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聡明さと愛らしさ 仁徳天皇十五 神話は今も生きている ことの葉綴り六九二

伊勢の神宮、神馬牽参

おはようございます。昨日の大寒の朝、冷えましたね~。
でも空気が澄んでいて、朝のお参りのときの、朝日の光もとても清々しかったです。その写真を今回はアップしますね。
一月十一日伊勢の神宮では、毎月一日、十一日、二十一日の朝、ご神馬が、きちんと正装をして天照大御神さまにお参りをする「神馬牽参しんめけんざん」がおこなわれます。
早く、伊勢の神宮にお参りしたいですね~。神宮の方を向いて手を合わせて祈ります。
暦は、六曜は、昼前後が吉の「赤口しゃっこう」。
十二直は「おさん」で、物事を納め入れる日。お買い物に吉。
二十八宿も、鬼宿日に次ぐ吉日の「ぎゅう」すべて吉、お金の相談もよし!(朝いちばんでアップしたのに間違いがあり、ごめんなさい。今日の暦は↑です)寒さが続きますが、皆さん、お元気でお過ごしくださいね。

<ことの葉綴り>全体のご案内
「ことの葉綴り」は、神話の物語を、神代から神さまごとに20の「マガジン」に分けて、すべて読めるようになっています。

最新は「神話20 八幡大神さまこと応神天皇さまの物語 」です。

さて、神話の物語に入ります。

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皇后の実家、葛城は有力豪族

第十六代、仁徳にんとく天皇さまの御世の物語です。
皇后石之日売命いわのひめのみことさまは、気位も高く嫉妬深いことで知られていました。
度重なる、夫である天皇の恋に、堪忍袋の緒が切れて、実家へ戻ることを決意されます。

御船で淀川を上がり、故郷の葛城かづらきを目指しながら、のどかな河辺の自然を目にされて、そこで歌を詠まれました。

美しく赤く色づく椿の花、のびやかに広がっていく生命力あふれる葉……あ~まるで、私の大君さまのようだ……。

そうです。皇后さまの心、本音は、夫、天皇への愛情に溢れていたのです。

もう許さない、つもりであったのに……。

皇后は、御船で山代の国(京都府の南部)に入られ、そこから、船を降りられて旅を続けられます。
そして、奈良山の麓へ到着されました。

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懐かしい故郷の我が家

あ~懐かしい……

すでに、夫である天皇への激しい怒りは、鎮まっていました。
久しぶりの故郷が近づき、さらに皇后さまの心は、落ち着かれたのかもしれません。
また次のような歌を詠まれました。

つぎふねや 山代河を 宮上がり
我上がれば あをによし
奈良を過ぎ 小楯をだて、倭を過ぎ
我が見がし國は
葛城高宮かづらきたかみた 吾家わぎへのあたり

山代川(淀川、木津川)を、宮へと上ろうと上っていくと
あをによし(青丹よし、奈良の枕言葉)
青土の美しい奈良を過ぎて、そして倭(大和国の東の地名)も過ぎ
私が見たいと願うのは……
あの葛城の高宮の、私が生まれた家のあたりです。

生家のある故郷を眺められて、懐かしさに浸られました。

そして、故郷のご実家に戻るか……と、思われたのですが、
皇后は、なんと、そこから踵を返されて、また、山代(山城)の国へと戻っていかれたのです。

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皇后の聡明さと愛らしさ

そして、ご実家ではなく、しばしの間、身を寄せられたのは、筒木つつき(綴喜、現在の京都府田辺町)の、韓人からびと(百済からの帰化した人)の奴理能美ぬりのみの家でした。

皇后石之日売命いわのひめのみことさまは、なぜ、葛城のご実家へと戻られなかったのでしょうか。

皇后さまのご実家は、歴代の天皇に仕えた重臣、建内宿禰たけしのうちすくね(武内宿禰)で、父は、葛城かづらき曾都毘古そつびこで、有力豪族です。
仁徳天皇にとっても、自身を支える協力な後ろ盾となっている名家です。

もし、私が本当に“実家”へと戻ってしまったら、父上も夫である大君に愛想をつかし、支援をやめてしまうかもしれない……それだけで済むだろうか……。

皇后さまは、そうした政治的な勢力をふくめたことも熟考されて、でも夫とは、距離が欲しいと、冷静に判断をされた上でのことでした。
こうして綴っていると、皇后石之日売命いわのひめのみことさまは、愛想をつかしたと怒っていても、夫が好きでしょうがないかわいらしさと、また夫の、天皇としての立場を考慮する聡明さも持ち合わせていらっしゃるのことが伝わってきますね。

さあ、妻に家でされた夫はどうするのでしょう?

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