倭姫命を見守る先祖の女神さま 元伊勢二九 ことの葉綴り三五五
雨水
おはようございます。寒さは続いていますが、暦では、二十四節気の「雨水(うすい)」ですね。
寒さが少し和らいで、雪が水や雨へと変わり大地を潤して、冬を超えた植物が芽吹きはじめるころ。
二月十七日に、一年の五穀豊穣を祈る「祈年祭(としごひのまつり)」でしたが、古から、「雨水」は、農耕の準備を始める目安にされていました。
生命の芽吹きを感じる季節で、寒さの中でも、「春」を見つけられますね。
季節のわずかな違いを体感しながら、農耕への準備をしたり、祈ったり、自然とともに季節とともに、共生していた古来の先人たち。
今回も倭姫命(やまとひめのみこと)さまが、天照大御神さまの御杖代(みつえしろ)として、伊勢の神宮ができるまでの「元伊勢」物語を綴ります。
※これまでの1~343回までの、神代~の13の神話の物語のまとめはこちらです。お好きな神様の物語をご覧になってください。
邇邇芸命の母がご祭神「都美恵(つみえ)神社」
「御室嶺上宮(みむろのみねのかみのみや)」(大和国)
「宇多秋宮」「佐佐波多宮」(大和国)で4年。
「市守宮(いちもりのみや)」(伊賀国)2年。
「穴穂宮(あなほのみや)」(伊賀国)4年
そして同じ伊賀国「敢都美恵宮(あへつみえのみや)」で2年、天照大御神さまをお祀りされました。
このとき、柘植川で禊をされている倭姫命(やまとひめのみこと)一行を見守っていた七色の美しい龍神さまをご紹介しました。
この「敢都美恵宮(あへつみえのみや)」といわれているのは、
三重県伊賀市柘植町の「都美恵(つみえ)神社」さんです。美しい石造の鳥居があり、境内には、伊勢の神宮遥拝所もあるそうです。
たいそう古いお宮のようで、もともとは、伊賀市の標高765.8mの「霊山」の中腹で、「穴石大明神」としてお祀りされていましたが、寛永21年(1644年)の大洪水にあい、正保3年(1646年)に現在の地にお遷りになられたそうです。
そして、大正11年に、「敢都美恵宮(あへつみえのみや)」から、敢の文字をとって、「都美恵(つみえ)神社」となります。
ご祭神も、たいへん多いので(苦笑)主祭神をご紹介!
主祭神は、栲幡千千比賣命(たくはたちぢひめのみこと)さま。『古事記』では、萬幡豊秋津師比賣命(よろづはたとよあきづしひめのみこと)と記されています。
森羅万象万物の誕生を司る神の娘神
こちらは、高天原の高木神(たかぎのかみ)こと、高皇産霊命(たかみむすひのみこと)さまの「娘神」です。
ちょっと神代の神さまにさかのぼりますね。
高皇産霊命(たかみむすひのみこと)さまは、「別天神(ことあまつかみ)」五柱の中の神さまです。(下記をご覧くださいね。神代の神さまもおもしろいですよ)
天と地が別れ、天界の高天原(たかまがはら)の真ん中に誕生されたのが、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)さま。
次に、森羅万象の万物のいのちの誕生、生成の「産霊(むすひ)」を司る、高皇産霊命(たかみむすひのみこと)さまと、
神産巣日神(かみむすひのかみ)さまが誕生されました。
お独神(ひとりがみ)であり、身をお隠しになられた神さまですが、そののちも、ずっと天照大御神さまとともに、高天原の中心的な神さまなのです。
「都美恵(つみえ)神社」の主祭神の栲幡千千比賣命(たくはたちぢひめのみこと・萬幡豊秋津師比賣命 よろづはたとよあきづしひめのみこと)は、高皇産霊命(たかみむすひのみこと)さまの娘の姫神さまです。
天照大御神さまの息子神の嫁神?
そして、天照大御神さまの皇子の天忍穂耳命(あめのおしほみのにこと)の妻神となられて、
天火明命(あめのほあかりのみこと)、日子番能邇邇芸命(ひこほのににぎのみこと)さまをお生みになられます。
天照大御神さまからすると、“息子の嫁”であり、天孫降臨を託した“孫神の邇邇芸命の母”という、つながりの深い女神さまです。
天照大御神さまの御杖代(みつえしろ)となった倭姫命(やまとひめのみこと)さまも、かわいい子孫なのです!!
斎王を見守り続けるご祭神と龍神
「都美恵(つみえ)神社」さんは、天照大御神さまとのご縁も深く、また御杖代(みつえしろ)で皇女の斎王(さいおう)とも、所縁が深いお宮です。
倭姫命(やまとひめのみこと)さまが、伊勢の神宮を建てられたあとのお話です。
平安時代のある時代、天皇の即位に合わせて、新たに斎王となられた皇女は、京都の御所から、伊勢の神宮へ行列をなして向かう「斎王群行(さいおうぐんこう)」がありました。
そのとき、「都美恵(つみえ)神社」近くを通り、斎王の一行、約三百名は、この神社の近くにあった「斎宮芝」を宿舎として、お休みになったそうです。
そのことから「都美恵(つみえ)神社」さんでは、毎年9月に、平安時代の斎王の行列を再現した「柘植の斎王群行(ぐんこう)」が、今も行われています。
古代の美しい装束に身を包み、「斎宮芝」のあったところまでの約2キロメートルを、練り歩くそうです。
倭姫命さまが、次のご巡幸へと遷られたのちも、
後の世、天照大御神さまをお祀りする、歴代の皇女が斎王となり、
伊勢に赴かれる「斎王群行(ぐんこう)」をも、
ずっと優しく見守っていらっしゃったのでしょうね。
そうそう、七色に輝く美しい龍神さまとともに!
やはり、こちらのお宮にもいかねば(笑)
そう願う早春、「雨水」でした。
―次回へ
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