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兄神の負傷 神様も“失敗”して成長した ことの葉り。百九六

海流の水先案内人


おはようございます。
土曜日の朝「ことの葉綴り。」のひと時です。
今日も、神話の物語におつきあいいただければ幸いです。

神話『古事記』の中つ巻。
国を安らかに平定するために、
高千穂の宮から、東へ向けて旅立った
神倭伊波禮毘古(かむやまといわれびこ)と、
兄の五瀬命(いつせのみこと)の兄弟。

九州の南部から宇沙(大分)、筑紫(福岡)に一年、
安芸(広島)に七年、吉備(岡山)に八年と
十六年が過ぎていました。

その中では、速水門という、潮の流れの速い海流で、
国つ神の宇豆比古と出会いました。

神倭伊波禮毘古は、海路の水先案内人として、
この宇豆比古を“スカウト”します。

海の路に詳しいのならば、
私たちに仕えてくれないか?

亀の甲羅の上でのんびり釣りをしていた宇豆比古は、
神倭伊波禮毘古を、じっと見つめると
亀の甲羅の上で、まっすぐに立ち上がり
こう返事を返してきました。

はい。かしこまりました。
喜んでお仕えいたしましょう。
海の道もご案内いたしましょう。


よし! それはよかった。
さあ、この棹につかまり船へ。
ここから、我らの水先案内人となってほしい。

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宇豆比古の舵取り

神倭伊波禮毘古は、船上から、亀の上にいる宇豆毘古に、
長い長い棹(さお)を差し出しました。

船へと迎え入れられた宇豆毘故は、
海流を熟知した知恵を働かせて
渦の流れを見るなり、
渦と渦の隙間を見つけて
船を進めるよう、舵取りの指示を的確に与えていきました

その様子を見た神倭伊波禮毘古も、
さすがである
と満足そうに頷いています。

宇豆毘古のおかげで、天孫の御子のたちの船団は、
速水門の難関を、無事に乗り越えることができました。

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大和の氏族の祖に

おお~この危険な海流を
無事に超えられたのは、宇豆毘古のおかげじゃ。

この功績を喜ばれた、神倭伊波禮毘古は、
宇豆毘古にたいして。
槁根津日子(さおねつひこ)という名を授けた
のです。

宇豆毘古こと、槁根津日子(さおねつひこ)は、
最初に天孫の味方となり、海路を案内した神で、
こののち、倭の国造(こくそう)の祖、
いわゆる大和の氏神の祖先となった
のですが、
それは、まだまだ先のお話です……。

とっても心強い、槁根津日子(さおねつひこ)という味方、仲間を経て、東へ向かう、天孫の御子たちに、大きな試練が待ち構えていました。仲間もいれば、”敵”も現れたのです。

これも、私たちの人生とも同じですよね。すべての人に好かれることもないし、すべての人が敵になるわけでもない。

吉凶混合、よいこともあれば悪いコトだってある。仲間もいれば、”敵”になる人もいる。清濁併せ呑む……覚えておきたいのは、けっして、100%の「凶」「悪いこと」はないってことです。

どんな最悪な状態に感じても、そこには、もう一方の良、吉、光、仲間もいるってことを、覚えておきたいですよね。

陰極まれば陽に転ず。陽極まれば陰に転ず、ですもんね。

さて、物語にもどります。

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那賀須泥毘古(ながすねびこ)の攻撃

やがて、神倭伊波禮毘古の一行は、
瀬戸内海から、波の荒い、波速渡(なみはやのわたり)
今の大阪湾沿岸あたりです。
ここから、今の淀川の支流へと船を進めてゆき、
海原から、川へと入り、穏やかで静かな水路を進み
河内の国の白肩の津(東大阪市日下町)の港へと
船団は、船を停泊させた
のです。


ところが、このとき、大和の登美(奈良市)の
生駒山脈の一体を支配する豪族の那賀須泥毘古(ながすねびこ)

軍勢を整えて、一行を攻撃するために、待ち構えていたのです。

ここは、我らの土地じゃ~!!
ぜったいに侵入は許さん!!!

十六年の歳月をかけて、地元の豪族たちと交流し、
説得し、徐々に、東へと勢力を広げてきた神倭伊波禮毘古たち。
その噂は、大和の地にも届いていたでしょう

一行が来るのをずっと待ち受けて、戦闘態勢で待ち受けていました。

船上にいる一行めがけて、弓矢の矢がすごい勢いで飛んできます。

神倭伊波禮毘古は、船の中に入れてあった、楯(たて)を手に取って、船から降り立ち、那賀須泥毘古の軍勢の攻撃に、応戦します。

神倭伊波禮毘古が楯を取り出したことから、この土地は「楯津」と名付けられ、その後、日下の蓼津(くさかのたでつ)と呼ばれるようになりました。

両軍の激しい戦いは、まだ繰り広げられていきます。

なかなか争いに決着はつきません。

これほどにも、地元のものに抵抗されて、攻撃されることも初めての経験でした。

互いの軍勢から多くのものが負傷していきます。

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兄、五瀬命 負傷!

そして、一本の矢が猛烈な勢いで飛んできて、
兄の五瀬命の手に受けてしまいます

兄上~~~!!!

傷が深い五瀬命。
あたりは、真っ赤な血に染まりました
そのことから、血沼海(ちぬまのうみ)と、呼ばれるようになりました。

大ピンチです。五瀬命は大丈夫でしょうか?……

この先、神倭伊波禮比古と五瀬命の兄弟に、何が待ち受けているのでしょうか? どうにか難関を乗り越えてほしいですね。

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―次回へ。

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