今も続く”国見”と祭祀 神さまも“失敗”して成長した ことの葉綴り。二二一
三柱の御子誕生
こんにちは。今週末の台風気をつけたいですね。今日は仕事の間、「ことの葉綴り。」午後のひとときです。雨の音がしています。
神倭伊波禮毘古(かむやまといわれびこ)の物語も、いよいよ大詰めです。
艱難辛苦の末、大和で初代天皇に即位されて、神さまの御子、大神神社(おおみわじんじゃ)のご祭神、大物主大神(おおものぬしのおおかみ)の娘、伊須氣余理比賣(いすけよりひめ)と、結ばれ、橿原宮に、皇后として媛(ひめ)を、迎え入れた神倭伊波禮毘古(かむやまといわれびこ)。
そして、媛女(をとめ)の暮らす、葦の繁る小屋で、最初に結ばれた日のことを歌に詠みました。
葦原の しけしき小屋に 菅畳
いや清(さや)敷きて
我が二人 寝し
伊須氣余理比賣(いすけよりひめ)と、夫婦睦まじく暮らし
二人の間には、
日子八井命(ひこやゐのみこと)
神八井耳命(かむやゐみみのみこと)
神沼河耳命(かむぬまかはかみのみこと)
三人の御子をもうけられました。
家臣への労い
『古事記』の物語では、三柱の御子が生まれたあとは、すぐ天皇崩御のことが綴られています。
『日本書紀』に、即位されてからのことが記されています。
少しご紹介を……。
即位された後、これまでの平定までの苦難の過程で活躍をされた、家臣たちに、その労を讃えて賞(たまもの)をおこなわれました。
「物語」登場順に、家臣でいうと宇豆比古(うずひこ)。
道臣命(みちおみのみこと)と、弟宇迦斯(おとうかし、弟猾)
伊須氣余理比賣(いすけよりひめ)との”キューピット”にもなった大久米命(おおくめのみこと)
たちに、居所を与えられたとあります。
頭八咫烏も恩賞にあずかった。と、あります。これまでの道のりを支え助けてくれた家臣を労い大切にされたのですね。
天神を祀る
そして、即位されて四年目の春、二月に、こう詔(みことのり)されました。
「我が皇祖の御霊(みたま)が、天から降りご覧になって、
我が身を照らしお助けくださった。
今すでに諸々の賊を平定して、天下は何事もなく統治されている。そこで天神(あまつかみ)を郊祀(まつ)って、大孝の志を申し上げよう」
そして、斎場を鳥見(とみのやま)に設けて、この地を、上小野(うえつおの)の榛原(はりばら)、下小野(したつおの)榛原(はりばら)と、名付けて、皇祖である天神をお祭されました。
今にも続く、国見(くにみ)
そして即位、三十一年目の夏、四月
国中を巡行されて、脇上の丘に登られて(奈良県の御所市)
国の様子をご覧になる「望国(国見)」をなさって、
「ああ、なんと美しい国をえたことよ」と、喜ばれたのです。
この国見は、天皇の大切な行為の一つで、元々は、民間で行われたいた春の豊穣予祝(ほうじょうよしゅく……豊穣を願い先に祝うことで、よき未来を引き寄せるもの)の行事でした。
その後、高楼からの国見で、国土の産物や視察となり、
今もおこなわれている、「地方巡行」へと発展していくのです。
神話は、今も生きている……。
国見……地方巡行でのご公務……身近に感じることも神話から生きて続いているのです。
びっくりしますよね。
なんだか、ありがたすぎて、本当に手を合わたくなります!
―次回へ
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