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お・も・て・な・しの祖!? 神話は今も生きている ことの葉綴り。二四一


皇位をつながった御子たち


おはようございます。曇り空の朝、「ことの葉綴り。」のひとときです。

“知られていない”『欠史八代』と呼ばれる第二代綏靖天皇(すいぜい)~第九代の開花天皇(かいかてんのう)
その系譜をご紹介しています。
皇位を継承されていない御子たちも、桃太郎伝説のモチーフになったりと、おもしろいです。

そして、第八代の孝元天皇(こうげんてんのう)から皇位を継承したのは、皇后の三番目の御子、若倭根子日子大毘命(わかねやまとねこひこおおびのみこと)でした。こちらが、第九代の開花天皇となられます。

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父の孝元天皇には、三人の妻をもち、五柱の御子がおりました。
一人目の后、内色許賣(うちしこめのみこと)との間に、
長子、大毘古命(おほびこのみこと)
次に、少名日子建猪心命(すくなひこたけゐごころのみこと)
三番目が、九代目の皇位を継承した若倭根子日子大毘命(わかねやまとねこひこおおびのみこと)

二人目の妻、伊迦賀色許賣命(いかがしこめのみこと)との間には、比古布都押之信命(ひこふつおしのまことのみこと)

三人目の妻、波邇夜須毘賣(はにやすびめ)との間には、建波邇夜須毘古命(たけはにやすびのみこと)

今日は、皇位を継承した、若倭根子日子大毘命(わかねやまとねこひこおおびのみこと)のちの開花天皇以外で、神話に少しでも記載のあるご兄弟の系譜をご紹介です。

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“おもてなし”の祖

長子、兄の大毘古命(おほびこのみこと)の子どもは、建沼河別命(たけぬなかはわけのみこと)は、阿倍臣(あへのおみ)等の祖となりました。
後の御代、崇神天皇(すじんてんのう)のところでも、登場されますよ。
また、『日本書紀』では、阿倍臣(あへのおみ)、膳臣(かしはでのおみ)、阿閉臣(あへのおみ)、狭狭城山君(ささきやまのきみ)・筑紫国造(つくしのくにのみやつこ)・越国造(こしのくにのみやつこ)・伊賀臣(いがのおみ)……これら七族のすべての初めの祖(おや)となったとあります。
また、阿倍臣(あへのおみ)の、「あへ」とは、饗応の意味で、それにちなむ氏族とあります。
饗応は、ご馳走の食事やお酒などを出して、お客さまを盛大におもてなしをすることとあります。または、客人のご機嫌を取ること。
膳臣(かしはでのおみ)は、柏の葉に食物を飾り付ける人の意味と、宮中の大切なお料理や饗宴を、おもてなしする氏族だとわかりますね。

お・も・て・な・し……神話の時代から、そんな役職があるって、おもしろいですね。

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米どころの国造にも。

国造(くにのみやつこ)も、古代のその地方を治める地方官のことです。
大国主様のおなはしにも、出雲国造(いずもこくそう)が登場しています。


狭狭山城君(ささきやまのきみ)は、今でいう滋賀県蒲生郡の安土町のあたりのこと。
筑紫の国は、九州の福岡県
なんだか、神倭伊波禮毘古(かむやまといわれびこ)が、国の平定のために、日向を出発し、旅に出た物語が、懐かしくなりました。
その筑紫の国造に、御子の一人が、“里帰り”したようでもありますね。



越国造(こしのくにのみやつこ)、越とは、福井県の敦賀市から、山形市の庄内地方のあたりのこと。
まさに、美味し~い美味し~い米どころですね。

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伊賀臣は、三重県の伊賀のことでしょうね。

と、第九代の開花天皇の兄、大毘古命(おほびこのみこと)と、その子ども建沼河別命(たけぬなかはわけのみこと)は、宮中では、「お・も・て・な・し」の使命を担い、九州、北陸へも、地方をおさめるためにでかけていったのだということがわかりますね。

饗宴の「おもてなし」に出すご馳走のお米や、神さまにお供えするのに、米どころの美味なお米を使っていたのかしら? 
なんて、想像が膨らみます。
でも淡路島から、ご神水の清水を、大和の宮中に運んでいたのですもんね。
お米だって、ありえるかもしれません(笑)


“知られていない神様”の「欠史八代」ですから、系譜のお名前しか記述はありませんが……。古代に想像の羽を膨らませるのは、楽しいです。

あ~GO TOキャンペーンで、北陸のお米どころにも行きたくなりました~!!(笑)

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―次回へ

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