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初代神武天皇即位 神様も“失敗”して成長した ことの葉綴り。二一ニ

あきらめかけた時、道は開く!

こんばんは。秋空が美しいですね。今日は仕事から戻って、珈琲を入れてからの「ことの葉綴り。」のひとときです。
天つ神の天照大御神さまの天孫の御子、伊波禮毘古の東征の物語。
今日も、少し長めになるのですが、ご了承くださいませ。

大和に到着し、兄の五瀬命の仇の那賀須泥毘古をようやっと撃ち取りましたが、次に難敵の兄師木(えしき)、弟師木(おとしき)が、伊波禮毘古たちの前に立ちはだかります。

伊波禮毘古たちは、もう心身ともに疲れ果てていました。
けれど、相手の攻撃は激しく、なかなか決着がつきません。
もう、食料もつきかけていました。

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伊波禮毘古は、最後の力を振り絞り、
祈りを込めて言霊の歌を歌いあげました。
その歌は、勇ましい士気をあげるためというよりは、
もう自分たちが疲れ果て、飢えてしまっている配下や皆のものを助けにきてほしい、というものだったのです。

もはや、これまでか……。
あ~どうか、この国の平定が私の天命であるなら
きっとなんとかなるだろう。
どうか、高天原の天つ神さまに、この歌が届きますように。

私たちの人生でも、もうダメだ~。
八方塞がりに感じることがあります。
でも、そんなときこそ、どん底、底についたら
浮上していく……。
人生“あきらめかけたとき”こそ、あきらめてはいけないですね。

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邇芸速日命(にぎはやひのみこと)

なんと、言霊の祈りが叶い、伊波禮毘古の元へと、天つ神の邇芸速日命(にぎはやひのみこと)が現れたのです。

天孫の御子さま。
天つ神の御子が、高天原から天降ったと聞きまして、
私邇芸速日命(にぎはやひのみこと)も、追って天より天降ってきたものでございます。

そして高天原の宝物で、天孫の御子の印である
“天つ瑞”(あまつしるし)の天羽羽矢(あまのははや)と、
歩靱(かちゆき)を献上し、お仕えを誓ったのです。


邇芸速日命(にぎはやひのみこと)は、
天磐船(あめのいわふね)にのり、天より降臨しました。
まるで、UFOみたいですよね(^^)。
そして、大和国に降りたちます。

その後、伊波禮毘古の兄の仇敵となった
生駒山の豪族、那賀須泥毘古(ながすねびこ)の妹の登美夜毘賣(とみよびめ)を妻として娶っていました。
そして、宇摩志麻遅(うましまぢのみこと)が誕生します。
邇芸速日命(にぎはやひのみこと)は、このあたりの豪族を服属させていたのです。

那賀須泥毘古が、最初から、伊波禮毘古兄弟に、敵意を燃やし、戦をしかけてきたのも、どうやら、そのあたりが関係しそうです。
那賀須泥毘古は、自分がお仕えする天つ神の邇芸速日命こそ
ご主人であると、“プライド”があった
のかもしれません。
妹を嫁にも出しているのですからね。

けれど、邇芸速日命(にぎはやひのみこと)も、
高天原の、天之御中主神さまより受け継がれてきた
天つ神の御こころを持った神さま
でした。
天照大御神さまの天孫の邇邇芸命さまが天降り、
そして、自分も天磐船で天下ってきた。
それが日向と大和と違うところではありました。
けれども、天孫の御子である伊波禮毘古が、
日向から東征されてきたことを知り、
伊波禮毘古にお仕えするために、現れたのでした。
天つ神の御子の印である、天つ瑞を持って……。

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言向け(ことむけ)

伊波禮毘古は、同じ天つ神の邇芸速日命を配下にして、
もう怖いものはありません。
みなの士気も一気にあがりました。

食糧も届けられました。

疲れ果てて、どんよりしていた場の気が晴れていきました。

やはり天つ神の力は、天つ神御こころは
邪気を祓う力があるのですね。

形勢は一気に逆転し、伊波禮毘古たちは、兄師木と弟師木たちをも打ち払っていきました

まだ残る荒ぶる神たちには、言霊で、戦ではなく平和を説いていきます
地元の豪族たちも、従うものも出てきました。

「言向け」
出雲の国譲りの物語にも出てきた言葉です。


天照大御神さまは、この言向けを経てから、国つ神が、服従する誓いを立てた後に、我が子の神を、降臨させようとしました。
言霊の言葉の力、それを発することで霊力が発揮していく。

相手が、服属の言葉を言うことで、神々に従う誓いをする。
そしてその言葉の力で、その願い、誓いの言葉が実現
する。
古代の人は、言葉にも、畏怖の念を持っていたのですね。
神道の「祝詞」は、この言霊の力に溢れています

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大和平定!! 初代天皇の誕生

古事記にはこうあります。

故、かく荒ぶる神等を言向け(ことむけ)平和(やはし)、
伏(まつろ)はぬ人等を退け撥(はら)ひて、
畝火(うねび)の白檮原宮に坐しまして、
天の下(あめのした)治(し)らしめしき

そうです。
伊波禮毘古は、八咫烏、配下のものたちとともに
言葉による平定をしながら進み。
どうしても従わない人たちは、追い払い
日向から、大和まで、長い長い、艱難辛苦の旅を続け、
ようやく、ほんとうにようやく
畝火(今の奈良県の橿原市)の白檮原宮において、
国の平定をされて、天下を治められて、
初代神武天皇として、即位なさった
のでした。

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ご即位の日は、辛酉の年の春、正月庚辰朔(ついたち)とされています!!平成二十八年に、樫原神宮さんでは、神武天皇御即位二千六百年大祭が執り行われました。あ~お参りいきたい~!!!

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―次回へ

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