の比定置といわれるのは次の通りです。

三上六所(みかみろくしょ)神社」(甲賀市土山町)
鈴鹿山脈の山里にご鎮座するお宮。
「元伊勢」と呼ばれるお宮の近くにある五つのお宮と、こちらを合わせて「六所」と呼ぶそうです。
昔、村人たちが毒蛇猛獣の被害にあっていたのを、野洲の御上神社に奉仕する三上三郎氏が、二匹の犬で駆除を果たし、みなが安心して暮らせるようになったといわれがある神社。


「土山田村神社」(甲賀市土山町北土山)
ご祭神に、坂上田村麻呂公さま。
嵯峨天皇。そして倭姫命さまもお祀りされています。

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信楽の神林浴「みつえしろの道」

信楽焼で有名な信楽にも言い伝えのあるお宮があります。


「高宮神社」(信楽町多羅尾)
御由緒に、
「本社は垂仁天皇四年六月晦日より四年間、倭姫命皇大神宮を、信楽日雲里、多羅尾村高宮に奉斎することあり」とあるようです。
境内には、神さまのお使いとされた狼の像も。
こちらの神使いの狼は、善人と悪人を見分けていたとか。

日雲神社」(信楽町牧)
同じく「倭姫命世紀」の「甲可日雲宮」を起源とする神社。
参道を信楽高原鉄道の線路が横切っていて、鉄道ファンの知る人ぞ知る。
また現在も、神社の鎮守の杜を巡る1キロの神林浴歩道「みつえしろの道」があります。四季の自然を愛でながら、神社の息吹に触れて、願いを込めて、倭姫命さまのお導きをいただける道があるそうです。

神林浴って素敵な言葉ですよね~! 


三重県伊賀市の柘植町の伊賀国「敢都美恵宮(あへつみえのみや)」から、新たな、「甲可日雲宮(こうかひくものみや)」の伝承地とされる、甲賀市土山町まで、現在の地図で約15㎞。甲賀市の信楽町までは約25㎞です。
古には、道もなく、柘植川に沿って、天照大御神さまの御声にしがたって、山を越えられて、甲賀の場合ならば、滋賀県の横田川(現在は野洲川あたりといわれている)に望む丘陵の麓に辿りつかれたようです。

倭姫命さまたちのご巡幸の道のり、“神林浴”しながら、巡ってみたい。そんな思いが日々強まっている早春です。皆さま、楽しい週末を!

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―次回へ

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